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Prologue

 

The sky is blue beneath a hemispherical dome.

The ground is covered with stones.

The birds cry through electric circuits.

 

An electric cat crosses the path.

 

A girl sits by the river.

The breeze is clear.

 

“Refill, please.”

 

“I’d be happy to.”

 

The girl stands.

Her arms open like a flower.

Her copper lips tremble.

 

“It’s Leni’s Song.”

Jeweletta Stories

Jewelettas — jewel-born artificial beings — sing, cry, and quietly live beside humanity.

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-Leni Arc-

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Title
Text
34_At the bar#07

22:35

Candy Bar

“Rocker room”


「疲れた?」

「ううん。楽しかったよ」


シュル。


「レニ。……あのさ」

「なあに?」


パサッ。


「……いや、今度にする。今日、スポットに来て良かったよ。ドレス姿、大人っぽくて素敵だった」

「ありがとう。実は古着の4800ルカなの。ホリダシモノよ」

「うん。フィットしてて、オーダーメイドみたい。靴は髪と同じ色だね」

「色がいいでしょ?でも、ふくらはぎが固くなっちゃったわ。ヒールの靴は大変ね」

「立ち姿、安定していて綺麗だったよ」

「そう?ありがとう」


パチ。

パチ。

カチャ。


「……」

「……」


シュル。

ジジ、ジ。


「……リック?」

「……やっぱり、今言おう。レニ」




「近いうちに、僕の家に泊まりに来ない?」

「えっ……」




「……どうかな」

「うん。行くよ」


ファサ、シュ。


「その日は、家まで迎えに行く」

「わかった」


コン、コンコン。

キュ、ギュ。


「僕、レニが好きなんだ」

「私もリックのことが好きよ」


パタン。

パタン。


「いい?」

「うん」


ギュ。

…………。

…………。

シャッ。


「……ありがとう」

「こちらこそ。あなたから誘ってくれて嬉しい」



ーーガチャ。

34_At the bar#06

「よお、レニ。いたいた、色黒のあんちゃんも」

「レニドレスかわいー」

「すげー!イケメンだー!」


カウンターに近づく壮年の男性1人と子ども3人。年長の少年はアッシュグレージュ、女の子は亜麻色、1番小さい5歳くらいの男の子は、ライトブラウンの髪色である。

リックが45度ほど身体を前に傾けた。

「こんばんは」

「オッチャン、いらっしゃい。珍しいね」

レニがにこやかに座席を示す。男性はカウンターの一席、レニの前に腰を下ろした。

「オヤカタに、レニの彼氏がいるって聞いてよ。チビども連れて見に来たよ」

「ちぇ。オレがレニと、ケッコンするつもりだったのにさー」

アッシュグレージュの少年が頭の後ろで手を組んでぼやく。レニはカウンターに両手をついて視線を合わせた。

「あら。そうだったの?悪いわね」

リックもレニと同じ視線になり、少年に向け口を開く。

「決闘は僕の勝ち」

「わかってるよ!くっそー、オレ、修行する」

レニが上半身をパッと起こした。目を丸くしてリックを見つめる。

「あら、リック。決闘の相手ってソルだったの?」

「うん」

「あ、リク兄それ言ってねーんだ。ちょっとカンドー」

ソルが呟く。レニは俯き加減で頬に右手を当てた。

1秒。2秒。3秒。

「……ねえ、リック」

ズザッ。

実際に音がしたわけではない。しかしレニのヒールが床を踏み締める擬音が、見ていた人には確実に聞こえた。

「は、はい」

「お?なになに!?レニ、なんかカッケーこと言う!?」

レニの青紫の瞳が、らんらんと、こうこうと、きらんきらんと輝いている。

リックとソルが、ごくりと唾を飲み込んだ。

「やっぱり私、諦めきれない。あなたとすっごく手合わせしたいわ!」

「あ、やっぱり」

「あっはっは!やっぱレニだなー」

スッ、とレニがリックと距離を詰める。リックは両手をホールドアップ。こめかみにたらりと汗が伝った。

「どうかしら?ちょっとだけ。30秒だけ!いいえ、15秒でいいの!」

リックの瞳が瞼の縁をランニングした。

ぐーる。ぐーる。2回転。

「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」

腕組みをして、ものすごく長い唸り声を発した。なかなかの肺活量。

ソルが椅子に膝立ちになり、カウンターに乗り出した。リックのベストをぐいぐい引っ張る。リックはソルに耳を寄せた。

「ちょいとリク兄!レニがここまで言ってんだぞ?手合わせの1回や2回、やってあげろよ!」

「いや、レニに脚を出すのは……」

「リク兄、蹴り当てねーじゃん。あれ、ブドーっつーか踊りだし。このこのー!レニと一緒にダンスしろよー」

レニの瞳がきらんと光る。カウンターに肘をつき、ソルに向かって重心移動。

「ダンス?ソル。詳しく教えて?」

「おう!レニの頼みなら!えーと、なんかシュッシュッシュワー!ザシュッ!って感じ!風みてえ!」

ソルの上半身の実演に、レニはふむ、と頷いた。

「なるほどね」

「レニ、今のでわかるの?」

リックが聞く。レニは右手の人差し指をピンと立てる。

「Don't think, feel.」

「あ、それ気に入ったんだ」

ソルがぴょーん、と床に降り立つ。床を踏みしめ、拳を握る。

「レニかっけー!!ライカみてえ!!」

リックが目を丸くした。

「ソル、ライカと知り合い?」

「おうよ!コクハク現場に立ち会ったぜ!」


「「コクハク?何のこと?」」


1秒。2秒。3秒。BGMの弦楽器が3人の間に3小節分鳴り響く。

ソルがバッと右手を口の近くで広げた。次元を問わず共通の、失言ポーズである。

「あっ!……オレ、なんかまずった?レニ!リク兄!ここはひとつ、聞かなかったことに!」

レニとリックはじいっと互いの顔を見つめた。

どゆこと????と相手の顔に書いてある。

「告白って、愛の?」

「ライカ、誰に?」

パンパン、パン。クラップ・ハンズ。様子を眺めていたオッチャンが、にこやかに言う。

「ほらほら。バーテンさんたち、仕事してくれよ。俺はハイボール。チビどもにはオレンジジュースを頼むよ」

「あ、かしこまりました」

レニは冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出す。

「お子さんたち、氷は?」

「オレいる!あとの2つはナシで!」

「はい、かしこまりました」

リックは4つのグラスを等間隔に並べた。



「こないだ店に来た時よ。えらい馴染んだ観光客の若夫婦だと思ったら、片っぽはレニだろ。いやー、驚いたよ」

ハイボールの最初の一口をごくごく飲んで、オッチャンは言った。子どもたちは、エラのところで静かにしている。

「ふふっ。ありがと」

オッチャンは、リックに顔を向けた。にしゃっと笑い、頬杖をつく。

「いい男だなあ。ナオちゃんと張るね。あんたさん、名前は?」

「リックです」

「リッちゃんか。レニ、どこで出会ったん?ここの人じゃないだろ?」

「彼、猫を探していたの」

「ほー。サーチャーな。レニも時々やってるけど、同じ派遣か?」

レニがリックに視線を送る。ぱしっと目が合う。

「私が言っていい?」

「僕が言うよ。アルバイトです。学生なんだ」

オッチャンはポカーンと口を大きく開いて3秒止まった。

「すっげー……。おいレニ、このこのぉ!いい男をつかまえたなぁ」

リックが、へへっ、と頬を掻く。半身を向けてレニを見る。

「捕まえたのは僕かな?」

レニはふふっ、と歯を見せ笑った。レニの右手首がくるりと回転。リックを示す。

「彼、私を駅でナンパしたのよ。やあ、1人?って」

ハイボールを飲んでいたオッチャンが、吹き出しそうになりつつグラスを置いた。コースターに半分くらいは乗っている。

「ナンパぁ!?ほー……。んー……?リッちゃん真面目そうだが、軽いんか?」

リックはにかっと歯を見せ笑った。目元を柔らかくしてレニを見る。

「あははっ、あんなの生まれて初めて。レニから目が離せなくて、つい」

レニはカウンターに肘をつき、背中を反らせた状態で立つ脚をクロスさせた。リックが赤い耳で向こうを向く。レニは腰を伸ばし、えい、とリックの耳を触った。

「オッチャン聞いて?この人ったら、初デートでメガネをかけて6区に来たのよ」

オッチャンはまたもやポカーンと口を開け、やがて、ぷっ、と吹き出した。

「あっはっはっは!!見かけによらず大間抜けだなぁ。……うんうん、こうして並ぶと似合いの夫婦だ。結婚したら知らせろよ」

「気が早いのね」

ハイボールの氷が音もなく崩れる。オッチャンはグラスを持ち上げる。

「約束は早い方がいいんだよ。コータのこともあったろう?いつくたばるかわからんからな」

子どもたちが駆け戻ってきた。

34_At the bar#04

「レニ!ヤッホー」

「よっ、リッちゃん!」

「エリー」

「やあ、ケン」


若いカップルが入ってきた、と思ったらエリーとケンだった。エリーはダボっとしたグレーのトレーナーにデニムショートパンツ。ケンはネイビーのスポーツウェアにグレーのスウェット。

