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Prologue

 

The sky is blue beneath a hemispherical dome.

The ground is covered with stones.

The birds cry through electric circuits.

 

An electric cat crosses the path.

 

A girl sits by the river.

The breeze is clear.

 

“Refill, please.”

 

“I’d be happy to.”

 

The girl stands.

Her arms open like a flower.

Her copper lips tremble.

 

“It’s Leni’s Song.”

Jeweletta Stories

Jewelettas — jewel-born artificial beings — sing, cry, and quietly live beside humanity.

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-Leni Arc-

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30_届けトムソン#03

リックとピッポは連れ立って帰って行った。歩幅が違うのに、全く同じ速度で何も喋らずさっさと歩いて行ったのを見て、レニは心がとても和んだ。


「すごいね、あの子達。感動しちゃった」

「うん」

アイスクリーム屋には、時々客が訪れる。1人の客も、グループも、カップルも、家族も、笑顔でアイスを買っていく。レニは時々、ジェンの隣でカップやコーンを用意した。

「あたし、本が好きでね」

ジェンが、作業台をダスターで拭きながら言った。

「知ってる。ナオキといつも一緒に読んでた」

レニは消毒用のアルコールを手渡す。バーチャンの家の光景が、跳ね上げ扉の向こう側にふわっと浮かんだ。

あの頃、みんな一緒で、楽しかったな。

ジェンがウォーターのボトルをくれた。プシュ、と開けてごくごく飲む。トマトの酸味がエネルギッシュで心地よい。

ジェンも隣でボトルを開けた。

今は、好きなところで冷えた飲み物を飲めるようになった。ぬるいコーラはすごくまずい。それでも、みんなのご馳走だった。

「あたしたち、空想は好きだった。……でも、考えたことないわ」

パラソルが3つ。ラピがローラースケートでそれらの間を通過する。

「未来を変える、ってことを」

ラピちゃーん!とお客さんが名前を呼ぶ。ラピはニッコリ笑って、大きく手を振る。

「働く場所や住む場所が変わっても、今しか見えてなかったわ。セントラルの学生って、すごいね」

レニは、スプリング・ライトの中で笑う人たちを眺める。そうなんだ。光があるのも、決して当たり前じゃないんだ。

「うん。すごい人たち」

「頭の中にあるのは、今日のご飯や明日の仕事のことじゃない。何年も、何十年も、何百年も何光年も先なのね」

レニは、ボトルの水を飲み干した。力を込めると、プラスチックがべコンと凹んだ。

「クリスマスにね。……リックに、私、昔の仕事を話したの」

ジェンが静かな気配になる。自分のボトルをコト、と置いた。

「そうなんだ。ポンプは立派な仕事だよ」

レニは左手首を見る。黒いウォッチ。生まれた時からつけている。

「ウォッチは、そうやって言うけどね。理由はどうあれ、人を殺す仕事なのよ」

月の市民は、ウォッチを通して全てをマザー・カグヤに管理される。生まれたことも、生きてることも、名前もゲートも死ぬことすらも。

コンピュータが、ゆるやかに人を間引きする。人間が増えすぎないように。生まれた分とのさ同じ数だけまた殺す。

その執行人が「ポンプ」というマーダラー。


食えない。

住めない。

奪われる。


それが6区。


金のため。

生きるため。

自分が間引きされないため。

ポンプは殺す。コンピュータの意のままに。


そういう世界で生きてきた。


「……彼、なんて?」

ジェンが聞いた。レニはゆるゆる首を振る。

「驚かなかった」

「そっか」

「色んな可能性は、彼なりに考えていたのかも。ボディーガードをしてるって話したから」

初めてのデートの時。


……客?


あの時の彼の、青褪めた顔が忘れられない。色んな可能性が頭を巡ったはず。ポッティ?トリル?初デートする女の子がもしそうだったなら、2層の人にはショックだろう。

でも、ポンプも同じ。言われるがまま、仕事だからと自分を騙す。

本当は、そんなのやりたくない。生きるためでないのなら。

「レニは自分のことを話した。……リックくんは、レニに何を話したの?」

あの夜。私は同じ場所にいた。

モリーと出会う前の私。ビルの屋上で、ムーンバレーの夜景を眺め、私は胸に手を当てた。


鼓動。

武器。

理論武装。

そんなものだけ握りしめ、ワイヤー1つで飛び降りた。


あの時に、聞こえた気がした風の音。


ーー誰もが自由に生まれて死ねるようになれば。


風が吹く。シグナルのスコアを色に乗せ。


「……リックは私に、世界の仕組みと未来の話をしてくれた」


ーー月に川を。


「リックは、川を作るのよ」

「川?川って、水がたくさん地面を流れる、地球のあの川?」

「そう」

レニは凹んで小さくなったボトルを逆さに向けた。ぽた、ぽた。二つの雫が手のひらを濡らす。

これは水。月ではこれが、私たちの命を縛る。

「水がたくさんあれば、人は自由に生まれて自由に死ねるって。社会の仕組みが変わるって、リックは私に教えてくれた」


ーー今の仕事は?

ーーちゃんと笑える。水も美味しい。

ーーそう。良かった。


「間引きなんかしなくていい。そんな未来があるんだって、そう思って私は泣いた」


ーー多分。レニのことはずっと好きだよ。


「キスしたわ。幸福だった。怖いくらいに」

30_届けトムソン#02

「レニー!ヤッホー!」

「ジェン。調子どう?」

「モチロン!絶好調よ」

2層Bエリア公園。J&L Ice cream Shopと車体にプリントされたパステルピンクのキッチンカーに、レニたち一行は駆け寄った。

青と白のビーチパラソル3つ。テーブル席がセットされている。客はいない。いつも午後が盛況なのだ。

乗り降り口からジェンが出てきた。ライムグリーンのTシャツとジーンズ。ロゴの入ったトロピカル・カラーのエプロン姿。全員ジーパン。今日の服、これにしてきて良かったわ、とレニは胸を撫で下ろした。

人間4人の中で一番の長身。ジェンの後ろにで、ラピスラズリ・ガールのラピがにこにこしている。いつものローラースケート・スタイルで、ジェンの次に背が高い。

レニは腕を広げ、男子2人をジェンに示した。

「リックとピッポよ。リック、ピッポ。私の友達のジェニファー」

「ハーイ、よろしく。ジェンって呼んで。ジェニーでもいいよ」

ジェンがバッチン!とウインクし、ピッポがうおっ!!と呻き声を上げてよろめいた。

「リックです。よろしく、ジェン」

「わーやっと会えた!噂通り?噂以上?ネコ科男子かっこいいねー」

「ピ、ピピピピピッポ、です……!」

「あはっ、ピッポくんよろしく〜!若い!いいなー、学生さんって新鮮」

ピッポが両手を両目の前にバッとかざした。

「おおお……!!ま、眩しい……2人目の女神がここに……」

キッチンカーの軒先は日陰である。

「リック、女神って?」

「ピッポはサブカル好きなんだ。ギリシャか北欧あたりの神話の女神じゃないかな」

「ふーん?」

「そんで、こちらウエイターのラピちゃん!2人でお店やってるのよー」

ジェンがラピの両肩を抱いた。髪はブルネットと青紫、肌は小麦色と水晶、パワフル系と清楚系。カレーライスと冷やしそうめんくらい、視覚的な対照度が非常に高いツーショット。

「3人目の女神が……!?ぐおおおおおっ!」

ピッポがついに膝をついた。リックは中腰になって彼の顔を覗き込む。

「ピッポ?コンタクトずれた?」

ジーザス、と天を仰ぐポーズ。

「美女の過剰摂取で目が潰れる……。用法用量をお守りください……」

「えーと、なんの過剰摂取?」

リックの返答に、ジェンがやんやと手を叩いた。

「あははははっ!2人ともおっもしろいねー!もー涙出てきた」

「あっ、ラピも泣いてるわ。笑いすぎで」

「君たちそっくり。姉妹みたい」

「でしょ?あたしたち家族だもーん」

ジェンがくるりと背を向けて、キッチンカーに乗り込んだ。ブルネットのポニーテールが左右に触れる。レニはちらっとリックを見た。ピッポが立つのに手を貸している。

ふーん。そっか。今日の髪型、サイドテールで良かったかも。

「ハイハイ!アイスクリームどう?フレーバーはいかがしますかな?」

ジェンが手を叩き、3人は販売口に集まった。冷凍庫のガラス扉に、色とりどりのアイスクリームが12種類。冷気が漂い心地よい。

「私、オレンジ」

「僕はキウイ。ピッポは?」

「もう何が何やら……なんでも食べます……」

「じゃあ、ジェンのオススメね。今日は何?」

「バニラよ!」

「いつもそれ。在庫処分?」

「いいでしょ?サービスするから。ピッポくん、雪だるま作ってあげる」

ピッポが両手で顔を覆った。

「うぉぉぉ……。輝く笑顔で灰になる……!召される……!」

庇の下の照度はかなり低い。ジェンが再びケラケラ笑い、レニはふふっと肩をすくめた。差し出されたオレンジ・シャーベットを受け取る。

「付き合い長いけど、ピッポがこんなに面白いとは知らなかったなあ」

リックがキウイ・シャーベットと、ついでにバニラも受け取った。ラピの先導で、パラソルの下へ移動する。



「リックくん、ナオキとつるんでるんだって?どんな話するの?」

「本とかバイク。あと土木」

「へーっ!ナオキが1番好きな話じゃん。あのオタクトークについてきてくれる人がいるんだねえ」

「私はいつも半分もわからないわ」

「専門用語のオンパレードなのよねー」

ジェンはウォーター・ボトルを片手に肩を竦めた。フレーバーはトマト味。ジェンのお気に入りである。

「ピッポくんは、何を勉強してるの?」

「おれ……ぼ、ぼくですか!?光工学を少し」

リックが机に両肘をついて身を乗り出した。なんか大事な話だな、と察し、レニはくっと顎を引く。

「少しなんてもんじゃない。ピッポもそこそこ天才なんだ」

「そこそこってなんだよー」

「光工学って、レーザーとか?」

前の仕事で、セキュリティに張り巡らされていたレーザー光線をレニは思い出した。あれは中々厄介で、髪が少し焦げたのだった。

ピッポがピン!と背筋を伸ばした。2段バニラのアイスクリームは完食している。

「ハイッ、レニさん!おっしゃる通り、レーザーやLED、光通信、センサーなど。光工学とは、光の発生、制御、検出、利用等に関する物理現象と、技術を扱う学問分野なのです」

