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35_ My moon.#03

「リックお兄ちゃんは、結婚したいと思ったことある?」
「え」
土曜日午後1時のホワイト家応接室。
リックはソファの右隣を見下ろした。ラジィの横顔が見える。顔はデジタル・ウィンドウを向いているが、焦点は遠い。
いつものような、無邪気な質問ではなさそうだ。今日の勉強はガウス平面。
進み具合は早いくらい。切り上げてもいいだろう。
リックは3つのデジタル・ウィンドウをクローズした。ラジィがリックに顔を向ける。大きな瞳は静かに深い。
「ラジィ。何か、僕に相談したい?」
ラジィは、こくりと頷いた。
「……うん」
「聞くよ。どうぞ」
「うん。……あのね」

「僕、イイナズケがいるんだ」

許嫁。少し驚いたけれど、そうだよな、とリックは色々と腑に落ちた。
「そうなんだ。名前は?」
「レイチェル。僕より4歳年上」
当主は未婚で子供もいない。
推測でしかないけれど、ラジィがこの家の子になったのは、家同士のいろんな事情があったのだろう。
「どんな女の子?」
「とってもかわいい。頭が良くて、明るくて、ちょっとおませ。話していると楽しいんだ」
それを聞いて、リックは頬が綻んだ。
「ラジィは、レイチェルが好きなんだね」
「うん。大好き。本当は、毎日だって会いたいよ」
ラジィが俯く。膝の上の拳の関節が白い。
「でも、あまり会えない」
「どうして?遠くにいるの?」
「うん。無菌室から出られないんだ」
無菌室。
遠い、というのは物理的な距離ではないのだ。免疫系の機能不全だろうか。
「病気?」
リックが聞くと、ラジィはこくりと頷いた。
「月病」
「現在の発症率は0.001%だって聞く」
「そうなんだ」
「ワクチンがある」
「知ってる」
「効かないの?」
「うん。ハカセが言ってた」
「ハカセ、お医者さん?」
「レイチェルのおとうさま」
「そうなんだね」
リックはおおよその事情を察した。
ラジィは、両親を失いホワイト家に身を寄せることとなった。
ラジィを引き取った理由のうちの1つは、レイチェルというご令嬢の許嫁。
その少女は、重い病を患っている。
会えないことを切ながっている。
好きな人と自由に会うことができないのは、辛いな、とリックは思った。
「僕、レイチェルと今すぐ結婚したいんだ」
ラジィが顔を上げてリックを見る。切羽詰まった表情は、年より、ずっと上に見える。
心から愛しているんだ、とわかる。
「ラジィ。どうして?」
「ハカセと話した」
緑の瞳が一度揺れた。
「レイチェルは、大人になれない」
瞼が閉じる。固く。
睫毛が3度震えた。

「生きてる間に結婚したいよ」

涙はない。乾いた頬は陶器のように青褪めている。
「まだ子どもだけど、僕、おじいちゃんになってもずっと、レイチェルのだんなさまだから」
リックは、ラジィの左肩を支えた。そうしなければ、彼が崩れ落ちてしまう気がした。
「うん。そうだね」
「リックお兄ちゃん、レニと結婚するの?」
「これから、2人で決めるんだ」
「そうなの?僕たちは決まってたよ」
リックはラジィに微笑んだ。肩を支えた手を離す。
「そう。いろんな人がいるんだ」
ぱち、と瞬き。ラジィはうーん、と首を傾げ、やがてきっかり頷いた。
「僕、レイチェルのイイナズケになれて良かったよ。他の女の子と結婚するって、想像できない」
「わかるよ、ラジィ」
「リックお兄ちゃんも?」
リックは頷き、瞼を閉じる。
「うん。レニしかいない」
瞼を開く。ラジィの真っ直ぐな視線があった。
彼は頷く。そして言う。
「僕もそう。レイチェルだけ」
ラジィは今日、初めて笑った。

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