「エリー。私服がかわいいわ」

「そう?いつもこんなん。動きやすいし」

「ケン、どうして?」

「オヤカタにそこで会ってさ。2人一緒にいるとこ見に来たんだ。レニちゃん久しぶり。元気してる?」

エリーとは先週会ったけれど、ケンとは随分久しぶり。多分、5年ぶりくらい。ヤンチャそうな笑顔は変わらない。

「うん。ケンはリックと知り合いなのね」

「この辺のドカタ、みんな知ってるよ」

「彼氏、背が高いねー!」

「リッちゃん、身長いくつだっけ?」

「177」

「レニは?」

「161よ」

「「おー!ちょうどいいー!」」

「リック、そうなの?」

「うーん。スタンダードを知らない」

「へへっ、お似合いってこと!俺たち、先にメシ取ってくる」

「お腹ペコペコ。たまには外で食べようって出てきたんだー」

「うん。ドリンク用意しとく。何にする?」

「「ウーロン茶」」

「ふふっ。かしこまりました」



湯気の立つチキンライスとピラフ、ウーロン茶を前に、ケンとエリーは両手を合わせていただきます、と同時に言った。

一口食べて、顔を見合わせニッコリ。なんとなくリックを見ると、今度もバッチリ目が合った。レニが微笑むと、彼も同じように笑った。

「リッちゃん、ギャルソン似合うなー。すげーイケメン。いつも作業着だからギャップすごい。ドギマギしちまう」

「ははっ。どっちもナオキのやつ」

「そういえば、ナオキくんと身長同じくらいだね」

「うん。この前スーツも貸してくれた。僕、服が全然なくて」

「リックくん、上の人なのに苦労人なんだねー」

エリーは、チキンライスのコーンをケンのプレートにちょんちょこちょん、とスプーンで移動している。ケンは、それをライスと一緒に口に運んだ。

「リッちゃん根性あんだぜ。毎週毎週、型落ちのトランシット担いで測量しに来てんだから。レニちゃん、今日もやってたんだよ」

「リック、そうなの?」

「うん。休みだから」

そういえばリック、今日来た時に大きな荷物を持っていた。あれは測量の道具だったのね。

毎週毎週……。ガッコウもあるし、バイトもあるし、私とデートもしてるのに。何も言わずに1人でやってたの、すごいなあ。

「ねえねえ。出会いがナンパってことは一目惚れでしょ?」

エリーがリックに顔を向けて言った。ケンがええっ!?と大きな声で仰け反った。

「リッちゃん、レニちゃんナンパしたん!?そんな奥手で!?」

「へへっ。うん」

リックがへらっと笑った。男の子と話す時は、こういう顔もするのね。なんだか新鮮。

「リックね。何の用?って私が聞いたら、特に用はない、今考える、って言ったのよ」

「あはは!なにそれー!」

「リッちゃんおもしれーなあ!」

リックが少し屈んだ。イタズラっぽい上目遣い。

「レニ、それ覚えてくれてたんだ」

「考えても、全然わかんないんだもん」

「ほら。Don't think, feel.」

考えるな。感じろ。

「あ、わかったわ!」

レニはぴょん、と飛び上がった。これのことね!なるほど!

「あははっ!2人、仲良いなあー!」

「リックくんは、レニのどこにビビッときたの?やっぱり顔?美人だからねー」

リックが、自分の首の後ろに手をやった。

「もちろん、顔も大好きだけど」

「お、じゃあスタイル?今日のドレスもセクシーだもんな!ミニスカ?」

「ちょっとケンー?」

エリーがケンの肩を小突く。ほっぺがぷくぅと膨れて、図鑑で見た子リスみたい。

「エリーむくれんなってー。服を褒めただけじゃん!」

「言い方よっ!ここから見えないスカート丈まで聞くんじゃない!」

「……」

チラッと横目でリックを見上げる。さっきのポーズのまま、向こうに顔を向けていた。

あ。耳が赤い。……うずうず。

「えい!」

「わっ!レニ?」

リックがパッ、と振り向いた。あ、耳だけじゃなくてほっぺたも赤い。

「リック、顔が赤いわ」

「あちゃー……」

リックはおでこに左手を当てる。体温を測っているんじゃないのはわかる。

「ミニスカートが好き?」

「……………………うん」

レニは、くるっとターンした。カウンター内部の狭い場所だが、タイトなドレスなのでどこにも引っかかったりしない。

「「おー!!」」

「わぁ……好きだなぁ……。……あ」

「えい!」

「わわっ!……あはっ!」

「あっはっは!イチャイチャしてる!」

「らぶらぶだねー!そんでそんで、リックくんは、レニのどこに一目惚れしたの?」

リックが、エリーとケンに向き直る。一度顔をレニに向けた。ニコニコ笑顔。

「身のこなし。身体の使い方がすごく自然で、僕、ポーッと身惚れちゃって。家帰っても忘れられなくてさ。何度かあの場所行ったんだ。でも会えなくて。で、次に見かけた時、チャンスと思って声かけたんだよ」