リックを見ると、レニに軽く頷いた。

「ピッポはトムソン散乱を基礎にした、ワープ航法中の光通信を研究しているんだよ」

「ワープ航法?」

「ワープ・バブルを発生させて、すごーく遠くに移動するんでしょう?」

ジェンの言葉に、ピッポがうおおっ、と立ち上がった。椅子がガタッと音を立てて少しずれる。

「ジェンさん、お美しい上に博識でいらっしゃる……!そうです、お……ぼくはワープ・バブルを通過中に、光を交信できれば、と」

「ワープ・バブルの通過は時間がかかるもの?」

レニが聞くと、ピッポとリックは全く同じ速度と角度で頷いた。

「うん。民間では一瞬で通過するイメージがあるけれど、現実的には数分から数十年」

「その間、この宇宙から船体は消え、全ての通信が完全に遮断されます」

アイスクリームが無くなった。いつの間にかリックも食べ終わっていて、私が一番遅かったみたい。

アイスクリームを食べながら知らない宇宙の話をしてる。時間が伸びたり、縮んだりしているみたい。

「そういう仕組みなの?知らなかったわ」

今、自分がどこにいるのか曖昧になる。とても不思議な時間だわ。

「あんなに近い火星でも、3分間の空白時間が存在するんだ」

「へえ」

ジェンが身を乗り出した。

「ピッポくんは、なぜそれを?立ち入ったことならスルーしてね」

昔から、ジェンはこの手の話が好きなのだ。どちらかといえばオカルト好きだが、SFももちろん守備範囲。

「いいえ、ジェンさん。それどころか、お聞きいただき感謝の念に耐えません」

リックが、レニとジェンにウインクをした。ぱちん、と爽やか。なんかびっくり。顎でクイッとピッポを示す。

「聞いてあげて。こういう話は、学生同士はやりづらいんだ」

ピッポがうんうん頷いた。

「ほんとになー。俺、リック以外に初めて話すかもしれん」

「そうなのね」

「聞きたいわ」

ピッポは斜めになった椅子を戻して、机の上で指を組んだ。さっきまでの陽気さは消えて、夜色の瞳が深く一点を見つめる。

「おれ……、こほん。……ぼくは、プロキシマへの移送船に、光を届けたいのです」

パラソルの影の円形に、重い感じの沈黙が降りる。しゃら、とラピの髪が靡く音がした。


プロキシマ・ケンタウリ。


ケンタウルス座α星内で、太陽に最も近い赤色矮星。月からの距離は4.24光年。

ハビタブルゾーンの存在が観測されており、惑星群へ人類の到達が望まれている。


光の速さで4.24年。

スイング・バイで約2万8000年。


「ワープ期間は150年。コールド・スリープは搭載されていない。完全に孤独な旅路です」


レニは目を瞑る。想像してみる。


「宇宙から消え、声も光もそこには届かない。ただ死ぬまでの時間を、音のない暗闇で過ごさなければいけない」


光がなく。

音がなく。

着くことも帰ることもできない船の中、ただ息をして食べて寝る。

同じ運命の人々と。


「プロキシマは流刑星だ」


ピッポの声は低く静かだ。目を閉じていると、耳の奥で反響する。


ダイヤモンドに、火をつけた男がいた。


「流刑はすなわち極刑だ」


そのダイヤモンドは、数えきれない人々の遺骨。


「コールドスリープを排除して、型落ちのスペースシップにスシズメにして、150年ワープ・バブルに閉じ込めて」


燃えたのは、ダイヤモンドと生きた人間51人。


「死んだらそこまで。運が良ければ子孫がそこに着くんじゃね?って」


その男もまた、送られたのだ。暗闇へと。


「人間のすることかよ?それが科学の使い方か?絶対に違う」


あの色と熱さを覚えている。

あれが火だ。


「罪を犯したからってさ、お前はいらない、どっか行って消えちまえ、死ぬまで1人で苦しめって……。なかったことに、いなかったことにしてさ」


なんという静けさだろうか。レニは瞼をそっと開けた。


「どんな人間も、存在そのものを奪われてはいけないんだ」


眩しい。これが、今、私のいるところ。


ピッポの両手は、いつしか固く握られていた。血管がところどころ浮き出る、顔に比べて大きく無骨な手の甲だ。

シャラ、とラピスラズリの青い髪の音がする。


「俺は、取り返しのつかない運命の中で死を待つ人に、それでも、声と光を届けたい。一瞬の明滅でいい。消えたとしても、瞼の裏に届いたら」


宵闇の青。どこか遠くに結ばれる焦点。


「死の瞬間は孤独じゃない。そこから、誰かに光はまた届く」


それは光。

30_届けトムソン#01

「お、リックー!」

「ピッポ、こっち!」

セントラル・ターミナルの改札前。レニは先に合流していたリックと、トロリーを降りて駆け寄るピッポを迎えた。

「レニ。彼はピッポ、僕の友達」

「よろしく、ピッポ。私はレニ」

「ひゃい!!よ、よよよ、よろしくお願いします……!!」

ピッポの第一印象は、ザ・学生。

癖毛の黒髪にミッドナイト・ブルーのつぶらな瞳。ファッションは白Tシャツとジーンズとグリーンのネルシャツ。靴はオレンジ色のスニーカー。

ピッポと並ぶと、リックが急に学生にしか見えなくなった。ボーダーのTシャツとジーンズでいつもと同じ服なのに、なんか不思議。

レニもいつもの通り。フィットサイズの黒Tシャツに、いつものジーパン。靴は赤白。今日は髪をサイドで結んだ。少しくらい変化がないと、という精一杯の洒落っ気である。

「ほわー……。ほんとに美人レトリバーだ……」

「レトリバー?」

「あっ!なんでもないっす!」

ピッポが慌てて両手を左右に高速で振った。地球の車のワイパーみたい、このジェスチャー、リックも前にやってたわ。えーと、なんの時だったっけ?

それはともかく、お友達に彼女を紹介するのにレトリバー?

「リック?私、犬は好きだけど、もっと他の説明ないの?」

「あーいいなぁ……。やんわり叱られたい……」

ピッポがなぜか嬉しそう。リックは自分の首の後ろに手をやった。

「ゴメン、それしか言葉が出なくて」

「かわいいとか、色気あるとか、あるんじゃない?」

「もちろんいつもそう思ってるよ!で、でも……、口に出すのは……」

「いや、なんか他にも色々言ってたぞ。アオハルとかベンベンとか、アサボラケとか」

「ピッポ違う。アハルテケとベンガルとアサギマダラだよ」

アハルテケって、前も言ってた気がするわ。金色のお馬さんよね。

ベンガルとアサギマダラって何かしら?

「どんな生き物か後で調べるわ」

「レニ、全部最高なんだよ」

「わかってるけど、アハルテケ以外は、私、初めて聞いたもの」

「あのね、ベンガルは猫で……」

「ふふっ。私、犬なのに猫なの?」

「いいなぁ……はんなり優しい年上美人」

駅構内を3人で歩く。左から、リック、ピッポ、レニの順。

「ピッポ。ライカのこと聞いた。なんか大変そうね」

「いや、まー外野が騒いでるだけなんで。ライカ本人はケロッとしてますよ」

ピッポはこめかみに手をやり、そのまますかっと空振りした。

「そうなの?なら安心」

「でさ、ピッポ。新事実が判明したんだ」

リックが少し屈んで、ピッポを横からから覗き込んだ。

「新事実?」

レニもピッポを覗き込む。ピッポはリックとレニの顔の間で3往復ほど顔を半回転させた。

「そのナンパ男なら私の知り合い」

「ええっ!?」

「で、僕の友達」

「ええええっ!?」

あっはっはっは、と両サイドで笑い、周囲の人が振り向いた。しまった。ここは駅でした。

「まさかナオキだったとはね」

「相変わらず、メガネに目がないんだから」

「おおお情報量が多い……!!どーゆーことすか??」

リックが左手をくるっと翻した。見えない何かが乗っていそう。

「ライカはナオキに保護してもらったんだよ」

「保護?」

「3層は治安悪いから」

レニが横から補足する。リックが頷く。

「メガネを掛けて歩くっていうのは、カモです、ってネギぶら下げて歩いてるようなもんなんだって」

ほえー、とピッポの右手がまた額の近くを空振りした。それ、リックもよくやってるなー、とレニはなんだか微笑ましい。

「ライカ、メガネ掛けてたのか?」

「ダテメガネ。変装のつもりだったみたい」

「ああー!そういや大学でも時々かけてる!リック追いかけてる時」

「え?」

ピタ。

…………。

「ふーん。なるほどね」

「あ……しまった、失言です。忘れてください」

「あのさ、ピッポ。それ、今言う?」

「ぷっ、あははっ」

「レニ?」

「レニさん?」

「あーおかしい。2人、失言の仕方がそーっくり」

リックが額に手を当てた。隣のピッポも、全く同じタイミングで全く同じことをした。

「あちゃー。なんかすんません……」

「……僕、気をつけるよ」

「気にしてないわ、かわいいもん」

「ありがとう、レニ。でも、かっこいいって言われてみたいなあ」

「あら。そう?」

「うん」

「そのうちね」

「やった」

「おおらか美人のおねーさん……いいなぁ……」



外はスプリング・ウェザー。最近春の日が多い。ウェザー予約が同じ人なのかもしれない。

「レニ。これからどうする?」

「アイス食べない?」

「いいね」

打ち合わせ通りの成り行きであるが、なんだか楽しい。秘密のミッションやってる気分。

レニは7時の方角を示す。2層Bエリアノース。

「ピッポ。私の友達も紹介する。アイスクリーム屋さんなのよ」

29_あの日の風の色#05

「用意はいい?よーい、どん!」


ホワイト家の庭。距離はおよそ10メートル。レニの合図で走り出したのは、ラジィと一体のジュエレッタ。

「ゴール。エルバが先」

「Yeah」

少し遅れて、ラジィがジャンの地点へ到達。ラジィはぺたんと尻もちをつき、地面に両手を置いて大きく深呼吸。

「スイカ、速すぎるよー」

「Yes」

ふむ、とレニは計測器を見る。ラジィの身体能力は、トレーニングを開始してから安定して伸び続けていた。合気道の体幹と呼吸が、基礎体力を向上させているのだろう。

人工脚が、いよいよ彼の一部になったらしい。

「痛いところはある?」

「ない!楽しい!」

「ミスター・ジャン。これいいかもね」

ジャンは、好々爺全開のスマイル。

「まさしく。レニ殿に感謝ですぞ」

ひょんなことから彼が前職の大先輩であると知った今となっては、こそばゆい心地である。

「私1人のアイデアじゃないわ。ラジィ、新カリキュラムが決定した」

ラジィが、パッと体を起こした。うん。上半身の反射もグッド。

「スイカとかけっこ?」

「そう。楽しくなるね」

「いえい!」

ラジィがぴょん!と飛び跳ね、タタタ、とレニに駆け寄った。

「ねえねえ、レニ」

「何?」

にーんまり。ん?これは、何か企んでる顔?

ラジィが口に片手を当てたので、レニは屈んでそこに耳を近づけた。

「リックお兄ちゃんが言ってたよ。走って会いに行きたいくらい、レニに恋してるって」

あら。いつの間に、リックはラジィとそんなに仲良くなったのかしら。

レニはふふっと微笑んだ。

「それ、なんかわかるかも」

「なんで?」

「リックはアビシニアン・ボーイだから」

「アビシニアンって?」

「狐色の猫。とっても脚が速いのよ」

へーっ!とラジィは走る真似。足踏みの速度が安定している。

パッ、と彼は動きを止めた。見上げる澄んだグリーン・アイ。

「レニも恋に落ちた?」


走って会いに行きたいくらい恋してる、ですって?

もう。リックったら。それ、ラジィじゃなくて私に直接言ってくれていいんじゃない?

そういうシャイなところも、好きなんだけどさ。


レニはドームの天井を見上げた。

「そりゃね。もう真っ逆さまよ」

「それ、リックお兄ちゃんも言ってた。世界がひっくり返ったって。どういうこと?」

指さす先は、スプリング・スカイのアオゾラ。レニが一番好きな色。

「あの青が、地球の海に見えるくらい。そこに落ちる。いいえ、飛ぶの」

「真っ逆さまに飛んでくの?」

風を頬に感じた気がした。目を細め、見えない香りを追いかける。


きっと、それは雨の匂い。


「そうよ。私は鳥だもの」

29_あの日の風の色#04

ピピ。

ピ。


『やあ、レニ。今、時間良かった?』

「もちろん。私も電話しようとしてたの」

『気が合うね。僕の友達を紹介したい、って言ったら困る?親友』

「いいえ。嬉しい。私の友達も紹介していい?」

『もちろん!すごく嬉しいよ』

「今度の日曜?」

『レニ、空いてる?』

「うん。友達がやってるお店に行きましょ。キッチンカーのアイスクリーム屋さん。Bエリアの公園のとこ」

『いいね!僕の友達、大学の同級生でピッポっていうんだ。面白いやつだよ』

「ジェニファーよ。私の1歳年上。彼女もジュエレッタと暮らしてる」

『へー。お店はその子とやってるの?』

「そういうこと」

『待ち合わせは何時にする?』

「10時かな。セントラルの改札で」

『オーケー。レニとずっといたいけど、アイス食べたら僕らは帰るよ』

「わかった」

『またね。楽しみにしてる』

「うん。じゃあね」

『バイ』


ピピピ。


『ハーイ、どしたのー?』

「ジェン?レニよ」

『あはっ、見ればわかるよー、元気?』

「今度の日曜日、リックを紹介するわ。10時半ごろJ&Lに行くから」

『えーっ!!ホント!!??』

「彼の友達も一緒よ。同級生で親友だって」

『お友達も!?彼氏いい人だねー!!』

「うん」

『嬉しい知らせをありがとう!!アイス全種類用意して待ってる!!』

「ありがとう」

ピ。

「私を、友達に紹介してくれるんだって」

自室の窓辺。街灯りとネオンを窓枠の絵画に、レニはモリーに顔を向けた。モリーは、ニコッと笑って両手のひらをぴったり重ねる。レニはふふっと微笑んだ。

「何着てこうかなー」

クローゼットの中身を頭の中で展開する。Tシャツが3着。タンクトップが2着。ジーンズが2着。チノパンが1着。ジャケットが2着。新入りのワンピースが1着。

ワンピースかな?でも、リックの友だちの前におめかしして出ていくのは、ちょっと恥ずかしいかも。ジェンもいるし、なんか照れる。

「よく考えたら、公園にアイスを食べに行くだけよね。いつものジーパンでいいや」


“Mory. Refill.”

"Would you like to listen?, Leni.”

“Pops please.”


Mory smiles.


“Yeah. It’s WAKA WAKA.”

29_あの日の風の色#03

「恋ってどういう感じ?」

自室のソファで、ラジィは足をぶらぶらさせつつアメに聞いた。アメはラジィの右斜め前で、横顔のままふむ、と一度頷いた。

「ラジィは恋をしているのか?」

「わかんない。恋と好きって違うもの?」

こてん、とアメの首が傾く。虹の瞳がラジィに向いた。

「ラジィは好きなヒトがいる?」

「うん」

グレーのつま先をじーっと見つめる。プロステティックの脚は、思い通りにちゃんと動く。

「僕ね。大きくなったらレイチェルのダンナ様になるんだよ」

イイナズケ。僕がこの家にもらわれてきた理由。わかっていたけど、なんかフクザツ。

レイチェルは、すっごくかわいい。話すと楽しい。会えないとしょんぼりするし、会えたら、僕は舞いあがって、余計なことを言っちゃいそうになる。26回の洗浄が、お湯のシャワーに思えるくらい。

アメがぱちっと瞬いた。

「なるほど」

「なるほどって?」

「ラジィはレイチェルが好き」

「うん」

「しかし恋かはわからない」

「あ!そう。そういうこと」

そこが言いたい。いつもアメは、僕が言いたいことをずばっと言葉にしてくれる。

好きと恋って違うもの?わかんない。

「リックお兄ちゃんは、雲の上を走って会いに行きたい、って言ってた」

「なるほど」

「僕、レイチェルに走って会いに行きたいかなあ?」

「ラジィは、走ることが好きだろう?」

「うん。でも、走るよりクルマの方が速いでしょ?」

「ふむ」

アメは顎に手をやり、ほんの少し首を前に傾けた。

「アメ、何かわかった?」

「そのリックの言う走る、の定義は、おそらく速度のことではない」

アメの瞳に内包された細い傷が七色にきらめく。高速演算モードだ。

「つまり、恋は衝動、ということなのでは?」

しーん。僕は腕組みをして大きく首を傾ける。アメの瞳が僕の動きをじーっと見てる。分析中かな?

