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Jeweletta Stories

Jewelettas — jewel-born artificial beings — sing, cry, and quietly live beside humanity.

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イラスト16のコピー

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イラスト14

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-Leni and Mory-

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23_並走ジオプトリー#03

「レトリバーってなんのこと?回収者?」

スタンドテーブルでジャンボン・ブールという名のハムサンドの包装紙を捲りつつ、レニはリックに聞いてみた。

「狩猟犬の一種だよ」

熱々のジャンボン・フロマージュ(チーズサンド)をふうふうしている。湯気が消える頃には、溶けたチーズの食べ頃を過ぎてしまうのではないか。

「シュリョウケン?」

「獲物の回収が巧みな猟犬。ハンティング・ドッグ」

「へえ」

リックがようやくパンに齧りつく。チーズの端が黄色く固まりかけていたが、満足気な表情。レニも一口また齧る。ハムが美味しい。コンビニでは買えないやつ。

「レニ。初めて会った時、覚えてる?」

リックはアイスコーヒーのストローから口を離してそう聞いた。彼はいつの間にか食べ切っている。早い。

「リックは、金色の猫を探してた」

「アビシニアン。君と離れた後、僕、振り返ったんだ」

「何で?」

「そりゃ……」

リックの青緑の瞳が、瞼の縁をぐるりとランニングした。前にも見た仕草。癖なのだろう、と想像する。

リックはテーブルに両肘をつき、自身の手のひらを手遊びみたいに組んだり合わせたりした。

「で、歩いている姿を見えなくなるまで見てた。ゴールデン・レトリバーみたいだなって」

レモンスカッシュで、サンドイッチの最後の一口を流し込む。シュワシュワと美味しいが、氷が少ない。もう少し冷えていてもいいのかも。

「私は、リックが走るの、猫みたいだなと思って見てた」

「そーなの?」

「アビシニアン?あの猫とそっくり」

「へへっ、嬉しいな」

リックは組んだ手をテーブルに置き、重心を前にかけた。

「レニは、休みの曜日は決まってる?」

レニは、脳内のスケジュール帳を展開する。さっきの電話依頼を次の土曜にタスクイン。

「火木金はフルタイムで仕事。他の曜日は、週1から3件でスポットが入ることがあるわ。水曜日はオフになりやすい」

「水曜日か……。土日は、どっちに多く仕事が入る?」

仕事の中身については聞かないんだな、とレニはなんだか感心した。

「日曜日ね」

「土曜日さ。レニが空いている日に会えるかな?」

「いいよ」

イエス、と小さい声で、控えめなガッツポーズ。分厚いメガネ。鼻の上に、赤いあとがついている。

「リックは忙しいんじゃない?」

初デートなのにコンタクトがなくて、はにかみながらビンゾコメガネを掛けてくる男の子なのだ。

「その方が楽しいから。研究は面白いし」

「コンタクトを買い忘れるくらいだもんね」

「レニとの約束は忘れないよ。誕生日も」

「そう?ありがと」

リックはカップを持ち上げストローを啜る。中身がなくて、ズズズズ、と音がした。



「もう少し話したいけど、そろそろ帰る」

「うん」

トレイとゴミを片付けて、道に出る。リックが右手の手のひらをレニにやんわりと向けた。

「送らなくていいよ。道は覚えた」

「いいの?危なくない?」

あははっ、と軽やかに笑い、リックは左手でメガネを外す。

「レニは僕のボディーガードじゃないでしょ?」

裸眼の猫目は三日月みたいに細まって、眉間に窪みが発生した。

「わかった。またね、リック」

「メールする。バイ」

「バイ」

メガネを両手で掛け直し、手を振り彼は大股で歩いていった。

23_並走ジオプトリー#02

Pipipi.

“Karr, Hold on. 仕事の電話。少し待ってて”

「わかった」

“Sorry. ……yeah. What kind? What time?…Um.…… . Roger that”