へえ、何度も私を探したんだ。初めて知ったわ。

「ナンパっていっても、初対面じゃなかったのかあ」

「うん」

「身体の使い方なら、私もリックの動きが好きよ」

「え!そうだったの?」

「リック、走って来たでしょ?猫みたいだなって。俊敏でしなやか。脚が鍛えられてて、動きもだけど、形もきれい」

「え、そう?走ってばかりいるからかな」

「リックが私に駆け寄ってくるの、好きよ」

「レニを見つけたら、自然に脚が動いちゃうんだ」

「歯も好き」

「え、なんで?」

「笑うとチラッと見えるでしょ?かわいいわ」

「へー。自分じゃわかんないなあ」

「えい」

「わっ!」

「反対側も!」

「うん!」

「えい!」

「あはっ!…………あれ?なんか静か」

「ケンとエリー、どうしたの?」

2人は同時に顔を見合わせて、なんとも言えない顔になった。料理は、2人ともプレートの左側に寄っている。スプーンの角度が全く同じ。

2人はウーロン茶のグラスをそれぞれ取って、同時に飲んでまたお互いの顔を見た。鏡を見ているみたいで楽しい。

「えーーーーっと。どうしよ、ケン」

ケンが一度腕組みをして、天井を仰いだ。エリーは頬杖をつき、ケンの顔を横目で見ている。

ケンが机に手をついた。重心が前に傾く。真面目な顔。

「…………あの、そのイチャイチャで、半年経って、まだキスしかしてないの?逆になんで?」

レニはリックを見上げた。リックもレニを見た。キョトンとしてる。まんまるの目がかわいいかも。

「えーと、なんのこと?」

「体の相性、バツグンっていうか……」

「かっ、からだ!?の!?相性!?」

リックが転ぶかと思って、レニは彼の肩を支えた。そんなことはなく、若干フラッとしただけで、ありがと、と言ってリックはレニの手を外した。

ピシッ、とエリーがケンの肩をはたいた。

「言い方!デリカシー!」

「だってよー!?」

「わかるけども!」

「だろーっ!?」

「「…………」」

「……メシ食うか」

「そだね」

もぐもぐもぐもぐ。

「身体にも相性っていうのがあるのね」

「え?レニ?」

「リック。やっぱり、一回手合わせしない?」

「!!??」

「「お?くるか?」」

「私は合気道と空手よ。あなたの武道って何?」

「「あ、そっち」」

「カポエラと、テコンドーを少しだけ」

もぐもぐもぐ。

「それ、すっごく面白そう!!」

「でも、独学だし。テコンドーは基礎だけやってやめたんだ」

「決闘に勝ったのよね?手合わせしたいなあ」

「うーん……」

「勝負じゃなくて、型合わせでいいの」

「レニに、脚を出すのは……」

「じゃあ腕は?」

「う〜〜〜〜ん……。ガードなら……。なんとか……」

「受け身取れる?」

「わかんない。実戦でやったことないから」

「リック、強いのね!」

「相手は、運動したことのない学生ばっかりだし」

「手合わせしたいなあー」

「うーん……」

「イチャイチャしてる……のか?」

「結局、バトルはするの?しないの?」



カチ、カチン、とスプーンが皿にオン。2つのプレートは同時に空になった。

レニはナフキンを2人の前にそれぞれ置く。ケンとエリーはそれぞれ取って口元を拭き、手を合わせる。

「ごっつぉーさん!」

「ごちそーさま!」

ケンが1人立ち上がる。

「俺たちそろそろ帰る。リッちゃん、レニちゃん、今日楽しかった。今度は4人で飯行きたいな」

リックと目が合う。あ、嬉しそう。ウォッチを操作し、リックはケンに右腕を伸ばす。

「すぐに行こうよ。ケン、連絡先いい?」

「うん……よし!エリー、金払ってくる」

「リョーカイ!ここで待ってる」

レジに向かうケンにひらひら手を振って、エリーはカウンターに肘をついた。開いた両手のひらに顎を乗せる。

「今日、2人ラストまで?」

「うん」

「リックくん、そのまま帰るの?」

「うん」

「レニ、いいの?」

「うん」

「ふーん」

エリーは、ぱちぱちぱちっ、と瞬きをした。今日はノーメイクの私服姿なので、いつもより3歳くらい幼く見える。

「へー。そういうもんなんだー」

ケンが戻ってきた。

「勘定済んだ。エリー行こ」

「うん!バイバーイ!」

34_At the bar#03

「誰かと思えば、リッちゃんじゃんか」


ドリンク注文に来た客の出立ちは、ニッカポッカと長袖Tシャツ。仕事終わりはハイボールかしら、それともコーラ?とレニは注文を予想する。

「あ、オヤカタ」

リックがニコッと笑って会釈した。おじさんは目の前のカウンター席に座った。

えーと。2人、知り合い?

「飲み物、何にします?」

「ハイボール。キンキンの」

「かしこまりました」

リックがグラスをテーブルに置いた。彼が氷を入れている間に、冷蔵庫から炭酸水を取り出す。ウイスキーボトルをワンプッシュ。ソーダをゆっくり注いで、銀のマドラーで3回混ぜる。

「ハイボールです」

リックがコースターの上に置く。上手だな、と指の角度と使い方をじっと見る。関節がボコっと浮き出る長い指は、技術者って感じがする。

「リッちゃん、そのうちこっちに住むんか?」

オヤカタがハイボールをごくごく飲んで、ぷはあ、と笑ってから言った。

こっちに住むって?

「リック、何の話?」

リックの瞳が瞼の縁を一周した。このチャーミングな仕草は、考え中だわ。久しぶりに見たかも。

「工事の話をしてたんだ」

オヤカタが、うん、うん、と頷く。

「リッちゃんが川造りてえ言うからよ。俺ら、それを待ってんだ」

「川を?イーストに?」

レニはリックを見上げる。

川を作る、とは言っていたけど、もっと先のことなんだって思ってた。

リックがレニを真っ直ぐに見る。見据える、と言ってもいいくらいの強い光。

「うん。ここから始めたい」

なんて綺麗な瞳だろう、と、レニはピーコック・グリーンの瞳をぼうっと見つめてしまった。

「大人しそーでナヨっとしてると思いきや、なんのなんの。頭はいいし腕も立つし、腹の坐ったいい男だぜ」

オヤカタが、ハイボールをぐびりとやってそう言った。

腕が立つ?

……リックの話だよね。

「腕が立つって?ケンカ?」

「決闘さな」

「リック、勝ったの?」

「えーと……」

「おうよ。リッちゃんつえーぞ」

レニはぴょん、と飛び上がった。

「ほんと!?リック。今度、私と手合わせしてみない?」

リックが自分の左のほっぺたを指で掻く。

「僕、レニには手も足も出ないよ」

「えー」

「見つめられると動けない……。これ、まじの話なんだ」

「私って、メー、……メ、メ、なんだっけ?髪がヘビで石にするやつ」

「メデューサ?」

「それよ!リック」

「あはっ、どちらかといえば電気ショック」

「ふふっ。逃げ出した電気猫みたい」

「それで出会ったんだよね」

「そうだった」

カラ、カラン。グラスが揺れた。

「お熱いとこ水差すけどよ。お姉ちゃん、もしやリッちゃんの彼女か?」

リックとバッチリ目が合った。彼がにへら、と笑ったので、レニはリックの左腕に肩を寄せた。

「うん。私たち、お付き合いしてるの」

「へへっ」

オヤカタがヒュウ、と口笛を吹き、背中を反らす。向こうの客が、3人こちらを振り返った。

「へーえ!!どんな女丈夫かと思いきや、すらっとした別嬪さん。今日は用心棒かい?」

空のグラスと「おかわり」。リックが新しいグラスを出して、氷と適量のウイスキーを入れた。

「そうよ。これまでも、時々バイトで来てたけど」

レニはソーダをそこに注ぐ。

「そーいや見た気もする。ああ、男の服着てたから」

「いいでしょ?その時は、合う靴がなかったの」

ぐるぐる、ぐる、とかき混ぜ完成。コースターにグラスを乗せる。オヤカタがグラスを持ち上げ、リックに向けてウインクした。

33_トリプル・トポロジーズ#02

6区イーストW"Candy Bar "

日曜夜18:00。


「レニー!おひさー!」

「エリー。元気してた?」

「見ての通り!そっかあ、ナオミさん、やっぱり行っちゃったんだあ」

「うん」

ナオミの穴埋めの、キャンディ・バーのスポット勤務。とはいうものの、フロアではなくバーテンダー。自前のドレスの出動はこれで4度目。何度も着られて、元が取れた感じで嬉しい。着て行く場所はここしかないし。

エリーがカウンターの椅子に座った。レニと同い年の、ブロンド巻毛の美少女である。今日のドレスは口紅みたいなピンク色。

「駆け落ちまでして、友だちとも家族とも離れて。ナオミさん、そんなに、自分で子どもを産みたいかなあ?」

容姿はお人形(ビスク・ドールと誰かが言ってた)のように可憐だが、口を開くと下町っ子全開の、おきゃんで明るい女の子。思ったことが無修正でそのまま声に出るのだが、それがレニには好ましい。

「ナオミは、前を覚えてるから」

「そっか。上ではふつーのことだもんね」

エリーが少し遠い目をした。頬杖をつき、ブレスレットがシャランと鳴る。

「ねーさんも、だから上に行ったのかなあ。ナオキくんと結婚すると思ってた」

レニは、期限切れスレスレのトマト・ウォーターを2つのグラスに半分こした。一つをエリーの前に差し出す。

「ジェン、元気にしてるよ」

エリーは懐かしい目でグラスを傾けごくごく飲んだ。トマト・フレーバーはあまり出ない。よく在庫が期限切れになる。店主が発注数を変えないので、スタッフの休憩用ドリンクと化している。

「レニはパスがあるもんね。ねーさんによく会う?」

「うん。仕事先からすぐのとこ。ランチを時々一緒に食べるの」

「いいなー。私も上に行ってみたい。生まれてすぐにここだもん」

ふわっと朧に浮かぶ光景。すごく小さなエリーと私と、赤ん坊のあの子達。

「エリー。私の弟、覚えてる?」

エリーはにかっ、と笑った。笑うと口が大きくなって、笑窪が両頬にくっきりできる。

「アルとジョージィだよね。かわいかった」

「うん」

「レニとは落ちた時期近かったし。私にとっても、弟みたいな感じだよ」

「ありがとう」

レニもトマト・ウォーターを飲む。冷たくて心地よい。

バーの店内は穏やかに静か。ジュエレッタのエラが来てから1年以上。客層はかなり変わった。地元の人も今まで通りやってくるが、観光客が大きく増えた。店の治安がいいからだ。