「うーん、よくわかんない。アメ、わかる?」

「ボクには、恋の理論はわからない」

「そーだよねー」

恋の理論。恋の先生って、どこに行ったらスカウトできるんだろう?

アメはウィン、と首を水平に動かした。お、なんか思いついた?

「レニにも聞くというのは?お互い恋をしているのなら、その相違点は参考になる」

なーるほど!リックお兄ちゃんの答え合わせができるんだ!

「そっか!明日聞いてみる」

29_あの日の風の色#02

J&L Ice cream Shop


「あたしだけ見てない」

「そうだっけ?」

休憩時間。ランチタイムをレニはジェンの店で過ごしていた。ラピはいつも通りのローラースケート・スタイルで、車の前でにこにこしている。

パラソルの下のテーブルには、持参した固形食とミント・ウォーター。デザートには、パイナップルのアイスクリームを頼む予定。

「ラジエルさまも、リックくんをご存知なのよ!」

テーブルの対面に座るジェンが、ずずいっ、と身を乗り出した。テーブルにどーん、と乗ったバストがスイカのようである。

でっかいなー、とレニは視線を下にした。真っ平らってわけじゃないけれど、フルーツに例えられるほどのボリュームはない。

「ああ、猫探しで話したって言ってたっけ」

大は小を兼ねるというし。レニは羨望の眼差しで、じーっと小麦色の谷間を見つめてしまった。

「みんなずるいわ、あたしも見たいー」

「えーっと……」

我に帰り、頭の中でスケジュールをパラパラ確認。今度の土曜は私は空いてる。リックはどうかな?今日はバイトがあるって言ってたし、夜に電話で聞いてみよう。

「そのうち、一緒にアイス食べに来る」

「ほんと!?絶対よ!?」

「うん」

ジェンがにまーっと笑ってさらににじり寄る。長いまつ毛がぱちぱちっと、シューティングスターのように瞬いた。ブルーの瞳がらんらんしてる。

「それでそれで?もうキスした?」

「うん」

レニはこく、と頷いた。ピリ、と封を開けてビスケットをつまんで齧る。

「えーっ!!いつ?」

「クリスマスに」

「なにそれロマンチック〜!クリスマスデートはどこに行ったの?」

「えーと、あそこらへん」

レニは、東の空を指差した。

「えっ、タワーディナー!?ドレス買ったの!?」

「違う違う。Cエリアの複合ビルの屋上」

「うーん?そんなところに何しに行ったの?」

「惑星間通信デコードのランプの明滅を見に」

「??つまり、どういうこと?」

「クリスマス・イルミネーションかな。ドーム壁面の受信ランプ、各惑星からの信号が違う速度と間隔で光るのよ」

「なにそのイルミネーション!?かっこいーー!!」

「うん、かっこよかった」

レニはぎょっとした。

ジェンを見ると、明るい笑顔のままで、両目だけが大泣きしていた。大粒の涙が、ポロポロとあごを伝い、地面が濡れてすぐに乾き、また濡れる。

「ジェン!?今の話で泣くとこあった?お腹空いた?」

「あははっ、違う違う……」

ジェンは腕でぐい、と顔を拭った。笑顔はどこかぎこちない。左右の動きがチグハグで、レニはかつて割れて修理されたジュエレッタの金の継ぎ目を思い出した。

「……あたしの初恋、レニだったんだー」

「そうだったの?」

「その大げさに驚かないところ好き。覚えてる?初めて会った日のこと」

「忘れないよ」

ジェンは背もたれに身体を預け、足を組んで腕を後ろにだらんと垂らした。

「14の時だから、もう5年前かあ。6区の路地裏で、……あたしがマワされそうになってた時に、2人が助けてくれたよね」

「最初に助けたのはナオキだよ」

「うん」

ジェンが両目を瞑る。瞼がぴく、と痙攣した。

「でも、相手は5人もいたし、あいつチビスケだから、すぐボコボコにされてのびちゃって」

ブルネットの髪がさらりと肩を滑った。ポニーテールの毛先は、滝のように真っ直ぐ胸に落ちている。

彼は同年代でのケンカは決して弱くはないが、ケンカ慣れしてエモノを持ったチンピラに普通の子どもは敵わない。

「あたしのバージンここまでかー。口に突っ込んできたら噛み切ってやる、って思いながら、ボロボロのナオキにしがみついた時だよ」

ジェンは、瞼をそっと開いた。スプリング・スカイの淡いブルー。二重の瞼が、眩しそうに細くなる。


「金色だ、と思った」


ジェンは伏し目に、右手の指で髪を梳く。引っかかりのない、さらさらとした指通り。指の形はショーウィンドウのマネキンよりもずっと微細。

「気がついたら、男の体が、5つ地面に転がってた」

あの頃のレニはナオキと2人でつるんでたから、よくそうなった。ナオキは異変を察知するのが早いのだ。駆けつけた時には、大抵のびていた。

「助かった、より、なんで?の方が先にきた」

ジェンはレニを見る。くしゃりと笑った。いつもの顔で。

レニはウォーターをごく、と飲む。ぬるくなっているけど、ミントの清涼感がある。

パラソルの日陰からはみ出した足の靴。レニは赤白の、ジェンは黄色のスニーカー。

「よく見ると、ジーンズ姿の金髪の子が立っててさ。スッとあたしに近づいて、しゃがんで帽子を取ったんだ。それで言ったの」

「大丈夫?間に合った?って」

「あれ、世界で一番カッコ良かった」

ジェンは14歳の少女のように、前歯を見せて笑った。そばかすはいつの間に消えていたんだろう、と今更気づいた。

レニは思い出す。今では遠ざかった、あの暮らし。


ーー大丈夫?間に合った?


うん。確かに言った。同じ言葉を、何度も。何人もに。

間に合わないことが、時々あった。助けた後で、少女たちの涙と体液をレニは破いたTシャツで拭った。

6区の暮らしは気に入っている。そこでずっと暮らしてきたから。

けれど、そこがそこそこ地獄であるとも知っている。地獄しか知らない人たちが、ひしめき合って暮らしている。

だから、レニはポンプになった。そのせいで少し疎遠になっていたけど、またこうやって、気兼ねなくみんなと話せるようになって、とても嬉しい。

ナオキのおかげかもしれない。

ロバート・ブラウン。リック。ライカ。

違う世界の人たちが、いつのまにか内側にいる。

ジェンが肩を揺すった。両手の指を胸の前で組み合わせる。いわゆるお姫様ポーズ。

「これが恋?って思いながら、ぽーっとなってスミレ色の瞳を見つめていたら、ナオキが気づいて」

そして片手を翻す。

「レニ、サンキュ、って」

シニカルな笑顔がナオキにそっくり。ジェンは天を仰ぎ、ホールド・アップのポーズをした。

「もうね、ドンガラガラガラガッシャーン!よ」

「ドンガラ?ガッシャーン?」

「その時のあたしの心象風景」

はあぁ〜〜、と地を這うようなため息。ジェンは机に突っ伏した。左の頬がテーブルに密着している。

「まじ?女の子だったの?って。ジェニファー初めての本気の恋、多分10秒くらいで終わった」

少し遠くで、猫が鳴いたような気がした。

「知らなかった」

「言わなかったから。……ていうか、言えないよー」

ジェンは身体を起こし、指で左右の眦を拭った。レニは、あれっ?と思い至る。

「あの時、それでジェンは泣いたの?」

「違う。あれは、ほんとにお腹が空いてた」

ジェンはにっこり笑った。レニの視界に、キッチンカーの前のラピの笑顔がピンぼけに映り込む。

「でも、今は多分そう」

涙が頬を一筋伝った。


「これ、14歳のあたしの涙。今、失恋したんだわ」

29_あの日の風の色#01

「あーっ!リックお兄ちゃん!」

「やあ、ラジィ」

2層Aエリアホワイト家の正門。インターフォンを押そうとしたリックの元へ、ラジィが駆け寄ってきた。前に見た時よりも足取りは軽快。

ラジィが門柱に手を翳し、正門が音もなく開く。古典的なデザインだが、音は実装していないんだな、とリックは門の稼働部分を眺めた。

「クロを捕まえてきたよ。眠らせてない。起きてる」

「僕もあちこち探したんだ。どこにいたの?」

「あの上」

「屋根?どうやってつかまえたの?」

「登って」

「どこを?」

「えーと、これはナイショだよ」

リックはしゃがんで、ラジィと同じ向きに顔を向けた。彼の目線の先に人差し指を伸ばす。

「ほら、あの木。痛めないよう登ったはずだから許して」

同じ目線でウインク。ラジィは、あははっ!と笑ってぴょんと飛んだ。

「お兄ちゃん、猫みたい!」

「あはっ、猫好きだから嬉しいな」

立ち上がる。庭の電気蝶はモンシロチョウ、ギフチョウ、ムラサキシジミ。代表的なスプリング・エフェメラル。

「ねえねえ、リックお兄ちゃん。うちの猫、よくいなくなるでしょ?あれ、ジャンのしわざ!」

しわざって?

「どういうこと?」

ラジィは仁王立ちで腕組みをして、首をうーん、と傾けた。

「レニが忙しいから、別のギョーシャさんに頼んだって、僕に言っていたけれど……」

レニ、と聞いて頬が綻ぶ。ラジィとは前にも一度話したけれど、レニにとても懐いているので、リックはほのぼのとした気持ちになる。

ラジィがピン、と腕を伸ばし、上に向けた人差し指をリックに向けた。

「多分ね、また、なにかのしわざ!楽しいことするつもりだよ」

猫探しは、本来必要のない仕事。猫のリアル指数を通常モードにすれば、定められたエリアからは出ていかない。わざわざ猫を逃すのは、いわば慈善事業なのだ。

コンピュータを誤作動させて、人ができる仕事を作る。施しといえばそうだけれど、様々な側面があるらしいことも知識としては知っている。

レニも、猫探しを口実にスカウトされたと言っていた。ラジィの言う仕業はそのへんだろう。

「そうなのかな?ラジィ、トレーニングはどう?」

ラジィは、くるりと一回転してジャンプをしてみせる。滑らか。

「順調!レニがいるとね」

「レニがいると?」

ラジィは両腕を振り、屈伸運動を始める。クロが足元に寝そべるニャーと鳴く。

「週3だから、いない時はたいくつ。だれかとかけっこできたらなー」

「そうだよね」

ラジィがリックにぴょんぴょんぴょん、と近づいた。くりっとした大きな翠の瞳が見上げる。

「リックおにいちゃん、レニに恋した?」

「えっ!!」

「あ、当たりだ!」

あったりー!と大ジャンプ。プロステティックの素足の踵が、15センチほど地面を浮いた。

「ラジィ、どうしてわかるんだい?」

リックは首の後ろを指で掻く。感情の機微が反射的に出る人間ではなかったはずだと自己分析。

「お兄ちゃん、レニの名前で耳が赤くなるんだもん」

「ははっ、まいったなー」

それはレニにも言われた。目も口も頬もコントロールできるけど、耳だけは丸わかり。

レニに言われる前は、7歳の時だったかな。耳が赤いって指摘されたの。

「お兄ちゃん、恋に落ちたの?」

「……うん、もう真っ逆さま」

僕、何か変わったんだな。

「真っ逆さまってどういう意味?」

リックはドームのスプリング・スカイを指差した。今日のウェザーは運量5のサニー。


「世界がひっくり返っちゃった。雲の上を走って会いに行きたいくらい、大好きってこと」

28_たったひとつの冴えたやりかた#04

「ただいま、モリー」

「お邪魔します」

レニのアパート。リックは軽く会釈してからドアの境界を跨いだ。レニは身体を壁に寄せる。リックはあっ、と声を上げた。

「わあ!一緒に暮らしてるって言ってたの、ジュエレッタ?すごい」

明るい声で歩み寄る。彼の人格を思えば予想通りの反応だけれど、それが一般的には奇跡的な感覚だとも知っている。

レニはモリーの肩に触れる。モリーはレニを見上げてニッコリ。いつもよりも、お姉さんな表情に見える。

「モリオン・ガール。モリーって呼んでる」

リックは人間の女の子に対するように、控えめな距離で膝をつき、自分の胸に左手を置く。

「やあ、モリー。僕はリック。よろしくね」

モリーは黒水晶の瞳を瞬かせ、首を傾げてニコッと笑う。モリーが銅の右手を差し出し、リックは軽くその手を握った。



「リック。ウォーターはキウイ、ストロベリー、グァバ、どれにする?」

「グァバが気になる」

「私も。半分こしよう」

すっかり忘れていたけれど、この部屋は椅子が1つしかないのだった。

リックは窓枠に手をつき外を見ている。椅子を勧めても、多分座らないだろう。

「はい」

「ありがとう。あ、すごく冷えてる」

「私の冷蔵庫に、冷えていないウォーターはないわ」

「何本くらい入ってるの?」

「3ダース」

「冷蔵庫というか、水専用個室だね」

レニは、窓の下枠には本日はテーブル役を務めてもらうことに決め、リックの隣、窓枠に沿って壁にもたれた。彼は部屋の内側に身体の向きを半回転させ、窓枠に腰を預けた。距離感はカップ2つ分。