気がつくと、路地まで歩いてきてしまった。レニは踵を返して歩き出す。

「いてててて!ってレニ!?」

「メガネに目がないのね。ナオキ」

「こんなビンゾコメガネ初めて見たから、つい」

「ビンゾコメガネ?」

後ろ手に締めた手を離す。ナオキは前につんのめり、たたらを踏んで神妙にレニに向き直る。差し出されたメガネを、レニはリックに丁重に返した。

「とにかく、またもごめん。君の客とは知らなかった」

リックがさーっと青ざめた。

「客…?」

「ボディーガード中じゃないわ」

「ああ、そっち系」

「今日はオフなの。彼に街を案内してる」

「あ!!あー、そういう……、ほんとごめん!!デート中とは知らなくて」

声が大きい。本当に。ナオキってやつは、ルックスはハイレベルだし生活力も美学もあるが、なんというか。うん。こういうところだ。

「ナオキ。デリカシー発動して」

「ごめんまじで。レニにせっかくできた彼氏なのに……。今度奢る。じゃ」

ひし、とリックがナオキの腕を掴む。

「ちょっと待って。2人はどういう関係?恋人?」

思わずレニは吹き出した。

「まさか。3歳からの幼馴染」

「タイプじゃないし」

「なんですって?」

今日のナオキは失言のオンパレード。ホールドアップで後退り。

「やべ、おれ帰る。えっと、君の名前……」

「リック」

「僕はナオキ。これ名刺」

このタイミングで、ウォッチのアドレス交換する?リックは素直に応じているし。

「セカンドショップ?何売ってるの?」

「ガラクタばっか。そのうち来いよ」

「オーケー、ナオキ」

「リックごめんな、デートの邪魔して。この通り。良い一日を。レニのこと、よろしく頼むよ」

「もちろん」

「ねえ、何の話?」

23_並走ジオプトリー#01

土曜日。

ステーション"イーストIー1"の改札前。待ち合わせの5分前にリックは現れた。

「あら、メガネ?」

ボーダーのTシャツにジーンズ。肩掛けの黒いディバッグと履き込んだスニーカー。狐色の髪と肌に、白とネイビーが晴れやかに爽やか。

……というイメージ通りの私服の中、ファッション性を度外視したやけに分厚いメガネを掛けている。チグハグさににコメントせずにいられない。

「うん。コンタクトを切らしちゃって」

リックは後頭部をぽりぽり掻いた。曲がった口元は、なぜか気恥ずかしそうに見える。

「そんなことある?」

「正確には、ストックがなくなってたことを忘れてた。実験室にカンヅメでさ。バイトもないし、ずっとメガネだったんだ」

近くで見ると、レンズの端は劣化し曇り、フレームが古ぼけたメガネである。何年使っているのだろうか。

ステーションを出て、道を歩く。通行人は日々を暮らす住人たち。6区Iエリアの日常は長閑だ。

並んで歩くと、リックの方が視線を20度見上げるくらいに背が高い。

メガネのレンズの向こう側が見えた。いつもの景色がぐにゃぐにゃしている。

「メガネって、どんな感じ?」

「レニは裸眼?」

「うん。視力は両方2.0」

「すご!」

「リックは?」

「近視。マイナス10」

「?それって、どんなもんなの?」

「えーと。……たとえばさ」

リックはメガネを両手で外し、立ち止まってレニを見た。何かな、と待っていると、顔がどんどん近づいてくる。

「ちょっと、何?」

鮮やかなピーコック・グリーンの、虹彩の模様まで見える。綺麗だな、とぼうっとしてたら、スッと瞳が遠のいた。

「このくらい近づかないと、はっきり見えない」

リックはメガネを両手で戻し、にかっと笑う。

「まじ?」

「まじ」

歩き出す。6区の街は、ダクトの風で埃っぽい。

「死活問題ね」

「ほんとそう」

「買い忘れるって、そんなことある?」

「部屋の中だと、メガネの方が楽なんだ」

「どういうこと?」

「オンオフ切り替えできるっていうか。見えすぎると、逆に疲れる」

「ふーん」

店が並ぶ場所に出た。コンビニエンス・ストアに薬局。個人店の雑貨屋、タバコ屋、駄菓子屋に、年季の入った食事処。

「上の人たちは、みんな永久コンタクトだと思ってた」

あははっ、とリックが笑う。

「お金ないやつ結構多いし、学生は使い捨てコンタクトもメガネも多いよ」

「博士とかも?」

「ああ、多い。うちの教授は、僕より分厚いメガネを掛けてる」

リックを横から見上げる。あっちを向いた耳たぶが赤い。この人ほんとに猫みたい、とレニは口角を上げた。

22_ パングラム・ハート#05

「ただいま、モリー」


暗い部屋。照明をつけると、パッと白く光が満ちた。銅製のモリーの頬が、室内灯を暖色に照り返す。


「キャシーは無傷で火星に帰ったよ」


レニは冷蔵庫から、ミント・ウォーターを取り出す。その場で封を開け一口。清涼感が食道を滑り落ちる。


「インディーが待ってる、って言ってた」


パイプ椅子は、いつもの窓辺ではなくテーブル近くにあった。レニはウォーターボトルをテーブルの角に置き座る。


「私も仕事の帰り道に、そう思うことがあるよ」


モリーは微笑んでいる。目を微かに細め、今にも何か言いそうで、でも聞くまで何も言わない感じに、閉じた唇は柔らかに弧を描いている。


キャシーは、モリーが私に似てきた、と言った。人からすれば、私はこんな風に笑ってるのか。

こんな風に、笑えるようになったのか。


Pi.


—Are you free this weekend?


リックのメール。今日は水曜日の夜。アドレス交換から3日後だ。


—I'm free on Saturday.

Pi.

Pi.

—10 O’clock. I’ll go to your station.

Pi

—Route 6 East I-1


Pi

—Thank you for the Retriver girl.


「レトリバーって?」


レニは思わずモリーを見つめた。モリーは目を丸くして、首を角度にして15度ほど左方向に傾けた。

わからないけど、何かの動物かな。土曜日会ったら聞いてみよう。


—Sure. Cat boy.


Pi.


“Refill, Mory.”

“Sure. Retriver girl.”


La La Lu…

22_ パングラム・ハート#04

「背が伸びたよね。キャシー」

5区観光街のレストラン。オーダー後、ジュースで乾杯をしてからレニは言った。

「6センチね。今156センチ」

「髪も伸びた」

「癖毛で手こずるんだ」

「大人っぽくなったわ。服もシック」

数ヶ月ぶりに会ったキャシーは、かなりのイメージチェンジをしていた。以前の駄菓子みたいなポップで原色系のファッションではなく、ジージャン、ホワイトTシャツ、レザーのホットパンツと膝丈のミリタリーブーツという出立ち。メイクは黄色のリップだけ。