ガラン、とドアベル。エラが顔を向けウインク。タイミングも首の角度もナオミそっくり。

「そういえば、レニ、彼氏できたんでしょ?」

エリーが目をきらんと光らせて聞いた。レニは頷く。

「ええ」

「どんな人?年上?年下?」

「1歳下」

「かっこいい?」

「うん」

「優しい?」

「とっても」

「初デートは?」

「イーストIのカフェよ。私の家の近く」

「わー!いい人!」

エリーはパンッと手を叩く。客数人がこっちを見た。エリーは投げキッスをして、ひらひらっと両手を振った。

「上の人なんでしょ?結婚するの?」

「うーん。……まだ、わからないわ」

「あ、まだしてないの?」

「うん」

「付き合ってどれくらい?」

「半年くらいかな」

「大事にされてるんだあ。いいなー」

エリーがうらやましー、とぼやく。レニは微笑み、カウンターの水滴を拭いた。

「ケンも、エリーに優しいでしょう?」

「そーだけど、あいつスケベなんだもん。私は眠いって言ってるのにー」

2人は一緒に暮らして1年以上。そういうことも、日常的にするんだよね。

「それ、エリーは嫌なの?」

「あははっ!嫌なわけないじゃん!でも、次の日、仕事があるからさー。弁当作らなきゃだし」

リックはそういうの、どうなんだろう。それ以前に、私はそれって、好きかな?どうもイメージできないわ。

「体力オバケ。ま、男らしくていいけどね」

「へえ。そういうものなのね」

エリー、口で言うより幸せそう。そこも含めて好きなのね。

「エリーは、ケンと結婚するの?」

エリーはうん、と頷いた。

「それしかなくない?あいつのこと好きだし。子どもをもらって育てるのなら、ケンとがいい」

「いつとか、考えてる?」

「来年とかかなー。オッチャンとこのちびが5歳になる。家族になるのは、早い方がいいからね」

「そうだよね」

6区における結婚は、正確な言葉を選ぶと事実婚になる。名前がないから入籍できない。マザーに夫婦として登録されないから、出産許可は決して下りない。

生活圏の住人を招いて結婚式をして、相談役が何人かつく。子どもがほしい夫婦は、6区移送後一時的に各家庭に保護されている年少者を、家族として引き取る。

バーチャンの家は、イーストの行き場のない子どもを保護する、行政からも認められた保護施設だったのだ。

エリーがグラスを爪でカランと弾いた。赤い爪は、短くて生活感がある。

「レニは、名前もらって入籍して、上に行って子どもを産むの?」

レニは少し目を伏せた。視線がゆっくりカウンターの木目を辿る。

「わからない。名前や出産のことは、彼とまだ、ちゃんと話していないから」

「ふーん、そっか。彼がこっちに住んだりは?」

レニは左右に首を振る。上層の人が6区に住むというのは聞いたことがない。遊びでなければ、階層違いの女とわざわざ付き合ったりしない。ナオミはかなりの特殊ケース。6区の女がA市民と結婚して、火星に行って子どもを産む。そんなストーリー、昔話としても残ってない。

ベンはナオミのことが好きだから、ムーンバレーA市民としての暮らしも権利も未来も手放して、2人で火星に行ったんだよね。

家族になるために。

「彼、セントラルの学生なのよ」

「すっご!!超エリート!!」

エリーがバン、と机を叩いて立ち上がる。客の半分がこちらを向いた。エリーはセクシーポーズでくるりと回り、脚を振り上げ、バレエみたいなお辞儀をした。客から拍手が沸き起こる。

「そんな人と、一体どうして出会ったの?」

エリーがずいっとカウンターに身を乗り出した。目がらんらん。レニは髪を指にくるくるっと巻きつける。

「駅のナンパよ」

「え!?レニから!?」

「彼から」

エリーが頭を45度傾けた。首の筋肉が柔らかい。

「んんん???自分からナンパしたのに、半年経っても手を出さないの?」

「うん。すぐに赤くなっちゃうの」

「えー。じれったくない?」

エリーはそうよね、とレニは微笑む。胸に垂れた髪をレニは背中に流す。

「そこがいいのよ。キスはしたの」

「あ、ちょっと安心。お泊まりは?」

「彼は学生でしょ?私は働いているから、それを気にしているのかも」

「じゃ、卒業までなし?結婚ができるとしてもずーっと先?レニ、それまで彼と、離れて暮らすの?」

「そうかもね。今と同じ」

ふーん、とエリーは両肘をつき、くっつけた手首の上の手のひらに華奢な顎をこくんと乗せた。

「レニは、それでも彼と付き合うんだ?」

「うん」

「彼はちゃんと考えてるかな?」

レニはふわっと頷いた。腕を組む。素肌の肘を指で擦った。古傷が、ここにもあったか。あ、ここも。

「そうじゃなければ、もっと早くお泊まりしてるわ。好みの女の子と楽しく付き合いたいってだけなら」

傷をどう思う?ってリックに聞いたら、どうもしないよ、って言うんだろうな。

エリーがにかーっと笑った。エリーの笑顔はあったかくてほっとする。

「そりゃそっかー。いい人だね」

「うん。一緒にいるだけで幸せなの」

「彼とどんな話をするの?」

「動物とか、歌とか、本とか。地球のことも話すかな?でも、話していない時間が長いわ」

「ロマンチックでいいなー。歌といえば、レニ、さっき鼻歌してたねー」

「そうだった?」

「なんて曲?」

「えーと。……ラ・ラ・ルー」

「レニ、歌うくらい幸せなんだ」

「ふふっ。そうかも」

32_リバーサイド・レコード#08

「モリー。ただいま」


玄関を開く。モリーはいつもの椅子で、レニに向けてニッコリ笑った。レニは冷蔵庫に直行。ストロベリー・ウォーターを取り出し、窓辺の椅子に腰を下ろす。


「リフィルプリーズ。モリー」

“Sure. Retriver girl.”


モリーが立ち上がり、体を少し揺らしながら前奏をハミング。窓の外には、夕暮れ色の6区の街が広がっている。今日の2層はオータムなんだわ。

ウォーター・ボトルを傾ける。甘酸っぱいイチゴの香が喉を抜ける。今日食べた、ケーキの味を思い出した。



ケーキを並べている時に、キャンディ・バーの穴埋めを1週間、レニはナオミからこっそり頼まれた。


『エラがいるから接客はいいの。店の女の子達に、何も言わずにいなくなるから。ナオキに聞けないこともあるでしょう?レニがいると助かるわ』


ボストンバッグひとつを持って、ナオミはベンと腕を組んで、さよならと言い手を振った。


「……本当に、行っちゃった」


大好きな人に、会えなくなるのはとても寂しい。

……もしも、リックがいなくなったら?


「私、リックが好き。大好き」


ずっと一緒にいたい。笑った顔をいっぱい見たい。

「……だけど、それって友達として?それとも男の人として?」

リックは、女の子として私のことが好きなんだよね。少なくとも、見た目もちゃんと好きみたい。出会いはナンパだって、みんなもリックも言っていた。あのワンピースも、すごく好きって。

一緒にいると時間が経つのがあっという間で、本当は1秒だって離れたくないくらい。朝起きて、隣にいたらいいのにな、って思って眠る日もある。

クリスマスにキスはしたけど、普段は手すら握らない。友達みたいに2人で過ごして、私の家から帰る時だけ、触れるだけのキスをする。


それで幸せ。けれど、なんか違う気もする。


友達みたいに気安いけれど、リックは男の人だもんね。赤くなるっていうことは、私にドキドキしてるってこと。いつかは、次に進みたいって思っているよね。


「そのうち、そういうことになるのかなあ」


………。

………。

………うーん、なんか想像できない。

………私、ちゃんと色気ある?


肩に手を乗せる。3センチくらいの、つるりとして感覚の薄い場所。

初仕事の時の古傷。ここは縫ったから覚えてる。でも、見えないところに一生傷がどれだけ残っているのか知らない。

これまでは気にしたことも無かったけど、傷がいっぱいある身体って、男の人はどう思うんだろう。

びっくりするかな。げんなりするかも。

いざという時に盛り上がらなくて、彼に恥ずかしい思いをさせたら悲しい。不安要素は傷だけじゃない。腹筋は割れてるし、おしりは硬いし、胸だって小さいし。


スニーカーの靴紐を解く。靴を脱いでソックスを外す。

24cmの素足。女の子にしては大きめ。かわいい靴があまりない。


傷が一つもない場所って、私の身体でここだけかも。


この目も耳も、腕も、脚も、筋肉も、神経も、心臓も。仕事道具としてしか、ほとんど使ってこなかった。いつも完全に制御できるよう、食事や睡眠でメンテナンスをしてきたつもり。

思い通りにちゃんと動いて、そう簡単には死なない身体。


私には、この身体しかない。


内側で触れ合うって、どんな感じ?

私、それを受け入れられる?