「そのカップ。僕も使ってるよ」

リックがレニのマグカップを指で示した。セントラルでのデートで買った、猫のしっぽのマグカップ。持ち手の茶色の縞模様を、指でなぞる。

「私も毎朝使ってる。あったかい紅茶を飲むようになったわ」

朝からお茶を用意することは、2日目で習慣になった。フードをチンする間にティーパックをポンしておけば事足りる。温かい飲み物で目が覚めるし、日中の身体が軽くなる。もっと前からやればよかったな、と思った。

「僕はコーヒー。レニ、このグラスは錫?」

「わかるの?」

リックに出したグラスは、以前ビゼンにもらったもの。フローライト・ガールの修理の破片を成型した、オパール・ガールの錫のグラス。

「錫は熱伝導率が高いから、冷たい飲み物が美味しく感じられるんだって」

「へー」

「それに、銀イオンで液体の雑味がとれるとか。……うん、おいしいような気がする」

ふんわりとした感想が楽しくて、レニはふふっと笑った。

「水が美味しくなるよ、ってくれた人が言ってたの。そういう理屈だったのね」

リックは、左手で持っていたグラスに右手を重ねた。関節の目立つ長い指。こんなに彼の手、大きかったっけ。

「大切な物なんだね」

うん、とレニは頷いた。このグラスは、アンやワカバ、地球の景色を思い出させてくれる。

「ボディーガードのお礼だって。日本の職人なの」

リックがああ!と声を上げた。抑制の効いた理性的な人だけれど、驚きや喜びに関しての感情表現は反射に近い。

「あ、だからレニは日本の昔話を知ってるの?」

そういうところが、彼と話すとホッとする理由の一つなのかもしれない。

「うん。地球に行った時、その人の孫娘に教えてもらった」

リックが少し身を乗り出した。カップを丁寧に置き、後ろ手で窓枠に両手をつく。

「レニ、地球はどうだった?動物はいた?」

「鳥を見たわ」

「何色?どこを飛んでた?」

「山の中。小さめだった。逆光でよく見えなかったけど、茶色かな?」

「鳴き声はした?」

「うーんと……。チーチー?」

「エナガかな?……すごいなぁ。地球には、野生の鳥がまだちゃんといるんだね。ほんとにすごい」

ピーコック・グリーンの瞳がキラキラしている。本当に動物が好きなんだな、とレニはグァバのウォーターを飲む。

「カエルもいたよ」

「カエルも!」

「それと、オンセンに入ったの。巨大な水のお風呂。こんなことが許されるの!?って、びっくりしちゃった」

リックは錫のグラスを持ち上げた。ごくり、と飲み込み、彼の瞳が少し遠くで焦点を結ぶ。

「まさに水の惑星だ。地球はすごいなー」

しばらく静かな時間が流れた。時々目が合い、ニコッと笑う。話すことがないわけじゃない。話すことが全てじゃないだけ。

「地球へ、ジュエレッタを配達したのよ。名前はアン」

すごい、星間配達?とリックが猫目を丸くした。

「ジュエレッタって、どうやって運ぶの?」

「歩行機能があれば、チケット買って客席よ。アンはきちんと歩く子だったから、ミスなく届けられたの」

「アンは、今はどうしてるの?」

「国際地球博物館で、案内係をしている。アンはアンバー・ガールなの」

「琥珀か。ナビゲーターにはピッタリだ」

リックがモリーに視線を送った。モリーは小首を傾げてひらっと手を振る。リックもモリーに手を振った。

「モリーのカテゴリは?」

「シング」

リックがヒュウ、と口笛を鳴らした。その後すぐ口元に手をやり、気恥ずかしそうな顔になった。レニはクスッと笑う。口笛くらい気にしないのに。

「リック。良ければ一緒に聞く?」

表情がぱっ、と明るくなる。

「ぜひお願い」

彼、歌も好きなんだ。


“Mory, Refill please.”


Mory stands and bows.


“Sure. Leni. Welcome to our home, Rick.”


“Thank you for your welcome, Mory.”


Mory smiles.

The right hand puts on the chest.

The lips open with humming.


“For the Retriver girl and the Abyssinian boy.”


'This number is Just The Way You Are.”

28_たったひとつの冴えたやりかた#03

「いや入れ過ぎじゃね?」

設備の半分ほどが未電子化の喫茶店。窓際のソファー席で向かいに座るライカのカップにギョッとして、ナオキは思わずツッコミを入れた。

「ほえ?何がですか?」

ライカが選んだのはホット・ココア。ナオキは氷の入ったブラック・コーヒー。今日のウェザーは暑くはないが寒くもない。

3層は乾燥していて埃っぽい。ナオキはウィンターウェザーでも、よっぽど寒くない限りはホットは飲まない人間だ。そしてコーラを除き、飲料水で砂糖を摂取する習慣はない。水分補給はノンシュガーの水がお茶かコーヒーである。

「シュガー。よく見てなかったけど、3つは入れてたよな?」

ライカは銀のスプーンをぐるぐる回して砂糖の粒子を撹拌する。長い袖の端が濡れないか気になる。

「角砂糖のことですか?白3個、茶色5個です」

「はっ、8個ぉ!?ライカちゃん、いくらなんでも甘党すぎない?身体壊すよ」

甘ったるいホットのココアに、さらに8個の角砂糖を溶かし込んで飲むなんて、ナオキとしてはカルチャーショック手前である。

「ワタシ燃費がいいので、このくらいがいいんです」

ライカはくぴ、とココアを味わった。にぱっと笑い、もう一口。

ナオキはアイスコーヒーのグラスを持ち上げ、縁に口をつけて飲む。ちゃんと苦くてほっとした。

ま、他人の食い方をとやかく言うもんでもないか。

「それにしても、あの2人。何話してんのかなー」

ライカが窓に顔を近づけた。横顔の鼻先がガラスにくっつきそう。

「あまりこう、イチャイチャらぶらぶしているようにはお見受けしませんね」

淡々とした声音。表情も落ち着いている。

「そーだよなー。なんつーか、商談の席みたいな顔面距離だ。デートだよな?手くらい握れよー」

「全くです」

お、意外とクール。ナオキは、初対面の賑やかしさや先ほどの砂糖過剰投入で抱いたライカへの印象を改めた。世間知らずで変わってるけど、話はちゃんと通じそう。

よし。本題。

「ライカちゃんって、リックの元カノ?」

ガタガタガタガタッ!!

ライカは机の縁とソファーに身体を思いっきりぶつけつつ、凄まじい勢いで立ち上がった。

「もっ!?もももも、もと……かの!?それは、ナオキさん、つまり……、ワタシがリックくんと、かつて、お、おおおお付き合いをしていたかとお聞きしていますか!?」

「あの、大体わかった。落ち着いて」

ナオキはまあまあ、と右手を小さく前後に動かす。衝撃で倒れたラミネート加工のメニューを直し、テーブルに散らかった角砂糖を拾い集めた。

「今ので何がわかるんですか!?」

「ライカちゃんが100パー元カノではないってことと、なんかすげー面白いってこと」

ライカのアニメキャラクターめいた大きな瞳がまんまるになる。高速演算モード、って感じ。

「100パー……。100 percent?」

「なんでちょっと発音良くした?」

「モトカノではない……ううっ!厳然たる事実ですがカナシイ……」

ライカはすとんと椅子に崩れ落ち、机に突っ伏し肩を振るわせヨヨヨ、と泣いた。

「いや、そんな落ち込まんでも。砂糖いる?」

「オカマイナク……砂糖は既に適量です……」

「どう見ても適量は過ぎてっけど」

「じゃあなんで勧めるんですか!?」

「いや、なんとなくノリで」

ライカはううっ、と長い袖で両目を擦り、ココアをクピクピ飲み込んだ。

ライカのファッションを観察する。少し個性的だが、清潔で上質。ヘアスタイルは大人しめ。まったく世間擦れしていない所作と、駆け引きゼロの受け答え。

ナオキは大体の事情を察した。

リックの後輩か同級生だな。しかも、それほど親しくしているわけでもない。顔と名前を知ってるくらいの間柄か?

片思い中の先輩に彼女ができたって聞いて、夢中で追いかけてきたってところだろう。無防備にも6区に1人で。

「あいつモテるんだなー。そりゃそうか」

2枚のウィンドウを挟んで眺める向こうの店内。レニとリックの横顔が見える。2人の表情や仕草は和んでいて楽しげだ。

ムードはゼロだがいい雰囲気だな、とナオキはなんだか安心した。

誠実で優しくて、はにかみ屋ですげー純情。控えめだけど、意志が強くて男らしい。

何より、あのレニがスカート履くほどゾッコンなんだ。他の女の子がほっとくわけないか。

「ナオキさんは、レニさんと親しいのですか?」

その様子を眺めたまま、ライカがポツリとナオキに聞いた。

「3歳からの幼馴染だよ」

ガラスに映ったライカの頬がリンゴのように赤くなる。ごくん、と唾を飲み込んで、ライカは高い声でこう聞いた。

「ええと、じゃあ、……ナオキさんは、レニさんの……も、も……元カレ、ということですか?」

「ぶっ!!モ、モトカレ!?」

ガタタッ!思わず腰を浮かせてしまった。口の端に垂れたコーヒーを手の甲で拭う。ついでに机も。

「どーしてそーなる!?……あ、ゴメンゴメン!びっくりしただけで怒ってないべつに……。レニとはさ、そういうのはカケラもない。家族みたいなもんだよ」

ナオキの超オーバーリアクションにライカは動じた風もなく、人差し指を顎につけ、こてんと首を右に傾げた。

「うーん……。でも、美男美女で、とてもお似合いに見えます」

ナオキはストリートの向こうの店のレニを見た。美男美女?お似合い?全然ピンとこない。

「そーかぁ?」

「クール系の金髪美女と、南国雰囲気の和風美男子。並ぶと非常に絵になります」

ナオキはグラスを口に運ぶ。氷を一つガリガリ噛んだ。

うーん……。そーゆーの、まじで考えたことないな……。なんでだろ?

「タイプじゃないし。お互いにさ」

うん。そう。3歳からの幼馴染で、お互いのみっともないとこ全部知ってる。

「たいぷ?」

「レニは静かな女だからさ。一緒にいて落ち着くし楽だけど、それって恋じゃないんだわ」

家族同然で妹みたいに大事なやつだが、女の子として好きになった瞬間は、多分一度もなかったな。あいつおれよりすげー強いし、おれより女子にモテててたし。やべーところ、何度助けてもらったか。

「レニは静かな女、ですか」

ライカはキョトンとナオキを見つめ、次に窓の向こうを見つめた。

「ワタシとは正反対ですね」

レニか、リックか、どちらを見ているのだろうか。両方かもしれない。

「ライカちゃん、リックが好きなの?」

ライカはこくんと頷いた。

「はい。彼の研究理念は尊敬に値します。そして、ふとした時間に人柄や容姿、その他諸々のパーソナルを考えてしまう。その時の心拍、頬の火照り、時間感覚の欠如などを踏まえ、ワタシは彼に好意を寄せている、と判断しました」

照れも動揺もない。わかりきった事実を第三者に伝えているだけ、といった感じだ。

何度も1人で考えて、自分の気持ちに向き合って、長い時間をかけて石碑のように胸に刻んだ言葉だろう。

「そっかぁ……」

切ないな、とナオキは思った。

「ナオキさん?」

「ちなみに聞くけど、レニのことはどう思う?」

この子、何年リックのことが好きだったのかな、と想像し、恨みごとを聞いてもいいとナオキは思った。

ライカはくしゃりと微笑んだ。今日見た顔でダントツ1番、チャーミングな表情で彼女は胸に両手を重ねる。

「レニさんは、ワタシの無知を助けてくれました。街を歩くことが、場所によっては安全ではない、とは考えの及ばないところでした」

なんか、めっちゃいい子だな。ナオキはライカの純粋そうな瞳を見つめる。か弱く見えても、その頭脳はセントラルの超エリート。

おれたちみたいに、今日だけ生きてる人間じゃない。月の未来を切り開く女の子なのだ。

この子は、何を研究しているんだろうか。

「今日もまた、ナオキさんに教えてもらいました」

ありがとうございます、とライカが深々とお辞儀をしたので、ナオキは慌てて背筋を伸ばした。

「僕、何か言ったっけ?」

ライカはバッグから、楕円のケースを取り出した。イチゴ色で、開閉部分に白と青のラインが細くデザインされている。

「メガネを仕舞った方がいい。なるほど、メガネをかけている人は1人もいません。変装のつもりが逆に目立っていた。これもまた、新しい知見です」

開いたケースに、銀縁メガネが収まっている。ナオキはあっ!と声を上げた。そして両手をバチンと合わせて頭を下げる。

「ライカちゃん。ひとつ折り入って頼みが」

「ハイ。なんでしょうか?」

「そのダテメガネ、ちょっとでいいから見せてくれない?おれ、メガネマニアなんだ」

ライカはにこっと笑い、メガネケースをくるっと回した。

「そんなことならお安いご用です。どうぞ」

ナオキは左右のヨロイに両手の指を慎重に添え、そーっとメガネを取り出した。チタン製。オーバルは真円。テンプルのカーブが美しい。

「ほー、軽いなーこれ。クリングスの細工が細けぇー……。ライカちゃんありがとうマジで!!ココアおかわりする?他のもんでもいいよ、奢る!」

ライカはメニュー表をパカッと開き、にんまり笑う。

「チョコレート・パフェを所望します」

「いいよいいよなんでもどうぞ……って1600ルカ!!??たけー……。でも、どうぞ!マスター!チョコパフェー!!」

「あいよー!!」

「すげーなー!度がない!ホンモノのダテだー」

「ナオキお前、いい加減うるせえぞ!」

「いや、オヤジこれすげーんだって!」

「マスターって呼べ!」

「いやはや、なんとも賑やかなカフェです」

28_たったひとつの冴えたやりかた#02

「ライカを、レニが助けてくれたって聞いた」

コーヒーフロートのアイスクリームをスプーンで解体しながらリックが言った。

レニは、グリーン・ティーを少し啜って口を開く。

「迷子みたいだったから、送っていっただけよ。お返しにコーラを奢ってもらった」

少し苦い。ミルクを手元に引き寄せる。

リックは小さくなったアイスの欠片を口に入れた。コーヒーフロートの中間層は黒からベージュのグラデーション。

「僕が謝るのもおかしな話だけど、悪かったね」

レニはカップにミルクを足した。うん。マッチャ・オ・レにグレードアップ。

「ライカはリックとどういう関係?」

リックの瞳がこちらを向いく。エキゾチックな青緑。眉の頭が少しだけ、瞳の方に近づいた。

「同じ大学に通っているって、僕が知ってる程度の関係。同い年だけど専攻も違うし、あんまり話したことないよ」

「へえ。リック、モテるのね」

ピタ、と音がするくらいの反射でリックの手が止まった。え……?と小さな声が聞こえた。

意外そうなのが意外。自分が女の子の目にどう映っているか、あまり関心ないのかな?