アイスグリーンの目立つ髪色でなければ、待ち合わせに時間がかかったかもしれない。ただ、口を開くと前の通りで、レニはなんだかほっとした。

「へへっ。……この間まで、恋してたからかなー」

そんな気がした。ウエイターがサラダを置く。白いドレッシングのかかったレタスとコーン。

「どんな人?」

キャシーは、小皿に自分の分を取り分けた。トングを受け取り、レニも自分の分をよそう。

「あたし、3回、男と付き合ったことがある」

フォークでレタスをざくざく刺して口に運ぶ。レニも食べた。香りが乏しく水分ばかりのレタスは、ドレッシングのおかげだろうか。それなりに美味しい。

「火星の人、ガニメデの人、この間は星間移民船の人」

でもね、とキャシーはフォークを噛む。黄色い唇がへの字に曲がる。

「あんまり顔は覚えてない」

お待たせしました、とウエイターが今度はパンを持ってきた。もちもちとした白いパン。手に取ると、焼きたてらしくまだ熱い。

キャシーはパンを大きく千切り、口の中に放り込む。手が自然とグラスに伸びて、咀嚼の途中でグレープフルーツジュースを飲み干した。

「この間のスイーパーの年下なんか、最後の言葉が何だと思う?死神のキスってミント味なんだー、だよ」

レニもパンを千切って食べる。小麦の味があってちゃんとする。ウエイターが、今度はスープを運んできた。トマトの入った、少し辛くて赤いスープ。

「死亡フラグなら、もっといいのがあるじゃんか。戻ってきたら結婚しよう、とかさ」

キャシーはスプーンを上から持って、立て続けに3回掬ってスープを飲んだ。

「そうだね」

スープは、自然な酸味でとても美味しい。レニが半分も食べないうちに、キャシーの器はすっかり空だ。彼女はウエイターを呼び止め、ドリンクのお代わりを注文した。

はあ、と大きく息を吐き、キャシーは背もたれに体を預け天井を見た。視線追うと、光らないシャンデリアが微動だにせずぶら下がっている。

「みんな、好きになってもすぐ死んじゃう。ルーの顔も、笑った時のかわいい八重歯も、きっとすぐに忘れちゃうんだ」

ビーフステーキシャリアピンソースでございます、と焼き音を立てる鉄板がテーブルに2つ置かれた。レニは中央にあるカトラリーの籠を押す。

「メインが来たよ。食べよう」

「うん」

ジュウジュウ焼けるステーキに、キャシーはフォークを突き刺した。

22_ パングラム・ハート#03

「やっほー、モリー!」

レニのアパートに着き、部屋に入ったキャシーはモリーに駆け寄った。レニは彼女のスーツケースを運び入れ、ドアを閉める。

「あれ?笑い方少し変わった?」

「そう?私は毎日見てるから」

「あ、わかった。似てるんだ」

キャシーは窓際のパイプ椅子をひょい、と持ち上げ、モリーの左側に設置。レニの手を引き座らせる。

「ハイ、チーズ!」

パシャ、とキャシーが擬音を発生。

「ほら見て、レニ」

キャシーのウォッチ上。平面ホログラムで現像されたフォト。

モリーと並んだ自分を初めて見る。へえ。こんな感じなんだ。

「モリーがレニに似てきたんだよ」

「へー」

似ているかどうかはわからないが、仲良さそうな感じはした。

レニは椅子から立ち上がり、冷蔵庫に向かう。

「キャシー、ドリンクは?それともアイス?」

「アイス!」

「イチゴとチョコと、クッキーアンドクリーム」

「チョコがいいな」

「キャシー、何が好きだっけ?」

「チョコミント」



「夜はどこか食べに行こ。旅行者向けのレストラン、日替わりメニューがビーフだ」

「それ、本物?」

チョコアイスを3口で食べ切ったキャシーは、窓辺でミント・ウォーターを飲みつつ聞いた。レニはクッキーアンドクリーム片手に、ウォッチの原材料表示をスクロール。

「2層のプラント産だけど」

「合成肉じゃなくて、歩いてたやつ?」

「そうだよ」

「すっごい!」

キャシーがぴょんと飛び跳ねた。火星生まれだからか、惚れ惚れするような身体コントロール。軽く速く、重心に粘りがある。

「月のごはんはいいなー。火星の食べ物、全部硬いかパサパサだもん」

「地球はもっと美味しかったよ」

無意識にぽろっと出た。キャシーがくるんと半回転してレニに向く。

「え!レニ、地球に行ったの?」

自慢話にならないかな、とほんの少し逡巡したが、キャシーの瞳はらららん、と星をきらめかせている。

「仕事でね。ジュエレッタの配送。生の野菜や、生のサカナや凝った料理を食べさせてもらったの」

「えーっ!サカナを生で食べるの?目は?」

「うすーく切ってあるのよ。サシミって言うの」

「あたしは焼いたお肉がいいかな」

「それには同意。ほとんどはすごく美味しかったけど、一つだけ苦手なものが見つかった」

「それ、何?」

「貝」

「カイって何?」

「ちょっと待って。フォトがある。……はい、これ」

「うおー、ブヨブヨ。グネグネ。大昔のアース映画の、火星人の破片みたい」

「なんかわかる」

22_ パングラム・ハート#02

キャシー来訪の当日。


7:30。レニはセントラル・ターミナルのロビーでレモンソーダを飲んでいた。待ち合わせの定刻は8:15。着くのが少し早すぎたのだ。


セントラルタワーは、仕事で何度も来たことがある。マザーコンピュータ"カグヤ"を戴く、ムーンバレーの心臓部。

ブルーと白を基調としたデザイン。宇宙港の搭乗口へ向かうエスカレーターと、タワー施設へのエレベーターがエリアを分けて配置されている。レニがいるのは、アライバル・ボードがよく見える位置の円形テーブルの一席。12テーブルの人口密度は3割ほど。静かである。


こんな風にゆっくりドリンクを飲むのは初めてのことだった。通行人はあまり多くない。早朝だからかもしれない。


「やあ。1人?」


声をかけられそちらを向く。いつか会った、猫探しの青年だった。

「ああ。えーと」

「僕、リック」

「レニ」

にかっと笑って歯が見える。あの時の猫によく似てる。狐色の毛並みとビビッドなグリーン・アイ。なんで名前だったっけ。アビ……なんとか。

「レニ、1人?」

「うん」

「ここに座っていいかな?」

「どうぞ」

リックは、ディバッグを肩から下ろし、前に抱えて円テーブルの椅子に座った。レニは6時、リックは9時の位置。

「何か用?」

リックは瞼の縁に、猫目をぐるりと一周させた。チャーミングな仕草であるが、意図は不明。

「特に用はないんだけどさ。通りすがりに君を見つけた」

「へえ。このへん、よく来るの?」

「通学路」

「リック、学生?」

「セントラルの工学部」

「わお。エリート。年は?」

「17」

「私のがいっこ上」

「誕生日は?」

「5月1日」

「あちゃー、過ぎてら」

「リックは?」

「6月1日」

「そっちも過ぎてる」

レニはレモンソーダを啜る。氷が半分くらい溶けて、結露を発生させていた。

「それで、私になんの用事?」

「待って。今考える」

「今?」

「だって、君を見つけたから。条件反射でさ。思わず近づいちゃったんだ」

リックの後ろの通行人が視界に入る。さっきの話を聞いた後だからか、彼らが学生かどうか考えてしまう。

リックがレニの名前を呼んだ。

「もう少し話したい。ダメかな?」

「今日はこの後仕事なの」

「ここで、また会える?」

「今日はたまたま。私の家は6区なんだ」

「じゃあ、僕が君のところに行くよ」

3秒ほど時間が止まった。レニはカップの、赤いストローを回す。くるくるくる、と氷が回る。

「6区だよ?」

「今聞いたよ」

「そ」

ストローを啜る。ずず、と間抜けな音がした。

レニは左手をテーブル中央に置いた。ウォッチの上部にマップを表示。

「私のアドレス。気が向いたら連絡して」

「イエス!すぐだよ」

リックは右手を机に置いて、マップが彼のウォッチにイン。リックは左利きなんだな、と思ったが、特に話すことでもない。時刻は8:00。

立ち上がり、挨拶を交わしてレニは宇宙港へのエスカレーターに乗った。

22_ パングラム・ハート#01

Pipipi pipi.


“Hello, Kerr.”

“I request the job. Leni.”

“What kind?”

“An inn.”

“Will Kathy come?”

“Yes.”

“Is my work only an inn?”

“And logistic support.”

“Okay. What time?”

“Tomorrow.”


Pi.

Pipi…


コンバータント"キャサリン"のセントラル・ターミナルまでの送迎と滞在62時間のアテンド。

任務中は、通信・搬送役として戦闘員のサポートに当たる。

報酬9500レメク。単純計算だと9300のはず。特別手当てがなんだか嬉しい。


「キャシーと会うのも、何ヶ月ぶりだろ」


生きて、また会える。それが当たり前ではない女の子なのだ。


「私も、誰かにとってそうだったのかな」


ナオミやナオキ、ジェンにとって。私もそういう女の子だったのかもしれない。


会うとナオキは、仕事のことを聞いてくる。殺しの仕事をやめたこと、子どもにアイキドウを教えていること、猫を探すこと、ジュエレッタを運ぶこと。そういう仕事を、いいな、それ、と言ってくれた。