「……わかんない」


自分の身体を明け渡すのは、少し怖い。

途中でパニックになって、リックを張り飛ばしちゃったらどうしよう。それが1番心配だわ。


それに、もしそれができたとしても、家族になるにはまた別の問題がある。


6区のこと。

パスのこと。

子どものこと。

削除された名前のこと。


子どもを産んで育てるには、マザーの許可がいる。無許可で産めば、その子は名前もウォッチの交付もなく、Zに移送される。だから、6区の夫婦に血縁関係のある子どもは1人もいない。つくらない。Zとは、6区の人にはそういう場所。

そして6区には、上から落とされた子どもがたくさんいる。事実婚の夫婦の家や育て親に引き取られ、家族になる。


レニはナオキとナオミと、物心つかない頃からそうして一緒に暮らしていた。


ウォッチがなければ教育されない。

ウォッチがなければ仕事がない。

名前か上の仕事がなければ、上層エリアのパスがない。

名前がなければ結婚できない。

結婚しないと子どもは持てない。

結婚しても、出産許可の順番待ちが階層順に決まってる。


結婚して子どもを産むために、6区の女は飛び越えるハードルが多すぎる。

リックは頭がいいし優しいから、そういうことをちゃんと考えているんだろうな。多分、私よりもずっとたくさん。


「子どもが5人は欲しいって、ナオミ、ずっと言ってたもんね」


それで、ナオミは火星に駆け落ちした。ボストンバッグひとつを持って。


大量の服はどうしたんだろう。

バーのクローゼットかな。


"La La Lu…"


「モリー。……この歌、2回目ね」

32_リバーサイド・レコード#07

ベンとナオミは、挨拶回りがあるからとケーキを食べて帰って行った。2人分のイチゴのケーキの、イチゴをナオミが、生クリームとスポンジをベンが担当していた。

火星へは、今日19:30の便で発つらしい。ボストンバッグ1つを下げて、2人は家を後にした。レニは、みんなと手を振ってナオミの後ろ姿を見送った。



片付けをしての帰路は5人。大通りを左に、リックとピッポが先に歩き、レニとジェンとライカが後ろをついていく。

レニはリックの背中をつついた。リックが身体を半分レニに向ける。

「リック。あなた、すごいことをしていたのね。初めて知ったわ」

「ええっ!!??」

ピッポが大声を上げ、地面から両足が5センチメートルほど浮いた。

「ちょ、おま、あの、装置のこと、レニさんに言ってねーの!?有り金叩いて10年かけてやってんじゃん!!なんで!?」

リックがピッポに小さい声で何か言った。ピッポが口に手を当てる。

「すまん、リック」

「いいよ。でもさ、タイミングってあるじゃんか」

「悪い。そうだよなー」

歩き出す。リックは前を向いたまま、自分の首の後ろを指で掻いた。

「ごめん、レニ。……水源装置のこと、隠していたわけじゃないんだ。でもどうしても、最後はお金の話になっちゃうから」

ジェンがタタッ、と前を歩く2人の間に近づいた。

「リックくん、お金がないのは、恥ずかしいことじゃないよ?」

リックはこく、と頷く。

「うん。恥ずかしいってわけじゃないんだ。でもさ……」

レニはリックの服の裾を下方向にちょん、と引いた。リックが肩越しに振り向く。目が合った。

ああ、いいな。この瞳。初めて会った時、何色かしらと考えた。青でもあるし、緑でもある。エキゾチックな青緑は、孔雀の羽の丸い部分が1番似てる。

「リックは、私と出会う前からずっと一人で、川を作るために頑張っていたのね」

今は、見たことがない川の色かもしれないと思う。

ピッポが3回深く頷いた。

「そうなんすよ。それ以外は無頓着っていうかほんとテキトーで。今日はちゃんとしてるけど、ガッコでは……、あ!失言!……回避!」

ピッポは両腕を広げてセーフ、のポーズ。

ガッコ?大学のこと?

「ガッコウで?リック、なんか違うの?」

「……ピッポ。回避できてない」

「たびたびすまん」

「ふむ」

隣のライカが顎に曲げた人差し指を当て、首を角度にして15度くらい傾ける。

「あ。ライカ、何か知ってるの?」

ライカはうーん、と少し唸り、やがて首を左右に振った。

「ノーコメントです。男のコケンに関わります」

ジェンがパチンと手を叩く。

「ライカ、かっこいー!」

「ジェンさん、It's an honor」

リックがライカに向けて開いた右手を押し出した。

「ライカ、気を遣わなくていいから。……だってさ。デートに履いてく靴がないとか、カッコ悪い」

ジェンがちらっと下を見た。

「靴?綺麗よ?ね、レニ」

レニはナオキと3人で歩いていた時靴をずーっと見ていたから、今はリックの横顔を見ていた。

「最近は、いつもこれよ」

リックが照れ臭そうに笑い、ジーパンのポケットに右手の親指を引っ掛けた。

「うん。この前バイト代で買ったんだ。この服も」

ライカがふむ、とまた頷く。

「リックくん、大学とは雰囲気が全然違います」

「え?そうかな?」

ライカがレニに顔を向ける。きらーん、と擬音を発し、こめかみあたりで右手を上下に動かした。

あ、これはメガネのポーズね。

「レニさんがいるとcool and cute.非常にイケてる爽やか男子。しかし大学では、ぶっちゃけサエナイメガネです。万年靴と万年服で、むっつりぼーっとしています」

「そうなの?いつもニコニコしていて、所作もとってもスマートよ」

「ハイ。ワタシはとても驚きました。大学では、表面的には穏やかですが、男女問わず塩対応です。見た目に無頓着で気難しい、平均的な理系男子。よって女子からはout of 眼中です」