……もしかして、あのビンゾコメガネでキャンパス・ライフを送っているんじゃ?まさかね。

「ライカは何を勉強してるの?」

リックがほっとした感じでストローを啜った。

「宇宙力学。天才なんだ」

「天才?」

「うん。ずば抜けてる。星間雑誌に何度か特集されてて、論文は地球のサミットで採用された。セントラルでは有名人。だから僕は、ライカの顔と名前を知っていたんだ」

地球。火星。ガニメデ。無数に漂う移民船ーー

ライカの文字は、シグナルは。星の海を越えて届くのだ。

「……ライカ、そんなにすごい女の子だったの?」

レニは、この前出会ったキュロットスカートの小柄な少女を思い浮かべる。イチゴみたいなボブヘアー。こぼれそうな大きな瞳の、子ジカみたいな女の子。

リックは深く頷いた。

「うん。すごい。人類史に記録される頭脳だよ。どうして無防備にも、たった1人でここに来たのか……」

机の上で両手の指を組み合わせる。視線は指先。考え込んでいる表情。

「ふふっ」

「え、何かおかしかった?」

レニは、ミルクで割ったグリーン・ティーを二口飲む。うーん、氷が欲しいかも。

「わかんない?彼女、リックが好きなのよ」

「えっ!……ええっ?」

また椅子から転げ落ちる?とレニは腰を浮かしたが、それは無かった。リックの口はぽかんと開いて、瞳はゆっくり瞼の縁を一周した。

えーっと。本気で気づいてなかったの?ライカ、あんなにわかりやすい女の子なのに……。

「ほら、この間のデート。黄色のワンピースの日。本屋から、ずーっと後をついて来てたわ。送りの道でも少し話した。彼女、あなたに憧れてるの」

リックは我に返った様子で、コーヒフロートのコップを持ち上げ、口をつけて半分くらいごくごく飲んだ。

「……そう言われても、心当たりがないんだけどなぁ」

アイスのおひげを親指でぬぐい、その指をおしぼりでさりげなく拭く。

レニは軽い感じで肩を竦める。本人に心当たりが無くっても、そういうところよね。

「モテる男はみんなそう言う。多分」

リックが重心を前にした。

「え?レニ、誰かモテる男を知ってるの?」

眉の隙間が2ミリほど狭くなり、野生的な感じである。かっこいいかも。

レニはその眉間の1番深い皺を狙い、人差し指でちょん、とつついた。

「モテない男を知ってるだけ」

「……ああ!」

眉根から顔全体へ理解が広がり、とリックの表情がパッと明るくなる。

リックはテーブルに曲げた肘をつき、手遊びみたいに両手の指の腹を付けたり離したりした。

「でも、ナオキ、カッコいいよ」

レニはぷっと吹き出す。カップを持ち上げたが、もう空だ。

「言っちゃってるじゃん、ナオキって」

リックが歯を見せて笑った。

「あはっ、ごめんごめん。信念あって、漢気あってさ。カッコいい。憧れてる」

レニは左右に首を傾ける。くすぐったい感じ。

「そう。生活力も仕事も美学もあるんだけどね」

「あと、すごいイケメンだよ。店も楽しい。バイクのカスタマイズもクール」

なんか2人、私が知らない間にすごく仲良くなってない?リックとナオキ。ファッションや雰囲気、あと声の速さと大きさのジャンルがかけ離れすぎていて、なんだか不思議な感じだわ。

そこでレニは思い出した。肘をついてリックの方にずい、と肩から身を乗り出す。

「でもね。聞いて?ナオキったら、ほんとーに一言も二言も多いのよ」

リックが目を白黒させて、こくこく頷く。はてな?マークが顔全体に広がっているが、ちょっとこれは聞いて欲しい。

「この間なんか、電話の向こうで、『デートに来ていく服がない?ねーちゃんの借りたら?ねーちゃーん、このへんにミニスカワンピあったよなー!サイズいけっかー?』……だって!大声で!」

「ミニスカワンピ……」

「もう!デリカシーをどこに落っことして来たのかしらね」

「…………えっと。うーん。……今の話、反応に困るなぁ」

28_たったひとつの冴えたやりかた#01

ピ。ピー。


ライカは、ステーション"イーストIー1"の改札を抜けた。

周囲を見回す。一度来たことがある場所だけれど、初めて来たような感じがする。

2度と来ちゃダメ。

そう決めたのに、自分でも、自分の行動がわからない。

大学生協購買お菓子コーナー棚の裏。リックくんがピッポくんと話しているのが聞こえた。


日曜日に、カノジョの家でデートだってコト。


現在時刻は、その時に聞いた待ち合わせの時刻の5分後。カフェの住所はこのあたり。ストリートから見える場所に座っていてくれればいいけれど……。

ウィンドウ越しに中を見て、3件目のお店。

いた!

窓際にいる、ライカは慌てて、近くにあったメニューの立て看板に隠れる。

ライカの位置からは、リックの後ろ姿とレニの上半身が見える。

店員さんがメニューを持ってきた。陶器のカップとガラスのグラスだ。レニさんはホットの何か。リックくんはコーヒーフロートかな。それともコーラ?


うーん、何話してるのかなあ?


つい、服装を観察してしまう。リックくんは大学にいる時と同じだけれど、レニさんはTシャツにジーンズというカジュアルファッション。髪を束ねず下ろしていて、この間のワンピース姿よりずっと大人っぽく見える。

あ、レニさん笑った。リックくんは自分の首の後ろをぽりぽり。楽しそう。

こんな風にこっそり様子を見にくるなんて、不合理で時間の無駄なのわかってる。リックくんはレニさんが好きなんだもの。デートの現場を目撃しても、ワタシがミジメになるだけでメリットなし。だけど、そうせずにはいられない。

これって、どういうメカニズム?

「誰に用?それとも迷子?」

「ふええっ!?」

声をかけられ飛び上がる。左。違った。右だ。男の人が覗き込むような感じでワタシを見ている。

「上の人だろ?そんな無防備にこのへん歩くとスられるぜ」

リアルで初めて見るタイプの男性。チャラチャラというか、ヨウキャというか、どきゅんというか、うー、こういう方を、なんて言うんだっけ……。えーっと……。地球の昔のコミックで見たことがあるあれ……。

「あ、ホスト!」

「え?ア・ホストって何?」

声に出てた!うー、ワタシの悪いクセ。

ワタシは背筋を伸ばして、ちゃんと立つ。ううっ、怖いかも。でも、1人でなんとかこの場を切り抜けないと……。身を守るには、まずは姿勢よ、と言われた。

ぴしっ!

「……えっと、……レニさんに!その、……用事が」

「なんだ、レニの友だち?」

ホストさんが笑顔になった。この方、レニさんの知り合い?ワタシは心の底から安心して、ちょっと涙が出そうになる。

「僕ナオキ。レニの幼馴染」

「ワタシ、ライカです」

お辞儀をする。ナオキさんも軽くお辞儀をしてくれた。見た目はちょっとアレだけど、大学の男の子たちとそんなに変わらないのかも。

ナオキさん、こめかみあたりの空をつまんだ。二重瞼の瞳の色はチョコレート色。

「あのさ。メガネは仕舞った方がいい。目、悪い?前見える?」

ワタシは周囲を見回し、慌てて自分のメガネを取る。通行人やお店の人が沢山いるけれど、誰1人としてメガネを掛けてはいない。

先ほどの無防備、という言葉を思い出す。そうだ。ここは、大学とは全然違う場所なんだ。

「これはダテメガネ。オキヅカイ感謝します。視界はクリアです」

「えっ、ダテメガネ!ホンモノの!?」

ナオキさんが大きな声で驚いた。ワタシの持ってるラウンド型の銀縁メガネをじーっと、じーーーーっと見つめている。

「ライカちゃんあのさ!……いや、ゴメン。なんでもない」

「?」

よくわからないけれど、バッグからメガネケースを取り出し収納。カバンに戻す。ナオキさんはなんとも言えない表情で、じいっとそれを見つめている。なんでかな?

ナオキさんがゴホンと大きく咳払いをし、口を開く。

「ライカちゃん、レニと待ち合わせしてるの?待たせるなんてらしくない……」

「あ!いえ、あの、その……」

ちらっ、と思わずお店の中を見ちゃった。ナオキさんはワタシの視線をツーっと追いかける。ああっもう、ワタシのばかばか!

「はっはーん、デバガメだ」

ナオキさんがニヤリと笑った。

「うぅ……」

撃沈。ワタシ何してるんだろう……。もう帰……。

ぎゅ。

ぎゅ?

ナオキさんがワタシの手、いや、手首を握った。右手の。

「へへっ、面白そう。ライカちゃん、僕と向かいのカフェ入らない?」

「ふぇ?」

ぐい、と手を引かれて、一歩、二歩、あれ、あれれ……。

気づけば一面のマティスブルー。視界いっぱいお店のドア。ナオキさんが金の持ち手を握った。え?これ、手動ドア?