「オレンジジュースがいいかな?アイスは何味が好きだっけ……」


非番だが、ジェンの店に行ってこよう。ホワイト家から、トローリーの定期パスを支給されている。

今日、猫は歩いてるかな。見つけたら嬉しい。


ブーツの紐をキュッと結び、束ねた髪にキャップを被る。今日の2層はサマーウェザー。


「行ってきます、モリー」

21_猫のパジャマ#04

「ただいま、モリー」


甲高い金属音とともに開くドア。角度をミスった。開け方にコツがある。

壁際に佇むモリーは、いつものようにニコッと笑った。照明をオン。レニは冷蔵庫に直行する。今夜はライム・フレーバー。錫のグラスにたっぷり注ぐ。


稽古の後、ラジィと一緒にジェンのアイスクリーム屋に行って、ラジィはメロン、レニはオレンジのアイスをコーンで食べた。


「ラピのローラースケートいいなー」

「でしょ?」

「僕もやってみたい」

「ぼっちゃまか奥さまに、お願いしたらどうかしら?」

「ダメって言いそう。わかんないけど」

「そうなの?」

「ジャンに聞いてみようかなー」

「そもそも、このローラースケートどうしたの?」

「それ今聞く?レニ、何回来てたっけ」

「聞きそびれてた」

「えーと、貰ったの。というか、付けてくれた」

「ん?誰に?」

「わかった!バニラアイスのお兄さんでしょ?」

「ああっ、ラジエルさま!」

「バニラアイスのお兄さんって?ラジィ、詳しく話してくれる?」

「うん!ほら、工事に来てた人。毎日バニラアイスだけ買いに来てた」

「バニラアイスだけ?」

「バニラアイスだけ」

「チョコレートは?」

「ないよ」

「ストロベリーは?」

「それもない。僕、バニラしか食べてるところ見たことない」

「ウィンターウェザーでも?」

「うん」

「サマーウェザーでは?」

「3段にしてた。僕もあれやりたいなー」

「お腹壊すよ」

「へー。その人カッコいい?」

「うん!強そう!」

「ラジエルさま、そのへんに……」

「はーい」

「ジェン、どーなの?」

「え?」

「イケメン?」

「あんまり。マッチョで、無骨で、野暮ったい」

お髭もあるし、とジェンは腰に手を当てぶつぶつ呟く。

「……でも、あたしより背が高い」

ジェニー真っ赤!とラジィが言って、ラピが隣で頬に手を当てニコッと笑った。


ナオミもジェンも、好きな人ができたみたい。


恋って、どんな感じかな。


ライムの香りが鼻から抜ける。錫のおかげで角の取れたまろやかなウォーター。明るいリビング。微笑むモリー。


「明日も仕事。今の私はそれでいいや」


部屋着ではなく、パジャマに着替えて今日は寝よう。その前に。


"Mory, Refill.”

“With pleasure. Leni.”

Mory stands and does twirl.

The arms layers on the chest.


“It’s Music For Cats.”


Meow with the strings.

21_猫のパジャマ#03

あ。猫だ。

ゴールドの毛並み。鮮やかな青緑の両目。野生的な身体付きは、この辺りで見かけたことのないタイプの電気猫である。


「見つけた!アビー!」


声に振り向く。青年が駆け寄ってくるのが見えた。カジュアルな服装から、猫探しの業者だろうと推測。レニは猫をキャッチし、電磁ペンを首輪に当てる。

「ありがとう。君もキャット・サーチャー?」

「まあね」

同い年くらいに見える。褐色の肌と髪色の明るいブラウン。ピーコック・グリーンのつり目が今捕まえた猫にそっくり。ロゴの入ったジャンパーは制服のようだ。

「この猫、この辺じゃあまり見ないわ」

「アビシニアン。エキゾチックだろ?」

「詳しいね」

「猫とか、動物が好きなんだ」

2層の専門業者なのかもしれない。

「助かったよ。この子、すごく高いんだ」

にかっ、と笑って歯が見えた。レニは頷く。確かにこのアビシニアンは、レニが捕まえたことのある猫たちより一桁二桁額が違いそうである。

「ユーアーウェルカム」

「バイ!」

「バイ」

走り去る身体のバネが柔らかい。野生の猫のような人、とレニは思い、踵を返しホワイト家へ向かう。

21_猫のパジャマ#02

「よ、レニ」

「オッス、ナオキ」

「ははっ、なんだそれ」

21時40分。ナオキがカウンターに現れた。前髪のセットが少し変わった。ギャルソン姿が非常にサマになっている。

「いい仕事が見つかったって聞いた」

「うん。アイキドウのセンセー」

「なる。スジがいいって、バーチャンにしごかれてたもんなー」

「懐かしいね、それ」

「うん。食うもんなくて貧乏だったけど、あの頃みんな一緒で楽しかったな」

彼の交代要員としてのスポットだった。レニは引き継ぎはすぐ終わり、22時まで残り15分。

「ジェン、あの浮遊台車使ってるよ」

「そっか。ラピちゃんだっけ。元気?」

「最近、よく笑うって」

「へえ」

カウンターの内側に2人並ぶ。手持ち無沙汰にグラスの位置をなんとなく整えたり、トーションの折り目を直したりしながら定時を待つ。

「エミーも、なんか可愛くなったよ」

「そうかも」

エメラルド・ガール。微笑みを湛えた通常モードは最初からだが、ちょっとした所作が増えた。目を見開いてから首を傾げるところなんか、ナオミの仕草によく似てる。彼女が世話をしているのかも。

ナオミが、男性とカウンターの端に座った。距離感や声の高さが、なんだかやけに親しげである。

「ナオキ、あれ誰?」

「ねーちゃんの彼氏」

言われて改めて見ると、なるほど、そういう感じに見える。ブラウンのスーツに深緑ネクタイ。30歳前後だろうか。落ち着いた感じの優男で、紙の本を持っていそうなタイプ、という印象。

「へー。いい男じゃん」

「顔はまあまあかな?2層のボンボン。3日と空けず通ってんだ」

氷をグラスに落としながら、ナオキは肩を竦めた。レニは冷蔵庫からオーダーシートのドリンクを取り出し封を開ける。

「最初は、エミー目当てだと思ったんだけどさ。来店5回目くらいかな。あの席でねーちゃんに告白して」

「ワオ」

「明後日、セントラルでディナーデートだと」

セントラル・タワーのレストランは、本物の肉や魚が最高品質で食べられる富裕層向けの高級店である。

「ナオミは乗り気なの?」

「着る服ないって騒いでた。ねだって買ってもらったら?って言ったらビンタされたよ。2往復」

喜んで10着くらい買ってくれるんじゃねーかと思うけどなー、と言いつつナオキはドリンクをカウンターに滑らせる。そういうところなんだよな、と思いつつ、定時になったのでレニはバックヤードに向かった。

21_猫のパジャマ#01

「ハーイ、レニ!ドレス素敵よ」

「ありがと、ナオミ」

ドレスを褒められたことが嬉しくて、レニはナオミの肩にタッチした。

レニの装いは、履きこなせてきた6cmヒールのゴールド・パンプスと、自前のリトル・ブラックドレス。数日前に古着屋に行き、4800ルカで購入した。


ナオミがカウンターに腰掛けた。彼女は背中が大きく開いた、ウルトラマリンのマーメイドドレス。洗練されて大人っぽい。

「ジェンに会った?」

「うん。何度か」

「元気そ?」

「アイスクリーム屋、ウィンターウェザーでも大繁盛」

「わかるわー。ジェンは綺麗だからね」

今日の仕事はキャンディ・バーのバーテンダー。レニはカウンターの内側で、客のリクエストを聞きドリンクを提供する。ブレンドが必要なのはハイボールのみ。あとはドリンクパックからガラスのコップに移すだけ。