「……あのさ、ライカ。それ、今ここで、何から何までレニの前で全部言う?」

「リック、気難しいとこ出てるぞ」

「はっ!」

「レニさん。嫌いにならないであげてください」

「どうして?今、ちょっとカッコよかった。怒ったところも見てみたいわ」

「「おー」」

「良かったねー、リックくん!」

「…………うん」

「お?すげー照れてる!」

リックがピッポの肘を肘で小突いた。小さい男の子たちみたい。

「それに、服がないのは私も同じよ。デートに来ていく服がないって、慌ててワンピースを買ったの」

「えっ!そうだったんだ」

リックがパッ、と振り向いた。レニは頷く。

「黄色なんて、自分じゃ絶対選ばないけど。ナオミがこれがいいよって」

ジェンがリックの肩を人差し指で突っついた。

「リックくんさー、レニのワンピース姿どうだった?いつもジーパン。スカートは新鮮でしょ?」

「ええっ!?え、……っと……。その……。あの、……すごく似合ってて」

「モジモジしてるぞ」

「デレデレしてます」

「へー。好きなんだ?」

「……うん。きれい」

「リックくん。本当に大学と全然違います」

「な」

「あ!」

レニは、はっと思い出した。今の今まで忘れていたが、これはジェンに話したい。

「ジェン?私ね、あれ着てる時ナンパされたの。ねえねえ1人?って」

「あ、そうだった」

「えっ!まじか!」

「それはケシカラン」

「あのさレニー。そのナンパ男大丈夫だった?」

うん、とレニはジェンに頷く。

「あと1秒、ってところでリックが走ってやってきて、私の拳を止めてくれたわ」

「あははっ。危ないとこだった」

ピッポとライカがなんとも言えない顔で3秒くらい見つめ合った。レニは背中側で自分の手を組む。

「ナンパなんて初めてされたの。驚いちゃった」

「え」

リックが勢いよく振り向いた。びっくりした顔。口をぽかんと開けている。

「え?リックどうかした?」

「……レニ、あのね」

「リックどした?」

「そういえば、オフタリの出会いはどちらですか?」

「え?駅でドリンク飲んでたら、リックが、やあ、1人?って」

ぴた。

しーん。

しーーーーん。

……私、何か変なことを言ったかしら。

「ほーお。リックくんが、急に軽い男に見えてきました」

「あははっ!ナンパじゃん!リックくん、イケイケだねー」

「お前、レニさんナンパしたんか!?」

「うん」

「なぜ俺にそれを言わんかった!!??」

「ごめん、恥ずかしくて」

「やきもきしただろ!」

「うん。心配かけた。その節はありがとう」

「はあー、まあいいけど」

ガヤガヤガヤ。……えーっと。確認しよう。

「リック。あれ、ナンパだったの?」

「うん。今言おうとした」

「あら」

リックが曲げた指で頬を掻いた。

「へへ。気がついたら声掛けてた。前に一回、バイトの途中で会ったでしょ?それから、僕、レニのことが忘れられなくて」

また思い出した。猫探しのバイト。

「そういえばリック。お金の話になっちゃうけど、猫探しでチップは貰っていないの?」

「うん」

サーチャーには、学生だけを雇う専門業者がある。基本的に顧客には同じ学生を継続派遣し、猫探しの名目でチップを手渡す支援制度。

リックは見た目も頭も人当たりもバツグン。太客からのチップでかなり稼げるはず。でも、それはしないんだ。

本当に猫が好きなのね。

「リック、クールね。私なら、遠慮なく貰っちゃうわ」

ピッポがリックの脇腹を3度つつき、リックがピッポに小声で何か言った。ピッポが振り向く。満面の笑顔。

「レニさんレニさん。こいつ、スッカンピンだけど、いいヤツでしょ?」

「うん。かっこよくて優しいもん」

「…………えっと」

「お。リックくん。耳がユデダコです」

「んー?……レニさん。こいつ絶賛照れまくり中です」

「そうなの?ねえ、リック。こっち向いて?」

「……ちょっと待って」

「レニさん待ってんぞー」

「ほらほらー、リックくん」

「う……。えっと……、はい」


「えい」

ぎゅ、ぎゅー。

「わ!」


レニは引っ張った耳をパッと離す。リックは目を丸くして、ぼんやりとした動きで自分の右耳を触った。

「ナオミの真似。耳、あったかいわ」

「……レニ、今の」

「あ、嫌だった?ごめんね」

「全然!!全く!!そうじゃないよ!!」

リックが車のワイパーみたいに左右にぶんぶん手のひらを振った。

「レニ。……あの」

ぐ、と口が引き結ばれる。真面目な顔。かっこいいかも。

「今の……、……もう一回、いいかな」

リックが右手で自分の耳を指差した。

「あ、耳、引っ張ってもいいってこと?」

「うん。ぜひ」

やった!

「えい」

「わっ!あははっ」

「こっちもする?」

「うん!」

「えい!」

「あはっ!」

「ふふっ。リック、こういうの好き?」

「レニのなら、なんでも好き!」



「イチャイチャしてる」

「デレデレしています」

「へー。2人だとこんな感じなんだあ。……ずずっ」

「ジェンさん。ハンカチどうぞ」

「ライカかっこいー……グスッ」

「I’ve been there.」

32_リバーサイド・レコード#05

「あれぇ?レニとリックじゃん」

コンビニの店先でナオキを発見。ホワイト・ジーンズにジャパン・ブルーのアロハシャツ。素足にニホンのサンダル。リゾート感満載のファッションである。シャツはウキヨエっぽい波柄で、光沢があり彩度が高い。500メートル先からでも個人を特定できる。

「オッス、ナオキ」

「えーと?前からちょいちょい思ってたけど、レニのオッス。それ何?」

リックが首を傾けレニを見た。クイズの答えを言う時みたいな上目遣い。

「武道の先生だからだよね?」

「そうよ、リック」

「なるほどー、……ははっ」

ナオキが頭の後ろをぽりぽり掻いた。目尻に笑い皺ができる。

「いやー、お似合いお似合い。カップルっつーか若夫婦みてえ」

「若夫婦……」

「ナオキは私の親戚のおじさん?」

「あっはっは!いや、助かるよ。台車に全部乗らなくてさ」

コンビニのガラス扉の前に停車中の台車の1番下には、コーラとオレンジジュースが半々になったボトルクレートが2つ、どでんと乗っていた。その上にパーティプレートが4つ重なっている。さらにいくつか店の中から店主の家族が袋を運び出した。

「それ持つよ」

「サンキュー、リック」

ナイロンの袋を4つと重箱の風呂敷を、リックがナオキから受け取った。

「あら、私は?」

「えーと、レニはこれな」

ポン。

「軽い……」

持ち手のついた四角い箱。模様がきれい。ケーキかしら。

ちら、と台車を見る。積み上がった物の高さは腰のあたり。安定感もある。この上に、絶対乗る。

「私、来た意味なくない?」

「レニがいると楽しいよ」

リックがニコッと笑って言った。

ふーん。そっか。

「そう?ならいいわ」

「それ、ケーキだね。何の味かな」

「イチゴがいいなあ」

「果物、美味しいよね」

一旦店に入ったナオキが戻ってきた。台車のスイッチを押す。ウィン、と起動し少し浮く。

「よし、勘定済んだ。帰るぞ」

ナオキは台車のハンドルを押した。レニとリックは彼の後ろに、横に並んでついていく。



「リック、ライカちゃんと話した?」

歩き出して少しして、ナオキがリックを振り向き聞いた。

「うん。彼女、この街が好きなんだって」

「あら、そうなの?」

今日、ライカが来ることになった理由をレニは特に聞いていない。リックやピッポの友達なのね、くらいの気持ちでいたので、街そのものが理由の一つとは意外だった。

「へー。どこがいいんだ?」

「ごちゃごちゃしたところだって」

褒め言葉としては微妙だけれど、自分の街を好きだと言って、実際に来てもらえるのは嬉しい。埃っぽいしガラは悪いし、いいとこばかりの街ではないけれど、レニはここの暮らしが気に入っている。

「あと、サブカルオタクなんだ」

「あれ?ナオキと趣味一緒じゃん」

レニはナオキの後頭部に言う。首の角度が上向いた。

「へー。確かに喋りはオタクっぽい。彼女、何が好き?」

「今日はアニメかなんかのTシャツ着てたよ」

「ビビッドなグリーンがカッコいいわ」

「何系?」

リックを見ると目が合った。何系って、何のこと?

うーん、とリックは少し考え、口を開く。

「飛行機かな?戦闘機かも」

「ふーん。今度、好きなSF聞いてみよう」

あ、合ってたみたい。ナオキのあの言葉の意味が、よくわかるなあと感心する。

会話が途切れた。レニは、今聞くことにした。

「ジェンと話した?」

「しょっちゅう電話してる」

「会うのは久々でしょ?」

「まーな」

もう、ナオキはいつもこれだから。もう少し、ちゃんと言葉にしたらいいのに。

あ、と短く声を上げ、ナオキが肩越しに振り向いた。

「あいつ、ちょっと太った?」

……。

……。

えーと、もっと聞き方あるんじゃない?

「そうかしら?」

リックがナオキの隣に駆け寄った。

「ナオキ。ジェンは低体重に分類されるくらいだよ。僕は健康被害が心配だ」

「いや、違う。そういうあれじゃなくて」

「ジェン、前は今よりもっと痩せてたの?」

「そう」

「じゃあ、健康になって良かったね」

「おう」

へえ。ナオキとリック、2人で話すとこんな感じなんだ。

不思議な感じ。ナオキのこともリックのこともよく知ってるはずなのに、今は知らない男の子みたい。

ナオキが首をこてんと左に傾けた。

「すげー綺麗になったなー、って思ってよ」

「ジェンは前からとても綺麗よ」

レニはアロハシャツの背中に向かって言う。ナオキはレニに振り向いた。

「知ってるよ。何年一緒に暮らしてたと思ってんだ」

3年だよね。私は離れて暮らしてたから、2人の暮らしはよく知らない。

「2人だと食えねえ時が結構あって。食わせてやりてーのに、おれも稼ぎが全然なくてさ」

でも、ナオキはジェンと結婚するだろうって、バーチャンの家でみんな一緒にいた時から思ってた。

……なんだかなぁ。

「腹減らして真っ青な顔で、針みてえなハイヒールカツカツさせて店に立って」

キャンディ・バーの話だ。レニは、初めてスポットで入った時を思い出す。2年前だっけ。久しぶりに会ったジェンは、すっごく綺麗だったけど、痛々しいくらい目が大きくて、鎖骨の形がシャープだった。水をこぼしたら、その窪みに溜まるくらい。