「一緒にデバガメしようぜ。あの2人、どこまでいってんのかなー」

「え、あの、ええ〜!?」

ガランガラン、とベルが頭上で鳴った。これ本物の真鍮の音。

第 1 頁,共 1 頁

-Razi Arc-

Title
Text
26_ハロー、ワールド -in the works-
25_クリスマス・キャロル -in the works-
24_ White Coal#05
「アメは約束破ったことある?」 「ない」 「だよねえ」 パジャマ姿でソファーにうつ伏せに寝そべり、ラジィは脚をぶらぶらさせた。今日はジャンがいない日なので、スーパー・リラックス・モードなのだ。 アメは、直角に位置するソファのこちら側のシートに座っている。ラジィの踵を追う視線が、ラジィの顔にピタッと移る。 「ラジィは、約束を破ったことがあるのか?」 「うーん、多分ない」 「多分?」 「約束をしたことがないんだ。覚えていないだけかもだけど」 「多分とは?」 ごろん、と寝返り。天井は、どうしてこんなに高いんだろう。 「僕が忘れている約束を、もしも誰かが覚えているなら……。約束を破ったことになる」 「なるほど」 アメがふむ、と頷いた。ジャンの仕草にそっくりで驚き。 「ラジィは約束がしたいのか?」 「うーん、わかんない。……あまりしたくないかも」 「なぜ?」 「だって、いつ会えなくなるかわからない」 「なるほど」 またふむ、と頷く。ジャンがいるみたいな気分になって、僕は起き上がってソファに座る。 アメが、何かに気づいたような顔で僕を見た。目をおっきくして、口をOに開いた顔。これは誰の真似かなあ。もしかして、僕? 「ボクと、何か約束する?」 「アメと?」 「ボクは、人間みたいに病気になったり死んだりしない。故障したら直せる。データのバックアップも可能」 じーんとしたけど、同時にすごく悲しくなった。 「ターコは急に会えなくなった」 だから、ぽろっと言っちゃった。泣き言はあまり言いたくない。弱い子みたいだ。 アメはトン、と指で自分のこめかみをノックした。 「ボクらのチップは、一度経験したことを忘れない。100年会えなくても、絶対に忘れない」 「リセットは?」 「リセットされるのは、表層的なデータだけだ。学習効果やデータベースは、マザーにしかいじれない」 そうなんだ。僕はただぼうっと、アメの顔を眺めた。 僕はターコを覚えてる。 でも、ターコが僕を忘れてしまっていたら? 僕にとって、家族と一緒に生きていた時間の、意味のほとんど全てがターコだったんだ。 「記憶で会える。約束は、人間にとって記憶を開く鍵なのでは?」 「そーかも」 会えなくても、覚えてる。 僕も。ターコも。 ターコは絶対忘れない。 なら、僕も忘れないよう毎日ちゃんと思い出そう。 水。 青。 宝石。 踵。 地球。 緑青の匂い。 立ち昇る泡。 そういうものに、いつもターコを思い出そう。 泣く気もないのに、涙がぼろぼろ出てきた。最近の僕、泣き虫だ。 「じゃあさ、アメもさ。約束しよう」 「うん」
24_ White Coal#02
「ジャン!見て!」 庭園スペース。ラジィは1週間ぶりに会うジャンに、合気道の型である入り見、そして転換を披露した。 今日の2層はスプリング・ウェザー。動作が終わると、うっすらと汗をかいていた。シャツが背中に張り付いている。 バチパチパチ、と白手袋越しの拍手。ジャンは顔をくしゃっとさせてニコニコしていた。 「素晴らしい。鍛錬されましたな。ラジエル様」 「レニのおかげ!わかりやすいし優しいんだ。厳しいけどね」 「理想的な教え手でございます」 嬉しくなって、ジャンの腰にぎゅーっと抱きつく。離れてたのは数日ぶりってだけなのに、お香の匂いが懐かしい。 「ねえ、ジャンは? 色んなところでカンフー教えているんでしょ? 強い子は?」 ジャンがラジィの肩をポンポンした。 「ほっほっほ。時、場、人によりけり。スジがいいものは、基本ができれば自分で勝手に強くなる」 「1人でも練習するから?」 「それもあります」 電気蝶がひらひら横切る。温度感知システムが、スプリングの陽気をキャッチしたらしい。 ジャンは、同じコースを飛行する蝶を見たまま口を開く。 「しかし、それだけではありません。大切なのは、心を預けることですな」 「心を預ける?」 はい、とジャンは深く頷いた。片膝をつき、ラジィと視線を合わせてくれる。 「今。を、出し惜しみせず使うことでごさいます」 「それが、何かトクベツ?」 今に全力。普通のことだと思うけど。 「はい。無我といいます。いわば、その瞬間に自分を空にし、精神が、ただ肉体の容れ物になること。これが、なかなかに難しい」 「うーん?」 言葉だけでは、あまりよくわからない。 「ラジエル様は聡明でございます」 ジャンが立ち上がり、膝の芝生をパンと払う。何気ない仕草だけど、すごくかっこいい。 「あ、レニは?」 ジャンは両目を糸のように細めて笑った。 「レニ殿は、それを呼吸のようになさる。だか らジャンは、スカウトしたのでございます」 にゃーん、と庭のどこかで鳴き声がした。これはクロ。クロはお庭、ミケは廊下、シロは棚の上が好きなんだ。……ん? 「もしかして……。少し前にクロシロミケがしょっちゅう脱走してたの、ジャンのしわざ?」 ジャンは、今度は片目だけを細めて笑った。イタズラが見つかった男の子みたいな顔、とラジィは思った。 「ほっほっほ。全くもって、ラジエル様は聡明にございます」
20_夏への扉#04
「つーかまえた!」 公園の噴水から引っ張り出したのはシロ。3匹の中でも大人しくて、あまり迷子にならない電気猫だ。 「レニー!」 「オーケー」 レニが駆け寄り、シロの首輪にペンを当てた。シロの瞳がブルーから透明になり、またブルーに戻る。 シロはブルブル身体を揺らし、何事も無かったようにニャーンと鳴いた。 「よし。帰ろう」 「うん」 お屋敷から歩いて5分の公園。僕はレニと歩き出す。今日はサマー・ウェザーで、汗で服が肌に張り付く。レニは半袖だった。 「昨日、レイチェルの所に行ったよ」 「あら、そうなの?どうだった?」 「楽しかったよ」 「トピーもいた?」 「うん。姉妹みたい」 「そうね」 正門が見えてきた。細い金属を複雑に編み上げた、すごく大きな白い門。今はどうってことないけれど、初めて見た時は、天国の入り口みたいな感じがした。 「レニは、なりたいものってある?」 「ないよ」 「子どもの頃は、あった?」 「ないね」 「ふーん」 門は自動的に開く。白い石を敷き詰めた道を歩きながら、僕は聞く。 「レニの仕事って何?」 「色々よ」 「1番好きなのはどれ?」 「好き嫌いで仕事はしないわ」 「へー」 「でも今やってる仕事は、全部それなりに気に入ってる」 「アイキドウも?」 「ええ」 「猫探しも?」 「イエス」 「配達も?」 「場所によるけど、まあまあよ」 「ラジィは、なりたいものがあるの?」 「僕、早く大人になりたい」 「ああ。それなら私も同じだ」 「私も、早く大人になりたかった」 「今は?」 「大人なのかな?子どもではないね」 「大人になっても、強くなっても、仕事があっても、思い通りに生きられるわけじゃない」 「レニもそうなの?」 「そうよ」 「いろんなお仕事してるのに?」 レニは笑った。 「なんでもできるわけじゃない。他の人もできることをなんとかやって、暮らしているの」 「そうなんだ」 「でも、立てる場所が少し変わる」 「ビルの屋上とか。スペースシャトルの車窓とか。地球の山道とかね」 「それだけのことよ。大人になるってのはさ」
20_夏への扉#03
「レイチェルは、なりたいものは大人、って言った」 その日の夜。ラジィはアメと話していた。 「僕も、早く大人になりたい、って言った。そしたら、ちょっと違う、ってレイチェルは笑った」 直角に接したソファーの斜め向かい。アメの横顔。 「ラジィは、どうして早く大人になりたい?」 「うーん、なんて言ったらいいのかな」 パラサイティック・ペリドットの瞳が、暖色灯を照り返している。 僕は自分の手を見る。ジャンの半分くらいの大きさ。レニよりも、関節2つ分小さい。ソファにぶら下がったカーボンの脚。膝の下をぶらぶら揺らす。床には届いていない。 歩けるようになった。 走れるようになった。 だけど、全然届かない。 「できないことが多すぎるんだ」 「できないこと?」 「うん」 ターコ。今頃どうしてるかな。水の中にいるといいけど。少し不安。火星だし。 「それは、大人になったらできること?」 アメが聞く。 僕は、少しだけ未来のことを考える。 「うーん、わかんない」 大人になるって、難しい。うーん、ちがう。なりたい自分になることが、かな。 今日は音が居眠りしてる。このお屋敷は、いつも静かなんだけどさ。特に夜。ジャンもレニもいない日は、シロとクロとミケの足音が壁の向こうに聞こえるくらい。うるさいくらい静かなんだ。 「今しかできないこともあるのでは?」 アメが、息の音もさせずに口を開く。僕の息だけ音がする。 吸う。 吐く。 吸う。 言う。 「たとえば?」 アメは3秒停止して、首をゆっくり左右に振った。 「ボクにはわからない」 僕は、手を伸ばす。アメの瞳がボクの腕を映してる。 ひし。 「ラジィ。これは何?」 掴んだ左手首は、ひんやりしていた。アメは動かない。じわじわ僕の体温が移って、次第に生温くなる。 「つーかまーえた」 アメが僕をじいっと見る。ぱちり、とはっきりとした瞬き。 「そうか。ボクは捕まえられた」 「あははっ」 他人事みたいに言うもんだから、僕は可笑しくなっちゃった。アメの腕を握ったまま、僕はソファを移動した。アメが少し向こうに座り直してくれて、僕は隣に並んで座る。 「ねえ、今どんな気持ち?」 アメを見上げる。キレイだなーと思いながら、瞳の中の無数のインクルージョンを見つめる。 黄緑色の髪が揺れた。赤いメッシュがまつ毛にかかる。 「わからない」 「あ、笑った」 「ボクはなぜ笑った?」 「知らないよ、うれしいんじゃない?」 「よくわからないが、そうかもしれない」 瞳の中で虹色の雨がきらきら光る。笑った顔を初めて見た。
20_夏への扉#02
「レニが先生?いいなー!」 「うん、でもちょっと厳しい」 ブラウン博士の研究所であり自宅である最深部の一画。気が遠くなる洗浄工程を経て麻の服に着替えたラジィは、床に敷かれたカーペットの上、レイチェルの斜め向かいに座っていた。 「どんなことするの?」 「基本のカタ。えーっと、姿勢とか、体の動かし方」 「それって、今、ちょっとできたりする?」 「うん、いいよ」 ラジィは勢いよく立ち上がり、半身の構えと入り身を披露。動きが止まると、レイチェルがパチパチパチ、と拍手した。 「かっこいい!」 「ありがと、レイチェル」 ラジィはすとんと座り、頭の後ろをぽりぽり掻く。ほっぺたが熱い。こういうの、初めてかも。 積み重なったクッションに囲まれたレイチェルは、隣のトピーと顔を見合わせニッコリ笑う。左頬の笑窪がかわいい。 「レニはね、トピーを連れてきてくれたんだよ」 「へえー」 レイチェルがフォトをホログラムで表示する。 レニだ。 青い空。 緑の木々。 僕と同い年くらいの女の子。 2体のジュエレッタ。 記念写真かな。 「地球にジュエレッタを運んだって聞いたし、レニは郵便屋さんかと思ってた。アイキドウの先生だったのね」 「僕は猫探しのハケンサンだと思ってたよ」 本当の仕事はなんなのかな?レニに、今度聞いてみよう。 レイチェルはフォトをクローズし、クッションの1つをギュッと抱えた。イチゴみたいな大きな瞳がこっちを見る。 「ラジィは、大人になったら何になりたい?」 「考えたことないなー」 「そーなの?」 「うん。僕がなりたいものって何だろう……」 下を向くと、脚が見える。麻の服から覗くプロステティックは、鈍い感じの灰色。肌の色に合わせることもできたけど、やめてって言った。 顔を上げると、レイチェルも僕の脚を見ていた。透明な表情で、唇の隙間に肌より白い歯が見える。 「レイチェルは?」 「私?」 瞳をふわっと僕に戻し、窓の向こうへ。 レイチェルの部屋の窓は大きい。ガラス越しの面会室。光学カーテンはオフ。コーヒーを置いたテーブルで談笑する、ブラウン博士とラファエルが見える。 僕がここにいる理由を、僕もレイチェルも知っている。話し合ったことはないけれど。 「大人かな」 大人になること。僕はうん、と頷いた。 「僕も、早く大人になりたい」 「ふふっ、ちょっと違う」 トピーはレイチェルの顔を覗き込む。ヤー、ハー。と重なる声。レイチェルは笑ったみたいだったけど、泣いているみたいに僕には見えた。