数ヶ月ぶりに訪れた店内は、快適で居心地が良い。雑談がほとんどなくて静かだ。

レニは、消費期限が本日のドリンクを冷蔵庫から取り出した。グラスに注いだグレープ・ジュースは透明感のある紫色。

「エラが来てから、変わったわ」

エメラルド・ガール。客引きのためにオーナーがローンで買ったジュエレッタ。

「変わったって、何が?」

「お客さん」

ナオミはグラスを光に翳した。ゆらめく水面を眺める頬は、酔っているのか少し赤い。

「最初はどうかと思ったけど。あたし、今のこの店が好きよ」

「へえ」

レニは壁際の椅子座るエメラルド・ガールを見た。距離1メートルほどの半円形に配置されたテーブルは8セット。BGMの、弦楽器のピッチ移動まで聞こえる空間。 32人がエラを眺め、物静かにドリンクとつまみを楽しんでいる。

「すごい高級店みたいじゃない?静けさはステータスね」

その客入りでローンの支払いは済んだのかな、とレニは思った。

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-Razi and Ame-

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20_夏への扉#04
「つーかまえた!」 公園の噴水から引っ張り出したのはシロ。3匹の中でも大人しくて、あまり迷子にならない電気猫だ。 「レニー!」 「オーケー」 レニが駆け寄り、シロの首輪にペンを当てた。シロの瞳がブルーから透明になり、またブルーに戻る。 シロはブルブル身体を揺らし、何事も無かったようにニャーンと鳴いた。 「よし。帰ろう」 「うん」 お屋敷から歩いて5分の公園。僕はレニと歩き出す。今日はサマー・ウェザーで、汗で服が肌に張り付く。レニは半袖だった。 「昨日、レイチェルの所に行ったよ」 「あら、そうなの?どうだった?」 「楽しかったよ」 「トピーもいた?」 「うん。姉妹みたい」 「そうね」 正門が見えてきた。細い金属を複雑に編み上げた、すごく大きな白い門。今はどうってことないけれど、初めて見た時は、天国の入り口みたいな感じがした。 「レニは、なりたいものってある?」 「ないよ」 「子どもの頃は、あった?」 「ないね」 「ふーん」 門は自動的に開く。白い石を敷き詰めた道を歩きながら、僕は聞く。 「レニの仕事って何?」 「色々よ」 「1番好きなのはどれ?」 「好き嫌いで仕事はしないわ」 「へー」 「でも今やってる仕事は、全部それなりに気に入ってる」 「アイキドウも?」 「ええ」 「猫探しも?」 「イエス」 「配達も?」 「場所によるけど、まあまあよ」 「ラジィは、なりたいものがあるの?」 「僕、早く大人になりたい」 「ああ。それなら私も同じだ」 「私も、早く大人になりたかった」 「今は?」 「大人なのかな?子どもではないね」 「大人になっても、強くなっても、仕事があっても、思い通りに生きられるわけじゃない」 「レニもそうなの?」 「そうよ」 「いろんなお仕事してるのに?」 レニは笑った。 「なんでもできるわけじゃない。他の人もできることをなんとかやって、暮らしているの」 「そうなんだ」 「でも、立てる場所が少し変わる」 「ビルの屋上とか。スペースシャトルの車窓とか。地球の山道とかね」 「それだけのことよ。大人になるってのはさ」
20_夏への扉#03
「レイチェルは、なりたいものは大人、って言った」 その日の夜。ラジィはアメと話していた。 「僕も、早く大人になりたい、って言った。そしたら、ちょっと違う、ってレイチェルは笑った」 直角に接したソファーの斜め向かい。アメの横顔。 「ラジィは、どうして早く大人になりたい?」 「うーん、なんて言ったらいいのかな」 パラサイティック・ペリドットの瞳が、暖色灯を照り返している。 僕は自分の手を見る。ジャンの半分くらいの大きさ。レニよりも、関節2つ分小さい。ソファにぶら下がったカーボンの脚。膝の下をぶらぶら揺らす。床には届いていない。 歩けるようになった。 走れるようになった。 だけど、全然届かない。 「できないことが多すぎるんだ」 「できないこと?」 「うん」 ターコ。今頃どうしてるかな。水の中にいるといいけど。少し不安。火星だし。 「それは、大人になったらできること?」 アメが聞く。 僕は、少しだけ未来のことを考える。 「うーん、わかんない」 大人になるって、難しい。うーん、ちがう。なりたい自分になることが、かな。 今日は音が居眠りしてる。このお屋敷は、いつも静かなんだけどさ。特に夜。ジャンもレニもいない日は、シロとクロとミケの足音が壁の向こうに聞こえるくらい。うるさいくらい静かなんだ。 「今しかできないこともあるのでは?」 アメが、息の音もさせずに口を開く。僕の息だけ音がする。 吸う。 吐く。 吸う。 言う。 「たとえば?」 アメは3秒停止して、首をゆっくり左右に振った。 「ボクにはわからない」 僕は、手を伸ばす。アメの瞳がボクの腕を映してる。 ひし。 「ラジィ。これは何?」 掴んだ左手首は、ひんやりしていた。アメは動かない。じわじわ僕の体温が移って、次第に生温くなる。 「つーかまーえた」 アメが僕をじいっと見る。ぱちり、とはっきりとした瞬き。 「そうか。ボクは捕まえられた」 「あははっ」 他人事みたいに言うもんだから、僕は可笑しくなっちゃった。アメの腕を握ったまま、僕はソファを移動した。アメが少し向こうに座り直してくれて、僕は隣に並んで座る。 「ねえ、今どんな気持ち?」 アメを見上げる。キレイだなーと思いながら、瞳の中の無数のインクルージョンを見つめる。 黄緑色の髪が揺れた。赤いメッシュがまつ毛にかかる。 「わからない」 「あ、笑った」 「ボクはなぜ笑った?」 「知らないよ、うれしいんじゃない?」 「よくわからないが、そうかもしれない」 瞳の中で虹色の雨がきらきら光る。笑った顔を初めて見た。
20_夏への扉#02