「ぶっ倒れたら足首も手首も折れちまうんじゃないかって……。おれ、受け止められるようにカウンターからいつも見てた」

そう。いつもいた。彼のスポットを頼まれて入ったはずなのに、よくそこにいた。一旦抜けて、また戻る、ってことがほとんど。彼には他の仕事もある。

キャンディ・バーのバーテンの仕事。

ハイボールを作るだけ。

ボトルのドリンクをそのままグラスに注ぐだけ。

女と子どもを死ぬ気で守る。

だからいた。

レニに任せられないわけじゃない。

目が離せなかったから、そうせずにはいられなかった。

今になって、そういうことがわかる。

「ジェンもナオミもあんな靴でずっと立てるの、すごいわ」

「ああ」

「今はジェン、ゴム底のスニーカーよ」

「そっか」

家の近くの三叉路にきた。子供が駆けてくる足音と声が、右のほうから聞こえてくる。

ナオキの肩が軽く揺れた。声はないけど、笑ったみたい。

「なら、今の方がずっといいや。ジェンは上に行って良かったんだな」

左の道へ台車は進む。レニは影を踏みながら、その後ろをついていく。

32_リバーサイド・レコード#01

2252年4月某日ランチタイム。

2層Bエリア公園内アイスクリーム・キッチンカー"J&L"パラソル下。


「えっ?そうなの?」

「みたいよ。でも、あたしもナオキに電話で聞いただけだから」

ピピピピ。

『ハーイ、レニ』

「あ、ナオミ。今ジェンと一緒。結婚するの?」

『そーなの。その電話』

「おめでとう!知らなかったからびっくり」

『急に決まってねー』

「相手は?」

『言葉の仕事をやってる人。私、彼と火星に行くのよ』

「えっ」

『詳しくは会った時に。うちでパーティするから必ず来てね』

「ナオミの家?」

『ナオキの家でもあるけどね。旦那様を紹介するわ。レニの彼氏も連れてきて』

「わかった、聞いてみる」

『学生さんは、土日がいいかしら?』

「うん。土曜日なら絶対大丈夫よ」

『じゃあ、今週末の土曜日ね。お昼の時間。12時にスタートするわ』

「お誘い嬉しいわ。また土曜日に」

『バイ』

「バイ」


ピ。

ピピピ。


「あ、ナオミだ」


ピ。


「ヤッホーナオミ。今、レニの隣で聞いてたよー」

「もちろん!」

「彼氏ぃ?あははっ!ちょっと好きな人はいるけどねー。まだ、名前くらいしか知らないし」


Pi,po,pa.

Pi.


“Hi, Rick? Got a second?"

30_届けトムソン#04

「ただいま、モリー」


自分の部屋に戻ってくると、なんだか急にお腹が空く。にこっと笑うモリーに手を振り、レニはキッチンに向かった。何かあるかな、と冷凍庫を開ける。ドーナツ2つ、4食プレート3つ、あとはいつ買ったのか忘れてしまったウドンが1つ。


「ウドンかな。お箸あったっけ。……思い出した。お箸がないからずっとここにあるんだった」


レニはキッチンを捜索した。フォークを発見。今使わずにいつ使う?と1人頷き、レニはヒーターにウドンをインした。ウィン、と加熱ランプが点灯し、中のお皿がぐるぐるぐるっと回転する。


ーー人間は、もっと豊かに生きていい。


ピッポの言葉がふとよぎる。

この部屋での最初の夜。夕ご飯は乾パンと水だった。

カーテンのない窓から、6区の街のネオンがネックレスみたいにセントラルのタワーまで繋がっていた。


綺麗なもんだな、と思った。

いつからだろう。その風景を固く閉ざしたのは。


モリーが来てから、また窓の外を眺めるようになったっけ。


チン!

あったかい。湯気に匂いがちゃんとある。フォークじゃ気分が出ないけど、いいものが冷凍庫に残っていて良かったわ。

「モリー。私、変わった?」

いただきます、の後、麺を啜りながらレニは呟いた。モリーは首を傾げ、レニのほうをキョトンと見つめた。

「あなたは私に歌をくれた。私の夜がそれで変わった」

歌なんて、自分の声が照れくさい、歌ったことは一度もなかった。

でも最近は、気づくと口笛吹いてたり。鼻歌歌ってたりもする。

「明日を思う日が増えた」

照れくさくってしないことを、明日はやってみようかな、って思える。

「暮らしが変わって、仕事が変わって、見える景色が変わった」

高いところが好きだった。

今はどう?

「高い場所も悪くない」


ーー鳥になれ。


「でも、鳥にも色々いるって、私、気付いたの」


鳥の図鑑を見た。


高いところを飛ぶ鳥。

海の上を飛ぶ鳥。

沼田で暮らす鳥。

雪の中で暮らす鳥。

木々の梢で眠る鳥。

人のすみかで巣を作る鳥。


鳥だって、飛んでいるってだけじゃないわ。


「リックが、私に岸辺をくれる」


川は海へ。

海は雨へ。

雨は、そして川へ戻る。


「私、岸辺の鳥になるの」


モリーは微笑む。うどんを啜る音に重なり聞こえるハミング。


「これ知ってる。鳥の歌ね」


バーチャンが、よく歌ってた。

30_届けトムソン#03

リックとピッポは連れ立って帰って行った。歩幅が違うのに、全く同じ速度で何も喋らずさっさと歩いて行ったのを見て、レニは心がとても和んだ。


「すごいね、あの子達。感動しちゃった」

「うん」

アイスクリーム屋には、時々客が訪れる。1人の客も、グループも、カップルも、家族も、笑顔でアイスを買っていく。レニは時々、ジェンの隣でカップやコーンを用意した。

「あたし、本が好きでね」

ジェンが、作業台をダスターで拭きながら言った。

「知ってる。ナオキといつも一緒に読んでた」

レニは消毒用のアルコールを手渡す。バーチャンの家の光景が、跳ね上げ扉の向こう側にふわっと浮かんだ。

あの頃、みんな一緒で、楽しかったな。

ジェンがウォーターのボトルをくれた。プシュ、と開けてごくごく飲む。トマトの酸味がエネルギッシュで心地よい。

ジェンも隣でボトルを開けた。

今は、好きなところで冷えた飲み物を飲めるようになった。ぬるいコーラはすごくまずい。それでも、みんなのご馳走だった。

「あたしたち、空想は好きだった。……でも、考えたことないわ」

パラソルが3つ。ラピがローラースケートでそれらの間を通過する。

「未来を変える、ってことを」

ラピちゃーん!とお客さんが名前を呼ぶ。ラピはニッコリ笑って、大きく手を振る。

「働く場所や住む場所が変わっても、今しか見えてなかったわ。セントラルの学生って、すごいね」

レニは、スプリング・ライトの中で笑う人たちを眺める。そうなんだ。光があるのも、決して当たり前じゃないんだ。

「うん。すごい人たち」

「頭の中にあるのは、今日のご飯や明日の仕事のことじゃない。何年も、何十年も、何百年も何光年も先なのね」

レニは、ボトルの水を飲み干した。力を込めると、プラスチックがべコンと凹んだ。

「クリスマスにね。……リックに、私、昔の仕事を話したの」

ジェンが静かな気配になる。自分のボトルをコト、と置いた。

「そうなんだ。ポンプは立派な仕事だよ」

レニは左手首を見る。黒いウォッチ。生まれた時からつけている。

「ウォッチは、そうやって言うけどね。理由はどうあれ、人を殺す仕事なのよ」

月の市民は、ウォッチを通して全てをマザー・カグヤに管理される。生まれたことも、生きてることも、名前もゲートも死ぬことすらも。

コンピュータが、ゆるやかに人を間引きする。人間が増えすぎないように。生まれた分とのさ同じ数だけまた殺す。

その執行人が「ポンプ」というマーダラー。


食えない。

住めない。

奪われる。


それが6区。


金のため。

生きるため。

自分が間引きされないため。

ポンプは殺す。コンピュータの意のままに。


そういう世界で生きてきた。


「……彼、なんて?」

ジェンが聞いた。レニはゆるゆる首を振る。

「驚かなかった」

「そっか」

「色んな可能性は、彼なりに考えていたのかも。ボディーガードをしてるって話したから」

初めてのデートの時。


……客?


あの時の彼の、青褪めた顔が忘れられない。色んな可能性が頭を巡ったはず。ポッティ?トリル?初デートする女の子がもしそうだったなら、2層の人にはショックだろう。

でも、ポンプも同じ。言われるがまま、仕事だからと自分を騙す。

本当は、そんなのやりたくない。生きるためでないのなら。

「レニは自分のことを話した。……リックくんは、レニに何を話したの?」

あの夜。私は同じ場所にいた。

モリーと出会う前の私。ビルの屋上で、ムーンバレーの夜景を眺め、私は胸に手を当てた。


鼓動。

武器。

理論武装。

そんなものだけ握りしめ、ワイヤー1つで飛び降りた。


あの時に、聞こえた気がした風の音。


ーー誰もが自由に生まれて死ねるようになれば。


風が吹く。シグナルのスコアを色に乗せ。


「……リックは私に、世界の仕組みと未来の話をしてくれた」


ーー月に川を。


「リックは、川を作るのよ」

「川?川って、水がたくさん地面を流れる、地球のあの川?」

「そう」

レニは凹んで小さくなったボトルを逆さに向けた。ぽた、ぽた。二つの雫が手のひらを濡らす。

これは水。月ではこれが、私たちの命を縛る。

「水がたくさんあれば、人は自由に生まれて自由に死ねるって。社会の仕組みが変わるって、リックは私に教えてくれた」


ーー今の仕事は?