19_ あるいは水でいっぱいの海#08
Product Name: Turquoise Girl Flavor: Cool and Clear Polishing form: Supple Emotion Content: 75% Raw Ingredients: Verdigris and Turquoise Voice tone: Soprano Category: Swim Serving Suggestion:
Room Temperature in the tropical night The luminary is floating in a cylinder aquarium. “Refill.” The Verdigris legs do flutter kick. The body glitters dimly. The turquoise hair fans out in the water. “Would you like to go out?” The bubble rises from patina lips.
19_ あるいは水でいっぱいの海#07
「ラジィ。私が怖くない?」 「なんで?」 庭園の噴水近くの空間。相半身に向かい合うレニに、ラジエルは問い返す。 「あなたの家族を殺したのは、私だよ」 レニの右のつま先が90度回転。 「知ってるよ」 レニの動きの真似をする。 「……家族を亡くした子どもはさ」 一つ一つの動作は簡単に見えるし静かだけれど、体の全部を使っているのがわかる。 「悲しんだり、怒らなきゃダメ?」 レニの左のつま先が動く。体の向きが反対になった。 「ラジィの自由だと思う」 僕も同じ方を向いた。サロンの窓がある。ガラスの向こうのジュエレッタたちは、回廊の絵画のように見える。 「火星には、海ってあるかな?」 裏三角の構えをキープ。 「私は聞いたことないわ」 呼吸を深く、とレニが言った。僕はゆっくり大きく息を吸う。足が地面に沈むような感じがした。 「僕は歩けるようになったし、走れるようになった」 「そうだね」 この脚になって最初の何週間かは、立つのに支えが必要だった。動くとすごく疲れちゃって、足じゃないところが毎日痛くて、時々こっそり泣いていた。 今では、走ることだって、こうして合気道の稽古もできる。 「ターコも、どこかで泳いでるかな」 火星に行ったターコ。ターコのことを思い出さない日は、少しだけ増えた。でも、思い出す時は前よりずっとしんみりする。 「火星なら、水槽かもね」 「そうだよね」 「月の海に水はないし」 「レニ、行ったことある?」 「1度だけ、仕事でね。雨の海に」 「どうだった?」 「干からびてたわ」 「だよね」 ラファエルとマリアンヌは「脚」をくれた。 ジャンが「歩く」と「走る」をくれた。 そしてレニは、「どこか」ってのを、僕に教えてくれている。ような気がする。 今日はこのへんにしよう、とレニが構えを解いた。向かい合って一礼。思っていたより疲れてたのか、僕は尻餅ついちゃった。 噴水の飛沫に虹が見えた。僕の視線に気づいたレニが、ピュウ、と小さく口笛を吹いた。かっこいい。ジャンがいない時にアメとこっそり練習しよう。 「地球なら、水でいっぱいの海があるわ」 「行ったことある?」 「そのうちね。見に行くつもり」 レニは僕の隣に座った。 「人魚はいるかな?」 「さあ」 見上げる横顔は、どこか遠くを見ているみたい。やがてレニはパチパチッと瞬きをした。 「水の海を泳ぐターコは、地球の人には人魚に見えるかもね」 青い海を泳ぐターコを想像。宝石の踵が水を蹴り、行き止まりのない海をどこまでも進んでいく。時々水面に顔を出して、人魚だ!ってみんなが言う。 「それって、最高かも?」 「間違いなく、最高よ」 ターコにいつか会えるなら、そういう話をしてみたい。ガラス越しでも全然いい。 「ターコと地球に行きたいな」 浮遊台車かローラースケートが必要ね、とハスキーな声でレニが言った。
19_ あるいは水でいっぱいの海#06
“Don’t move.” なーんてね、と、その人は人差し指を上に向けてパン、と言った。僕はなんていうか、そう、ビックリギョーテン。ぶわーって髪の毛が逆立つ感じでしばらく体が動かなかった。 で、その後。両腕が勝手にバンザイする。脚がジタバタ床を踏む。ジャンがほっほっほと笑う。 「金の鳥のおねえさんだ!」 僕は叫ぶ。あの時の人だ!ターコのガラスを、1発3モニカで壊すって言ってくれたコロシヤさん! 「なんのこと?久しぶり。ボウヤ」 覚えてくれてた!嬉しい。 コロシヤのお姉さんは、前に会った時より小さく、近くに見えた。それは僕が立っているから。青の濃いヴァイオレット。瞳の色まではっきりわかる。 「僕、ラジエル。ラジィって呼んで」 「よろしく。ラジィ様」 「僕のシショーなんだから、様はいらないよ」 「そう?」 お姉さんはジャンをチラッと見た。僕も見る。ジャンは大きく頷いた。 「じゃあ、ラジィ。よろしくね。私はレニ」 「よろしくお願いします。レニ!」 レニの右手を僕は握る。親指の付け根の皮膚が硬かった。
19_ あるいは水でいっぱいの海#04
「家庭教師の先生が来るんだって」 『ラジィは何を習う?』 「武術。カンフーではないみたい」 『ラジィは家庭教師が嫌なのか?』 アメが首を傾げる。 ジェニーの所から帰り、ジャンとご飯食べて、スクリーンムービーでベンキョーして、ラファエルとご飯食べて、お風呂が終わって、後は寝るだけ。僕は部屋のソファーに寝そべって、アメとだらだら話してた。 「わかんない。ジャンはカッコいいし面白い。僕のこと大事にしてくれる」 お風呂の後で、ジャンが「武術の先生を雇いました」って言った。僕はポカーンと口を開けて、「ジャンじゃないの?」って聞いた。そうしたらジャンは、 「もちろんじいやもいたしますが……」 だって。「……」って何だよー、って話。 「ジャンに習いたかった」 『ジャンだから習いたかったということ?』 「そう」 『ジャンはなぜ新しい家庭教師を雇う?』 「ジャンは忙しいんだ。前のショーが評判で」 クララが主演の「トゥーランドット」 前座を務めたジャンに、カンフーショーやカンフー講座のオファーがいっぱい来ているらしい。 「ほとんど毎日会っていたけど、週4回になるんだって」 マリアンヌおばあさまは、チャリティーが大好き。ジャンに、そういうの行けってさ。 『ラジィは、ジャンに会えなくなるのがサミシイのでは?』 「そうかも」 そう。僕、ジャンがいないとどこにも行けない。いられない。このお屋敷だって、ジャンがいないと広すぎるんだ。 アメはゆっくり瞬きをした。ペリドットの虹の雨が、降ってるみたいに揺らいでる。きれい。 『ジャンのことと、新しい家庭教師のことは、別のことだ』 確かに。僕はまだ、その人に会ったこともないんだった。武術の種類だって聞いてない。 「そうだね」 『家庭教師について何か教えてもらったか?』 「猫探しに来てくれてたハケンサンだって。今日、ジャンがスカウトしたんだって」 『名前は?』 「忘れちゃった。なんだっけ……」
19_ あるいは水でいっぱいの海#02
—J&L Ice cream shop— 「都市伝説かと思ってた」 アイスクリームスタンドをアルコール布巾で消毒しつつ、ジェニーは肩を上下した。 「トシデンセツ?オカルトってこと?」 「ええ。実在していたなんてね」 居住区Cのジェニーのお店は、僕が住んでるお屋敷から実はそんなに遠くない。開店前のお店のカウンター。隣にラピ。奥にジェニー。冷凍庫からの涼しい空気が気持ちいい。 ウエストのAからCのイーストまで、歩いてほんの10分ってとこ。 「どんな話?教えて!」 「うーん……。ラジエルさま。ジャン様にはナイショよ?叱られちゃうわ」 ジャンは少し離れたところで、身体の大きな男の人たちと何かを話している。カンフーのことかな? 「僕、口が堅いんだ」 トパーズくらい、とジョークを言うと、硬度7はビミョーよね、とジェニーは返した。キレアジバツグン。だから、ジェニーと話すのが僕は好き。 「第3層には、DからZの居住エリアがあるんです。ご存知かしら?」 「なんとなく」 「あたしは、Sエリアの生まれなの。ラジエルさまのお屋敷に来る前は、Gエリアに住んでいたわ」 「へえ」 あまりよくわからないが、とりあえず頷く。全部で26の居住区があって、第3層には23のエリアがあるってことだな。 「観光地として開放されているのは、Jまで。ちなみに、ジュエレッタちゃんたちのお店はDエリアよ」 それ、絶対に行ってみたい。頭にブックマーク。後でアメと調べよう。 「で、ベルはどこの人?」 「Zです」 「ジェニーは、行ったことある?」 「まさか!」 ジェニーは両手をパッと両頬の横で広げた。目も口もまんまるい。なんか、変なことを聞いたかな? 「あ、ごめんなさい。ええっと、うーん……」 ジェニーは頬に手を当て、斜め上の方を見た。そっちにあるのはキッチンカーの天井棚だろうけど、何かを探しているわけではない。 「フクザツなんだ?」 「ええ、フクザツ。……XYZは、他のエリアと違うんです」 これは聞いちゃいけないやつだ。僕はジャンをチラッと見た。こっちを見ていない。セーフ。 ラピは瞳をうるうるさせてジェニーをじいっと見つめている。心配そうな感じ。 ジェニーはラピにウインクして、次に僕へニコッと笑った。 「歌姫ベルは、なんて言えばいいのかしら。アイドルみたいな感じ」 「そうなんだ」 「この100年ずっとね」 どういうこと? 「ベルは人間?」 「だとしたら、ものすごーくお金がかかるわ」 ジェニーは手の平を上に向ける。 「じゃあ、アンドロイド?」 「それって、ちょっとありきたり」 「ユウレイ?」 「集団幻覚でニュースになる?」 お屋敷のサロンがふと浮かぶ。 次にターコ。 銃撃の音。 破壊音。 ハスキーボイスの"Don’t move.” 『代わりに歌う』 窓から消えた金の鳥。 火星へ行った人魚姫。 「もしかして、ジュエレッタ?」 ジェニーの瞳がサファイアみたいにキラッと光る。ジェニーは笑った。 「それなら、少しステキかも」 「なんで?」 「なんでかな?多分、ラピちゃんが笑うのと同じ理由よ」 ラピを見ると、ニッコリかわいく笑ってた。ジェニーの双子の妹みたい。顔は全然似てないけどね。 「ジェニーはこういう話好き?」 「大好きよ。他人事ならね」 ジャンが来た。アイスクリームを二つ頼んで、ラピに連れられ僕らはパラソルの下に座る。
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屋外シーティングエリア