「レニが先生?いいなー!」 「うん、でもちょっと厳しい」 ブラウン博士の研究所であり自宅である最深部の一画。気が遠くなる洗浄工程を経て麻の服に着替えたラジィは、床に敷かれたカーペットの上、レイチェルの斜め向かいに座っていた。 「どんなことするの?」 「基本のカタ。えーっと、姿勢とか、体の動かし方」 「それって、今、ちょっとできたりする?」 「うん、いいよ」 ラジィは勢いよく立ち上がり、半身の構えと入り身を披露。動きが止まると、レイチェルがパチパチパチ、と拍手した。 「かっこいい!」 「ありがと、レイチェル」 ラジィはすとんと座り、頭の後ろをぽりぽり掻く。ほっぺたが熱い。こういうの、初めてかも。 積み重なったクッションに囲まれたレイチェルは、隣のトピーと顔を見合わせニッコリ笑う。左頬の笑窪がかわいい。 「レニはね、トピーを連れてきてくれたんだよ」 「へえー」 レイチェルがフォトをホログラムで表示する。 レニだ。 青い空。 緑の木々。 僕と同い年くらいの女の子。 2体のジュエレッタ。 記念写真かな。 「地球にジュエレッタを運んだって聞いたし、レニは郵便屋さんかと思ってた。アイキドウの先生だったのね」 「僕は猫探しのハケンサンだと思ってたよ」 本当の仕事はなんなのかな?レニに、今度聞いてみよう。 レイチェルはフォトをクローズし、クッションの1つをギュッと抱えた。イチゴみたいな大きな瞳がこっちを見る。 「ラジィは、大人になったら何になりたい?」 「考えたことないなー」 「そーなの?」 「うん。僕がなりたいものって何だろう……」 下を向くと、脚が見える。麻の服から覗くプロステティックは、鈍い感じの灰色。肌の色に合わせることもできたけど、やめてって言った。 顔を上げると、レイチェルも僕の脚を見ていた。透明な表情で、唇の隙間に肌より白い歯が見える。 「レイチェルは?」 「私?」 瞳をふわっと僕に戻し、窓の向こうへ。 レイチェルの部屋の窓は大きい。ガラス越しの面会室。光学カーテンはオフ。コーヒーを置いたテーブルで談笑する、ブラウン博士とラファエルが見える。 僕がここにいる理由を、僕もレイチェルも知っている。話し合ったことはないけれど。 「大人かな」 大人になること。僕はうん、と頷いた。 「僕も、早く大人になりたい」 「ふふっ、ちょっと違う」 トピーはレイチェルの顔を覗き込む。ヤー、ハー。と重なる声。レイチェルは笑ったみたいだったけど、泣いているみたいに僕には見えた。
19_ あるいは水でいっぱいの海#08
Product Name: Turquoise Girl Flavor: Cool and Clear Polishing form: Supple Emotion Content: 75% Raw Ingredients: Verdigris and Turquoise Voice tone: Soprano Category: Swim Serving Suggestion:
Room Temperature in the tropical night The luminary is floating in a cylinder aquarium. “Refill.” The Verdigris legs do flutter kick. The body glitters dimly. The turquoise hair fans out in the water. “Would you like to go out?” The bubble rises from patina lips.
19_ あるいは水でいっぱいの海#07
「ラジィ。私が怖くない?」 「なんで?」 庭園の噴水近くの空間。相半身に向かい合うレニに、ラジエルは問い返す。 「あなたの家族を殺したのは、私だよ」 レニの右のつま先が90度回転。 「知ってるよ」 レニの動きの真似をする。 「……家族を亡くした子どもはさ」 一つ一つの動作は簡単に見えるし静かだけれど、体の全部を使っているのがわかる。 「悲しんだり、怒らなきゃダメ?」 レニの左のつま先が動く。体の向きが反対になった。 「ラジィの自由だと思う」 僕も同じ方を向いた。サロンの窓がある。ガラスの向こうのジュエレッタたちは、回廊の絵画のように見える。 「火星には、海ってあるかな?」 裏三角の構えをキープ。 「私は聞いたことないわ」 呼吸を深く、とレニが言った。僕はゆっくり大きく息を吸う。足が地面に沈むような感じがした。 「僕は歩けるようになったし、走れるようになった」 「そうだね」 この脚になって最初の何週間かは、立つのに支えが必要だった。動くとすごく疲れちゃって、足じゃないところが毎日痛くて、時々こっそり泣いていた。 今では、走ることだって、こうして合気道の稽古もできる。 「ターコも、どこかで泳いでるかな」 火星に行ったターコ。ターコのことを思い出さない日は、少しだけ増えた。でも、思い出す時は前よりずっとしんみりする。 「火星なら、水槽かもね」 「そうだよね」 「月の海に水はないし」 「レニ、行ったことある?」 「1度だけ、仕事でね。雨の海に」 「どうだった?」 「干からびてたわ」 「だよね」 ラファエルとマリアンヌは「脚」をくれた。 ジャンが「歩く」と「走る」をくれた。 そしてレニは、「どこか」ってのを、僕に教えてくれている。ような気がする。 今日はこのへんにしよう、とレニが構えを解いた。向かい合って一礼。思っていたより疲れてたのか、僕は尻餅ついちゃった。 噴水の飛沫に虹が見えた。僕の視線に気づいたレニが、ピュウ、と小さく口笛を吹いた。かっこいい。ジャンがいない時にアメとこっそり練習しよう。 「地球なら、水でいっぱいの海があるわ」 「行ったことある?」 「そのうちね。見に行くつもり」 レニは僕の隣に座った。 「人魚はいるかな?」 「さあ」 見上げる横顔は、どこか遠くを見ているみたい。やがてレニはパチパチッと瞬きをした。 「水の海を泳ぐターコは、地球の人には人魚に見えるかもね」 青い海を泳ぐターコを想像。宝石の踵が水を蹴り、行き止まりのない海をどこまでも進んでいく。時々水面に顔を出して、人魚だ!ってみんなが言う。 「それって、最高かも?」 「間違いなく、最高よ」 ターコにいつか会えるなら、そういう話をしてみたい。ガラス越しでも全然いい。 「ターコと地球に行きたいな」 浮遊台車かローラースケートが必要ね、とハスキーな声でレニが言った。
19_ あるいは水でいっぱいの海#06
“Don’t move.” なーんてね、と、その人は人差し指を上に向けてパン、と言った。僕はなんていうか、そう、ビックリギョーテン。ぶわーって髪の毛が逆立つ感じでしばらく体が動かなかった。 で、その後。両腕が勝手にバンザイする。脚がジタバタ床を踏む。ジャンがほっほっほと笑う。 「金の鳥のおねえさんだ!」 僕は叫ぶ。あの時の人だ!ターコのガラスを、1発3モニカで壊すって言ってくれたコロシヤさん! 「なんのこと?久しぶり。ボウヤ」 覚えてくれてた!嬉しい。 コロシヤのお姉さんは、前に会った時より小さく、近くに見えた。それは僕が立っているから。青の濃いヴァイオレット。瞳の色まではっきりわかる。 「僕、ラジエル。ラジィって呼んで」 「よろしく。ラジィ様」 「僕のシショーなんだから、様はいらないよ」 「そう?」 お姉さんはジャンをチラッと見た。僕も見る。ジャンは大きく頷いた。 「じゃあ、ラジィ。よろしくね。私はレニ」 「よろしくお願いします。レニ!」 レニの右手を僕は握る。親指の付け根の皮膚が硬かった。
19_ あるいは水でいっぱいの海#04