-Rick Arc-

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29.5_男友達
ピ。 「やあナオキ。今いい?」 『おう、リック。どした?』 「ナオキに、友だちを紹介したいんだ。今度の日曜時間ある?」 『おーっ!!まじ?嬉しいよ。おれ休みだし、いつでもどうぞ』 「ピッポって言うんだ。大学の同級生。12歳からの腐れ縁だよ。メカオタク」 『メカ?プラモとかやる系?』 「うん。等身大のを見たことある。胸のライトがピカピカ光った」 『SGシリーズの初期か?復刻版かなー。おもしれー!何時に来る?』 「10時に待ち合わせして、レニと、レニの友だちに会うんだ」 『ああ。ジェンだろ』  「ジェニファーだから、多分そう。レニには、アイス食べて帰るって伝えてる。その後行くよ」 『昼飯は?』 「済ませてく。2時くらいになるんじゃないかな」 『10-4.店開けとくからそっちに来いよ』 「了解。じゃあ日曜日に」 『おう。またな』 ピ。
28.5_Мы
「なあ、リック。例の彼女が6区住みってホントか?」 ウドンがぼとりとスープに落ちた。 12時過ぎの学食は、混雑による通奏低音がBGM。時間帯のせいで満席である。 スタンディング・エリアで冷たいウドンを立ち食いしていたリックの隣に、ピッポが肩を滑り込ませた。彼のトレイには、サバカレーとスプーン、水が乗っている。 「ピッポ。どうして知ってるんだ?」 レニのことは、ピッポ以外の誰にも一度も話したことはない。大学で1番親しいピッポにだって、名前も教えていないくらいだ。 「この間の日曜な」 ピッポは肘をつき、リックに顔と重心を向けた。 「ライカのファンが、お前をつけてるライカをつけて。その日のことが、でかい噂になってんだ」 ライカ、また6区に来たのか。レニに助けてもらったことを忘れたわけじゃないだろうに。 しかし、レニからライカの心の内を聞いた手前、その無茶には少しばかり責任を感じる。 リックはウドンをずずっと啜った。 「へえ」 「何も言わんの?」 「意味ないし」 「あのさ、やなこと聞くけど、怒るなよ。遊ばれてるとか、たぶらかされてるとか、騙されてるとか、カモにされてるみたいな、それはないか?」 ハシを置く。ちょっと食べる気になれない。 「………………あのさ」 「怒るのはわかるけど、大事なことだから俺には、はっきりさせてくれ。美人なんだろ?ゾッコンなんだろ?恋は盲目って知ってるか?貢いだりとかそんなんは?高いもんを買わされそうになったとか……」 「ない」 「なんだそうか。だったらいい」 問答はあっさり終わり、ピッポはカレーを食べ始めた。冷めかけのルーに、薄く油膜が張っている。 「ピッポ、心配してくれてる?」 「そーだよ」 「僕が騙されてるんじゃないかって?」 「うーん。そっちのほうは実はそんなに。一応言語化確認しただけ」 リックはハシを取り、食事を再開する。 わだかまりを残さないように言いにくいことを言ってくれたらしい。喧嘩になってもいい覚悟で。 いいやつだな、とリックは思った。 「レトリバーの彼女が、メガネに優しいギャルって知ってっから」 カレーのサバだけを食べきってから、ピッポは言った。 「ギャルじゃないよ」 「ものの例えだよ。ギャルっつーのはモテない男の女神なんだ」 そう言って、ピッポはルーとライスを搔き込む。リックもウドンを頬張った。 あれ、そういえば。 「ピッポ。さっき言った、そっちの方は、って何のこと?」 「ああ、忘れてた。これがまた大騒ぎだよ。リックの件は、俺にとっては一大事だったが、でっけー噂のおまけみたいなもん」 「でけー噂?」 もぐもぐ、ごくん。ピッポはつまんだスプーンをチ、チ、チ、と左右に振った。 「ライカが悪い男に騙されてるぞー、って」 「なにそれ?」 ピッポは水を飲んでから、一度左右を確認し、声を潜めて話し出す。 「その目撃者AアンドBの話によるとだな……。ライカ、なんかやたらチャラチャラした男にナンパされて、怪しいカフェに連れ込まれて、所持品を物色されていた、みたいな」 「それ本当?午前中にライカを見かけたけど、いつも通りに見えたよ」 事件性の強い言葉選びは、どこまで事実なのだろうか。ピッポが肩を竦める。 「俺もよーわからん。でも、ライカって天然だろ?槍が降っても天が落ちても、しれっとルーティン優先しそう」 「そうかな」 「あと、うまそーなチョコレート・パフェ食ってたって」 「今その情報いる?」 ピッポが、"ムンクの叫び"の真似をした。スプーンで宙に円を描く。 「よーするに、だな。全部すっとばして現状を要約すると、ライカファンの連中は、こぞってお前を応援してんの」 「応援?何を?」 ピッポがははぁ〜と両手の平を恭しく合わせて背中を丸める。 「ライカとリックがくっつきますようにー、って」 ????? ぼとり。 「へ?なにそれ?どういうこと?」 再度スープに落下したウドンをハシで掬う。もう何が何やら。ピッポはスプーンを置いて、ハンドジェスチャーで解説を始める。 「だからな。こういう思考回路。他の男にオレらのマドンナライカちゃんを取られるのは癪だけれども、陽キャナンパ男(色男)より、無自覚爽やか好青年(メガネ男子)の方が5億倍マシ、って」 理解不能な屁理屈に、うわぁ、とリックは顔を顰める。 「取られるとか……ライカはものじゃないよ」 「うん。そういうところだぞ」 うんうんうん、とピッポは腕組みをしてなぜか満足気である。そして、リックのメガネのブリッジをえいやっ、とつついた。鼻当てがめり込み地味に痛い。 「そのクソダセーメガネ。あいつらイケメン大嫌いだけど、それで全然許せるって」 「許されるも何も……」 そこでリックは思い出した。レニが言ってたこと、確かめないと。 「ピッポ。……もしかしてだけど、ライカは僕のことが好きなの?」 「今更。知らんかったん?知らんかったな」 即答とセルフツッコミのコンボ。え、ほんとにほんとのこと? 「ピッポ知ってた?」 「このガッコで知らねーやついねー」 まじか、とリックは額に左手を当てる。 「え……そうだったんだ……」 全然気がつかなかった……。 「てか、ライカの態度はあんなにわかりやすいのになぜ気づかん?お前に夢中じゃん」 「他の人にも、ああいう感じだと思ってたから」 「んなわけねー。キャドりすぎだろ」 思い当たる節が、次から次へとフラッシュする。男子学生の冷たい視線をそういや時々感じてた。何もしていないはずなのに、なんでかなーと思っていたが、そういうことか。 「だからピッポ、僕によくライカの話してたのか?」 「おう」 「知らなかった……」 ピッポは大仰に肩を竦め、両手の平を天井へ向けた。 「手応えなきこと葦のごとし。バイトない日は平気でメガネで学校来るし、女に興味ないのかなーと思えば、急に彼女できてさ。俺、ぶったまげたよ。しかも年上。社会人。あと、これは今日知ったけど6区住みだろ?あ、怒るなよ」 「怒らないけどイラッとくる」 リックの返答に、ピッポは肘をついて顔を寄せた。 「あのな。悪い女に引っかかってないか、実は初めから心配してた」 「初めから?」 ピッポに初めて話したのは、初デートの前日。好きな人ができたってことと、レトリバーに似てるってこと。あとは、着て行く服はどうしようか、ってことだ。 「お前、優しすぎるから。純情だし、金もねーし。年上の女に都合よく利用されてたらヤダなと思って」 リックは、出会いについてピッポに話しておけば良かったな、とウドンを啜りながら思った。一度会っただけの名前も知らない女の子に、こっちから声をかけてアドレスを交換したんだって。普段の僕を知ってるやつなら、絶対想像できないもんな。 静かで穏やかな眼差しはアーモンド型のスミレ色。振り返って見た後ろ姿に目が離せなくて、それからずーっと瞳の色が、頭の端でチカチカしてた。 家に帰って後悔したんだ。名前を聞いときゃ良かったなって。 また会えて、レニ、って名前を知って、いろんな話ができるようになった。 僕はリック。レニはレニ。それでいいと僕は思う。 ウドンを食べ切り、リックは水を一気飲みした。麺類は提供が早く補給が簡易なところがいいが喉が渇く。 ガヤガヤガヤ、と食事を終えて離席する周囲の音が聞こえてくる。3コマ目開始まであと10分ちょい。 「今度紹介するよ」 リックの言葉に、ピッポの時間が3秒止まった。 「まじ?」 「うん」 こんなに素直に笑えた自分が不思議だな、とリックは首の後ろを指で掻く。 そっか。誰かに知って欲しかったのかもしれない。僕が好きな人のこと。こんなに夢中になるくらい、なにもかもが特別なんだ、ってこと。 「美人?」 リックは思わず吹き出した。ピッポのこの質問は12回目だ。 「とびっきり」 「やべ、何着てこう」 「あはは、そうなるよなー」 ピッポもカレーを完食した。2人でトレイを手に、返却口へ移動する。次のコマまであと7分。
27.5_時計仕掛けのオレンジ#03
あ、いた。見つけた。 大学構内メインストリート。図書館に入っていくライカを見つけ、リックは急いで駆け寄った。 「ライカ、少しいいかな?」 「ふぇ?リッ!リリリリリリリリ、リックくん!?ワタシに何かご用ですか!?」 あたふた、あわあわ、右往左往、という言葉がリック脳内の語彙リストからポップアップ。ボリュームマックスのライカの声に、通行人が立ち止まったり振り向いたりした。 うーん、目立ってる。 「うん。あのさ、君が1人で6区に行ったって聞いた。ほんと?」 気を取り直してリックは聞いた。どうしても確認したいことがある。 「えっ!えーっと……、……はい」 ライカは素直だ。裏表がなくて感情が全部そのまま顔に出る。そういうところが男子に人気の理由だろう。 男子学生の視線が痛い。リックは単刀直入に切り出す。 「その時、誰かに助けてもらった?」 「はい!ワタシ何も知らなくて……。怖くて駅までついてきて、ってお願いしたところ、なんとセントラルまで送ってくださいました。とても助かりました」 「その人の名前ってわかる?」 「はい、……あ!うぅ、えっと、その……」 ウェットなヘーゼルの瞳が、めいいっぱいに見開かれる。 「ライカ。教えてくれる?」 「うぅ…………」 リックは自分の鼻先で、両手をパチンと合わせた。ライカは自身の両手を胸の上で握りしめる。 「お願い。ね?」 握った指の関節が白い。唇がきゅ、と一直線になる。 やがて、へにゃっと口が開いく。ライカは背筋を伸ばして言った。 「……はい。レニさんです」 やっぱり。そんな気がした。 ピッポは時々、理由はわからないがリックにライカの話を持ちかける。今回のライカの件は、タイミングとして自分に起因した行動であった確率が高い。 レニは、こういうことを自分から言わないから。ライカ本人に確認できて良かった。 リックは一歩後ろに下がった。さりげなくしかし確実にギャラリーが増えている。小柄なライカに、背中を丸めて視線を合わせる。 「教えてくれてありがとう」 「いえ、リックくん……、あの!ごめ」 「忙しいのに、時間取らせてごめん。じゃあね」 手を振り、ストリートを走る。ライカの声が聞こえた気がしたけれど、次のコマまであと4分。教授は時間に超シビア。遅刻するとかなりまずい。走るスピードを上げた。
27.5_時計仕掛けのオレンジ#02
「ライカ・ベルカが6区に行って帰って来たって」 学食でラーメンを食べていたリックは、隣に座った友人の開口一番にハシを止めた。 「え?」 「なんか、親切な人に送ってもらって、無事に帰って来たらしい。ライカって、頭はいいけど危なっかしいとこあるじゃん?顔は結構かわいいし。何もなくて良かったよなー」 時刻は15:20。食堂は空いている。近くの席に人はいない。リックはそもそも、そういう場所を選んで座った。ゼミが長引いて食いっぱぐれた昼食である。1人で静かに味わおうと思ってのこと。 「ピッポ、どうして僕にその話を?」 だから、とりあえず理由を聞いてみる。ライカは有名人だが、親しいわけでは全くない。 ピッポがわざわざ、ライカの話にしに来たのはなぜだろう。 「ええ?そりゃおまえ……」 ピッポはワリバシを割る手を止めて、勢いよく顔を向けた。 「……いや、忘れてくれ。うん。この話は終わり。俺の平穏のために」 ナンマンダブ、と言いながらピッポはワリバシをパチンと割った。地球では木でできてるってほんとかな、とリックはハシを割るたびに思う。 ピッポがカレーを3口食べた。辛そうな顔をしている。やはりというか、水を飲んだ。親指と人差し指でつまんだスプーンを前後に動かしつつ、リックに再び顔を向ける。 「それよりリック。年上のガールフレンドと、どうなんだよ」 ラーメンが伸び始めているけれどまあいいや、とリックはレンゲに持ち替えた。スープを啜る。まだちょっと熱い。 「……今度の日曜、家に行くんだ」 「いつの間に!?へー。泊まり?」 「まさか」 「ちぇ、真面目だなー」 ピッポがカレーを頬張った。リックはレンゲでタマゴを掬う。 「な、どんな子?かわいい?美人?」 タマゴの味が遠のいた。もちろんレニは最高にかわいいし、きりっとしていて美人だけれど……。それを声に出して言うのは抵抗がある。 「レトリバーみたいな女の子だよ」 「かーっ、そればっか。何度聞いても全然わかんねーっつーの」 「ピッポは、僕の好きな動物を知ってたっけ?」 「猫じゃねえの?バイトしてるじゃん。てか、なんでも好きだろ。爬虫類も昆虫も微生物も」 ハシに持ち替え、麺をすする。伸びかけの麺は歯応えはないが温度はちょうど。冷めても伸びない麺はないのかな。今度、ナオキに聞いてみよう。 「実は、1番好きなのは長毛の大型犬なんだ」 ピッポがもぐもぐもぐとカレーを咀嚼しつつ、スプーンを再び前後に揺らす。 「うん、つまりだ……。今のキンドレッド暗号を解読すると……。レトリバーの彼女は、タイプど真ん中ストライクってこと?」 あははっ、と笑ってリックはハシの先を左右に振った。 「別に暗号じゃないし、タイプってだけじゃないよ」 リックは、ラーメントレイの横に置いていたメガネを掛ける。ピッポの姿がよく見える。今日の寝癖は左側だ。 「実はさ。……初デートで、僕このメガネ掛けてっちゃって」 「ゴホッ!」 ピッポは勢いよく咳き込んだ。カレーが気管に入ると辛い。リックは背中をさすってやる。 「サンキュ、……っておいまじかよ。今時そんなだっせーメガネ掛けてるやついねーって。せっかくのイケメンが形無し。引かれた?」 「ううん。メガネってどんな感じ?って。彼女、目がいいんだ。2.0」 「ふーん。リックなんて答えた?」 「……………………それでさ」 「なんだその間。やらかした?」 忘れたくないけど忘れたい。なんであんな恥ずかしいことを……。軽い男と思われなくて、ほんとに良かった。 「えーと、それは置いといて。デートの後さ。メガネとコンタクト、どっちが好き?ってメールで聞いたんだ。僕」 「お、リックにしてはストレートかつ大胆」 「そしたらさ、彼女の返信なんだったと思う?」 ピッポは腕組みをして天井を見た。気がつけば、ピッポの皿は空になっている。リックはスープを吸ってかさの増したラーメンに取り掛かる。 「メガネ姿も好きよ、とか?まさかメガネフェチ?」 ずず、と啜って咀嚼、嚥下。水を飲む。その間10回反芻できた。声に出す。 「Either is fine. Because you are you.」 横目でピッポを一瞥すると、ぽかーんと口を開けていた。うん、わかる。そうなるよな。 「かっけー……。全世界のメガネ男子が惚れる」 そういうピッポも使い捨てのコンタクト勢。家に帰ればメガネ男子だ。 「ね。僕、感動しちゃって。しばらく動けなかったよ」 ラーメンを啜る。麺が伸び切って、スープがほとんど無くなっちゃったな。 「かっこいいし、かわいいし。レトリバーなのにアハルテケでベンガルで、アサギマダラなんだ」 「アオハル……?ガルガル?アサギユメミシ……?うーん、俺には何が何やらわからんが、なるほど。ゾッコンなわけね」 水を飲む。塩分が高くついたせいか、すごく美味しい。 「うん。大好き」 「そこで照れろよ」 ごちそうさま、と手を合わせ、2人揃ってトレイを持って立ち上がる。
27.5_時計仕掛けのオレンジ#01
左右に揺れるポニーテールを目印に、物陰を探してついて行く。ふと気がつけば、駅に入ってトロリーに乗り、知らない場所に来てしまっていた。 「ここまでよ」 ポニーテールがピタッと止まった。誰に言ったの?とあたりを見回す。立ち止まる人は誰もいない。 「そう。あなた」 え、ワタシ!? くる、とポニーテールの女の子が振り向いた。凛々しい表情。音もなく近づいて、いつの間にかすぐそばに立っていた。 「ここから先は危ない。引き返すのが賢明」 うっ、すごい迫力。 「な……なんのこと?」 「6区に、以前来たことが?」 「……ないけど、アナタに何の関係がありますか?」 近くで見ると、思っていたよりずっと美人。足が勝手に後ずさる。 「何の関係もないのに、どうして私を尾行する?」 「それは……」 深い考えはなく、つい後をつけてしまっただけ。いつもの本屋で、リックくんをたまたま見かけた。知らない女の子と一緒で、見たことのない顔で笑ってて……。 目が離せなくて、気がついたらここにいた。 「自分の身を守れるの?」 「ワ、ワタシ……」 じり、じり、と足が下がる。視界がぐにゃりと曲がった気がする。そっか。ここは大学じゃないし、セントラルじゃない。ワタシの知らない摂理の世界。 「……そんなの、考えたことない」 その女の子は小さくため息をついた。腰に手を当て首を振る。ポニーテールの毛先がちらちら光を反射した。 「幸せな人だね」 そうなのかな。そうなのかも。 「で、あなた私に何の用?」 声がさっきより優しい。鼻の奥がツンとして、目の奥が熱くなる。ワタシは両手で顔を覆った。 「……うぅ〜〜」 「なぜ泣くの?」 「急に怖くなってきた……」 「なんというか、素直な人ね」 肩にぽんぽん軽い感触。手のひらが温かい。余計に涙が溢れてくる。 早くお家に帰りたい。自分の部屋に戻りたい。 クーフィーを抱っこしたい。 「お願いです。ステーションまでついてきて……」 「報酬は?」 ワタシはびっくりして顔を上げる。 「え?お金?」 「私の仕事、ボディーガード」 「えーと……」 ぽん、と肩に手の感触。女の子がクスッと笑った。笑った顔がとびきりかわいい。 ……やっぱりあれ、デートだったんだ。 「冗談よ。コーラ奢ってくれる?それでチャラ」 「あ、ありがとう……」 「あなた名前は?」 「ライカ・ベルカ」 「私はレニ」 「あ」 レニさんがワタシの背中をぽんと押した。 「ライカ、先に歩いて。ステーションまでの道はわかる?」 「わ、わからない…」 「オーケー。ナビゲートする。私のそばを離れないで」 「はい、レニさん」 まっすぐよ、という声に、ワタシは右脚と左脚を交互に動かし前進する。
縞模様の光の影

Who's Who
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Jeweletta Stories Ⅷ &Ⅸ|ZINE Trailer

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01:11
Jeweletta Stories Ⅶ|ZINE Trailer

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01:38
Jeweletta Stories Ⅵ|ZINE Trailer

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01:17
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01:47

Epilogue

 

“It was Razi’s story.”

 

The sky is white beneath a hemispherical dome.

The ground is wet.

The rain sounds like rain on Earth.

 

A white cat crosses the path.

 

A boy beneath an umbrella.

The air is clear.

 

“I ask you, humans.”

 

A rainbow appears.

 

“Are you alive?”

 

The river flows.

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