「家庭教師の先生が来るんだって」 『ラジィは何を習う?』 「武術。カンフーではないみたい」 『ラジィは家庭教師が嫌なのか?』 アメが首を傾げる。 ジェニーの所から帰り、ジャンとご飯食べて、スクリーンムービーでベンキョーして、ラファエルとご飯食べて、お風呂が終わって、後は寝るだけ。僕は部屋のソファーに寝そべって、アメとだらだら話してた。 「わかんない。ジャンはカッコいいし面白い。僕のこと大事にしてくれる」 お風呂の後で、ジャンが「武術の先生を雇いました」って言った。僕はポカーンと口を開けて、「ジャンじゃないの?」って聞いた。そうしたらジャンは、 「もちろんじいやもいたしますが……」 だって。「……」って何だよー、って話。 「ジャンに習いたかった」 『ジャンだから習いたかったということ?』 「そう」 『ジャンはなぜ新しい家庭教師を雇う?』 「ジャンは忙しいんだ。前のショーが評判で」 クララが主演の「トゥーランドット」 前座を務めたジャンに、カンフーショーやカンフー講座のオファーがいっぱい来ているらしい。 「ほとんど毎日会っていたけど、週4回になるんだって」 マリアンヌおばあさまは、チャリティーが大好き。ジャンに、そういうの行けってさ。 『ラジィは、ジャンに会えなくなるのがサミシイのでは?』 「そうかも」 そう。僕、ジャンがいないとどこにも行けない。いられない。このお屋敷だって、ジャンがいないと広すぎるんだ。 アメはゆっくり瞬きをした。ペリドットの虹の雨が、降ってるみたいに揺らいでる。きれい。 『ジャンのことと、新しい家庭教師のことは、別のことだ』 確かに。僕はまだ、その人に会ったこともないんだった。武術の種類だって聞いてない。 「そうだね」 『家庭教師について何か教えてもらったか?』 「猫探しに来てくれてたハケンサンだって。今日、ジャンがスカウトしたんだって」 『名前は?』 「忘れちゃった。なんだっけ……」
19_ あるいは水でいっぱいの海#02
—J&L Ice cream shop— 「都市伝説かと思ってた」 アイスクリームスタンドをアルコール布巾で消毒しつつ、ジェニーは肩を上下した。 「トシデンセツ?オカルトってこと?」 「ええ。実在していたなんてね」 居住区Cのジェニーのお店は、僕が住んでるお屋敷から実はそんなに遠くない。開店前のお店のカウンター。隣にラピ。奥にジェニー。冷凍庫からの涼しい空気が気持ちいい。 ウエストのAからCのイーストまで、歩いてほんの10分ってとこ。 「どんな話?教えて!」 「うーん……。ラジエルさま。ジャン様にはナイショよ?叱られちゃうわ」 ジャンは少し離れたところで、身体の大きな男の人たちと何かを話している。カンフーのことかな? 「僕、口が堅いんだ」 トパーズくらい、とジョークを言うと、硬度7はビミョーよね、とジェニーは返した。キレアジバツグン。だから、ジェニーと話すのが僕は好き。 「第3層には、DからZの居住エリアがあるんです。ご存知かしら?」 「なんとなく」 「あたしは、Sエリアの生まれなの。ラジエルさまのお屋敷に来る前は、Gエリアに住んでいたわ」 「へえ」 あまりよくわからないが、とりあえず頷く。全部で26の居住区があって、第3層には23のエリアがあるってことだな。 「観光地として開放されているのは、Jまで。ちなみに、ジュエレッタちゃんたちのお店はDエリアよ」 それ、絶対に行ってみたい。頭にブックマーク。後でアメと調べよう。 「で、ベルはどこの人?」 「Zです」 「ジェニーは、行ったことある?」 「まさか!」 ジェニーは両手をパッと両頬の横で広げた。目も口もまんまるい。なんか、変なことを聞いたかな? 「あ、ごめんなさい。ええっと、うーん……」 ジェニーは頬に手を当て、斜め上の方を見た。そっちにあるのはキッチンカーの天井棚だろうけど、何かを探しているわけではない。 「フクザツなんだ?」 「ええ、フクザツ。……XYZは、他のエリアと違うんです」 これは聞いちゃいけないやつだ。僕はジャンをチラッと見た。こっちを見ていない。セーフ。 ラピは瞳をうるうるさせてジェニーをじいっと見つめている。心配そうな感じ。 ジェニーはラピにウインクして、次に僕へニコッと笑った。 「歌姫ベルは、なんて言えばいいのかしら。アイドルみたいな感じ」 「そうなんだ」 「この100年ずっとね」 どういうこと? 「ベルは人間?」 「だとしたら、ものすごーくお金がかかるわ」 ジェニーは手の平を上に向ける。 「じゃあ、アンドロイド?」 「それって、ちょっとありきたり」 「ユウレイ?」 「集団幻覚でニュースになる?」 お屋敷のサロンがふと浮かぶ。 次にターコ。 銃撃の音。 破壊音。 ハスキーボイスの"Don’t move.” 『代わりに歌う』 窓から消えた金の鳥。 火星へ行った人魚姫。 「もしかして、ジュエレッタ?」 ジェニーの瞳がサファイアみたいにキラッと光る。ジェニーは笑った。 「それなら、少しステキかも」 「なんで?」 「なんでかな?多分、ラピちゃんが笑うのと同じ理由よ」 ラピを見ると、ニッコリかわいく笑ってた。ジェニーの双子の妹みたい。顔は全然似てないけどね。 「ジェニーはこういう話好き?」 「大好きよ。他人事ならね」 ジャンが来た。アイスクリームを二つ頼んで、ラピに連れられ僕らはパラソルの下に座る。
19_ あるいは水でいっぱいの海#01
朝食はフル・イングリッシュ・ブレックファスト。目玉焼き、ソーセージ、ベークドビーンズに焼きトマト。パンは3種類。 毎朝これだけど、まだ慣れない。ちょっと多すぎ。僕はミルクを飲みつつ、ベイクド・ビーンズの端っこをフォークでつんつんとつついた。 「ラジエル、知っているかな?歌姫ベルが奇跡の復活を遂げたそうだ」 ラファエルが、ウォッチのデジタルニュースをアップにして言った。少し前に、お皿は全部空になってる。僕が食べ終わるのを待っているのかもしれない。 ちらっとジャンの方を見ると、渋い顔をしていた。うん、お行儀悪いよね。 「歌姫ベルって誰ですか?」 でも、会話に付き合うことにする。とりあえず、目の前のインゲンマメから逃れたい。 ラファエルはコーヒーカップをゆっくりと口に運び、手に持ったまま語り出す。 「デイジー・ベルは女神のように美しい。精霊のような歌声。6区の希望の象徴なんだよ」 6区って?と気になったけど、僕は神妙に頷く。なんとなく、食卓でおじさまに聞くことではない気がした。 「奇跡の復活って?」 ラファエルは、口と右目を歪めて苦そうな顔をした。 「数日前のことだがね。凶弾が彼女を襲った。しかし、彼女は蘇った」 この話を始めたことを、後悔してるっぽい顔だ。キョウダンってどっちだろう。 「人々の願いが奇跡を起こしたのだね」 ラファエルはそう言って立ち上がり、僕に微笑み部屋を出た。 要するに、ラファエルの話はこういうこと。 歌姫ベルが、撃たれたけれど復活した。6区の人たちの願いが奇跡を起こしたからだ、って。 大人って単純だな、と思いつつ、ラジエルはロールパンを指でちぎった。
17_ 縁の海のウィルオウィスプ#04
「光るジュエレッタ。なるほどねー」 「ジェニーはどう思う?ただのカイダン?」 「カイダンというよりは、悲しい童話だったね」 「童話?人魚姫みたいな?」 「そうね。似てるかも」 キッチンカーの屋根の下で、ジェニーとラピが並んで同じ方を見ている。雪。今日はウィンターウェザー。2人はお揃いのパーカーを羽織っていた。背中に大きくお店のロゴが入ってる。 アイスを買いに来るお客さんはいるのかな、と僕は少し心配になったけど、僕がいる間に3人もやってきた。みんな。体が大きいお兄さん。 そのうちの1人はストロベリー、チョコ、バニラの3段重ねを買って行った。ラピのローラースケートは、彼のプレゼントだったらしいと僕は理解した。 「ジェニーは、ラピが好き?」 「好きよ」 「それって、童話?」 「そうかもね」 「雪の女王?シンデレラ?」 「人魚姫よねー」 だったらあたしは王子様?それともお姉さんかしら、とジェニー。ラジエルは、意外と魔女かも?と考えたりした。 「僕も同じ。人魚姫」 「それ、アメくんのこと?」 「ううん。ターコ。泳ぐジュエレッタで、火星に行っちゃったんだ」 「そうなんだ」 ジェニーはパーカーのファスナーを上げた。雪は綺麗だけど冷たい。 「あの魔女、案外親切よね」 「うん」 「ジュエレッタは、泡になったりしないわ」 「うん」 「火星って、どんなところなのかしらね」 涙が出そうになったから、僕は上を見た。雪はどこから降っているのかな。ドームの天井はいつも光学スクリーンに覆われている。 「僕、行って見たい」 火星に。いつか。ターコに会えたらいいなと思うし、シャトルの窓から青い夕日を見てみたい。 「ラジエルさま、アイス食べる?」 「寒いから今度にする。またね、ジェニー」 「また来てねー」 Pipi. “Hi, Leni. What’s up?” “I’m okay. Jen. Are you open?” “We are. Looking for a cat again?” “Yes. Three cats this time.” “Do cats like snow?” “Maybe. Have you seen them?” “Sorry. If I see one, I’ll let you know.” “Thanks. I’ll come by later.” “I’ll be here. See you later.” “See ya.” Pi. 「電気猫は、きっと雪が好きなのよ」 ジェニファーは呟く。ラピスラズリの瞳が新月の三日月みたいに丸くなる。
17_ 縁の海のウィルオウィスプ#03
縁の海ーMare Marginisー アルタイ断崖に位置するムーンバレーからずっと西。神酒の海、ピレネー山脈、アガルム岬のムーンケイプと危機の海のさらに先にある縁の海。 そこに、鬼火が出るという。 月面都市の住民にはすっかり廃れた怪談話の一つだが、観光客には有名だ。なぜか。 星間シャトルの窓から、発光体が見えるのだ。常に、ではない。30機のシャトルの1つ、乗客200人の3人程度。 0.05% 目撃率はそれほど低い数値ではない。プロモーションでないとすれば。 「アメは、何が光ってるんだと思う?」 『鉱物では?』 「やっぱり?」 お屋敷の自室。直角に接したソファの斜向かいに座るアメにラジィは頷く。 紫外線で蛍光発光する鉱物の存在をラジエルはいくつか知っている。フローライトやスキャポライト。ハックマナイト。 「ねえ、ジャン。縁の海ってどういう所?」 ジャンはサービング・ワゴンの上のカップに紅茶を注ぎつつ、愉快そうにほっほと笑った。 「私の祖父は鬼火を見たそうでございます」 「ジャンのおじいさま?第1世代?」 「さようで。科学者であり、探検家でもありました」 ローテーブルに紅茶が置かれた。僕の分と、アメの分。ジェニーの所で僕が言ったことを覚えてくれてたんだな、ってカンドー。 「もしかして、ムーンケイプの開拓者?」 「ラジエル様は聡明にございます」 次に、お菓子の銀トレイ。イチゴとグレープ、マーマレードのジャムクッキーは宝石みたいに綺麗な色。 僕はマーマレードを選んで食べる。夏っぽい味。ジャンはアメの隣に腰を下ろした。背筋がピンと伸びている。 「私の考えたところによりますと、その鬼火はジュエレッタではないかと」 「どういうこと?」 「その鬼火は、声もなく泣くのです」 「泣くの?なんで?」 ジャンの目尻に皺が寄る。優しい顔だけど、大人の人がこういう顔をする時は悲しいことを話す時って僕は知ってる。 「月面開拓の歴史は、死と隣り合わせでございました」 エアーの不具合。ボルトの緩み。スペース・スーツの小さな穴。6分の1の重力。大気のない地表。直射する宇宙線。最初の30年。月の上で生まれた命は2度目のファボスを待たずに消えた。 「多くの人類が剥奪されました。未来を。今を生きるということを」 ニャーン、と扉の向こうでクロが鳴いた。 「人類が月で生きるとはそういうことだ、と祖母はよく申しておりした」 アメはジャンを見ていた。僕はアメの横顔を見て、行ったことのない縁の海を想像した。 「慰めとして、泣くジュエレッタが制作されたという逸話でございます」 送り火として。 ジャンは小さな声で最後に言った。
17_ 縁の海のウィルオウィスプ#02
Product Name: Adamite Girl Flavor: Electrical and Burnt Polishing form: Skelton Emotion content exceeds 99%. ⚠ Emotional overflow detected. Raw Ingredients: Baryte and Adamite Voice tone: Sob Category: Silent cry Serving Suggestion: Room Temperature in the last night “…Refill.” The green light flashes. The smell is burnt. The sound is sob. The air is out. “I’ll go to Odyssey.”
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縞模様の光の影

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-Leni and Mory-

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-Razi and Ame-

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