ーーちゃんと笑える。水も美味しい。

ーーそう。良かった。


「間引きなんかしなくていい。そんな未来があるんだって、そう思って私は泣いた」


ーー多分。レニのことはずっと好きだよ。


「キスしたわ。幸福だった。怖いくらいに」

30_届けトムソン#02

「レニー!ヤッホー!」

「ジェン。調子どう?」

「モチロン!絶好調よ」

2層Bエリア公園。J&L Ice cream Shopと車体にプリントされたパステルピンクのキッチンカーに、レニたち一行は駆け寄った。

青と白のビーチパラソル3つ。テーブル席がセットされている。客はいない。いつも午後が盛況なのだ。

乗り降り口からジェンが出てきた。ライムグリーンのTシャツとジーンズ。ロゴの入ったトロピカル・カラーのエプロン姿。全員ジーパン。今日の服、これにしてきて良かったわ、とレニは胸を撫で下ろした。

人間4人の中で一番の長身。ジェンの後ろにで、ラピスラズリ・ガールのラピがにこにこしている。いつものローラースケート・スタイルで、ジェンの次に背が高い。

レニは腕を広げ、男子2人をジェンに示した。

「リックとピッポよ。リック、ピッポ。私の友達のジェニファー」

「ハーイ、よろしく。ジェンって呼んで。ジェニーでもいいよ」

ジェンがバッチン!とウインクし、ピッポがうおっ!!と呻き声を上げてよろめいた。

「リックです。よろしく、ジェン」

「わーやっと会えた!噂通り?噂以上?ネコ科男子かっこいいねー」

「ピ、ピピピピピッポ、です……!」

「あはっ、ピッポくんよろしく〜!若い!いいなー、学生さんって新鮮」

ピッポが両手を両目の前にバッとかざした。

「おおお……!!ま、眩しい……2人目の女神がここに……」

キッチンカーの軒先は日陰である。

「リック、女神って?」

「ピッポはサブカル好きなんだ。ギリシャか北欧あたりの神話の女神じゃないかな」

「ふーん?」

「そんで、こちらウエイターのラピちゃん!2人でお店やってるのよー」

ジェンがラピの両肩を抱いた。髪はブルネットと青紫、肌は小麦色と水晶、パワフル系と清楚系。カレーライスと冷やしそうめんくらい、視覚的な対照度が非常に高いツーショット。

「3人目の女神が……!?ぐおおおおおっ!」

ピッポがついに膝をついた。リックは中腰になって彼の顔を覗き込む。

「ピッポ?コンタクトずれた?」

ジーザス、と天を仰ぐポーズ。

「美女の過剰摂取で目が潰れる……。用法用量をお守りください……」

「えーと、なんの過剰摂取?」

リックの返答に、ジェンがやんやと手を叩いた。

「あははははっ!2人ともおっもしろいねー!もー涙出てきた」

「あっ、ラピも泣いてるわ。笑いすぎで」

「君たちそっくり。姉妹みたい」

「でしょ?あたしたち家族だもーん」

ジェンがくるりと背を向けて、キッチンカーに乗り込んだ。ブルネットのポニーテールが左右に触れる。レニはちらっとリックを見た。ピッポが立つのに手を貸している。

ふーん。そっか。今日の髪型、サイドテールで良かったかも。

「ハイハイ!アイスクリームどう?フレーバーはいかがしますかな?」

ジェンが手を叩き、3人は販売口に集まった。冷凍庫のガラス扉に、色とりどりのアイスクリームが12種類。冷気が漂い心地よい。

「私、オレンジ」

「僕はキウイ。ピッポは?」

「もう何が何やら……なんでも食べます……」

「じゃあ、ジェンのオススメね。今日は何?」

「バニラよ!」

「いつもそれ。在庫処分?」

「いいでしょ?サービスするから。ピッポくん、雪だるま作ってあげる」

ピッポが両手で顔を覆った。

「うぉぉぉ……。輝く笑顔で灰になる……!召される……!」

庇の下の照度はかなり低い。ジェンが再びケラケラ笑い、レニはふふっと肩をすくめた。差し出されたオレンジ・シャーベットを受け取る。

「付き合い長いけど、ピッポがこんなに面白いとは知らなかったなあ」

リックがキウイ・シャーベットと、ついでにバニラも受け取った。ラピの先導で、パラソルの下へ移動する。



「リックくん、ナオキとつるんでるんだって?どんな話するの?」

「本とかバイク。あと土木」

「へーっ!ナオキが1番好きな話じゃん。あのオタクトークについてきてくれる人がいるんだねえ」

「私はいつも半分もわからないわ」

「専門用語のオンパレードなのよねー」

ジェンはウォーター・ボトルを片手に肩を竦めた。フレーバーはトマト味。ジェンのお気に入りである。

「ピッポくんは、何を勉強してるの?」

「おれ……ぼ、ぼくですか!?光工学を少し」

リックが机に両肘をついて身を乗り出した。なんか大事な話だな、と察し、レニはくっと顎を引く。

「少しなんてもんじゃない。ピッポもそこそこ天才なんだ」

「そこそこってなんだよー」

「光工学って、レーザーとか?」

前の仕事で、セキュリティに張り巡らされていたレーザー光線をレニは思い出した。あれは中々厄介で、髪が少し焦げたのだった。

ピッポがピン!と背筋を伸ばした。2段バニラのアイスクリームは完食している。

「ハイッ、レニさん!おっしゃる通り、レーザーやLED、光通信、センサーなど。光工学とは、光の発生、制御、検出、利用等に関する物理現象と、技術を扱う学問分野なのです」

リックを見ると、レニに軽く頷いた。

「ピッポはトムソン散乱を基礎にした、ワープ航法中の光通信を研究しているんだよ」

「ワープ航法?」

「ワープ・バブルを発生させて、すごーく遠くに移動するんでしょう?」

ジェンの言葉に、ピッポがうおおっ、と立ち上がった。椅子がガタッと音を立てて少しずれる。

「ジェンさん、お美しい上に博識でいらっしゃる……!そうです、お……ぼくはワープ・バブルを通過中に、光を交信できれば、と」

「ワープ・バブルの通過は時間がかかるもの?」

レニが聞くと、ピッポとリックは全く同じ速度と角度で頷いた。

「うん。民間では一瞬で通過するイメージがあるけれど、現実的には数分から数十年」

「その間、この宇宙から船体は消え、全ての通信が完全に遮断されます」

アイスクリームが無くなった。いつの間にかリックも食べ終わっていて、私が一番遅かったみたい。

アイスクリームを食べながら知らない宇宙の話をしてる。時間が伸びたり、縮んだりしているみたい。

「そういう仕組みなの?知らなかったわ」

今、自分がどこにいるのか曖昧になる。とても不思議な時間だわ。

「あんなに近い火星でも、3分間の空白時間が存在するんだ」

「へえ」

ジェンが身を乗り出した。

「ピッポくんは、なぜそれを?立ち入ったことならスルーしてね」

昔から、ジェンはこの手の話が好きなのだ。どちらかといえばオカルト好きだが、SFももちろん守備範囲。

「いいえ、ジェンさん。それどころか、お聞きいただき感謝の念に耐えません」

リックが、レニとジェンにウインクをした。ぱちん、と爽やか。なんかびっくり。顎でクイッとピッポを示す。

「聞いてあげて。こういう話は、学生同士はやりづらいんだ」

ピッポがうんうん頷いた。

「ほんとになー。俺、リック以外に初めて話すかもしれん」

「そうなのね」

「聞きたいわ」

ピッポは斜めになった椅子を戻して、机の上で指を組んだ。さっきまでの陽気さは消えて、夜色の瞳が深く一点を見つめる。

「おれ……、こほん。……ぼくは、プロキシマへの移送船に、光を届けたいのです」

パラソルの影の円形に、重い感じの沈黙が降りる。しゃら、とラピの髪が靡く音がした。


プロキシマ・ケンタウリ。


ケンタウルス座α星内で、太陽に最も近い赤色矮星。月からの距離は4.24光年。

ハビタブルゾーンの存在が観測されており、惑星群へ人類の到達が望まれている。


光の速さで4.24年。

スイング・バイで約2万8000年。


「ワープ期間は150年。コールド・スリープは搭載されていない。完全に孤独な旅路です」


レニは目を瞑る。想像してみる。


「宇宙から消え、声も光もそこには届かない。ただ死ぬまでの時間を、音のない暗闇で過ごさなければいけない」


光がなく。

音がなく。

着くことも帰ることもできない船の中、ただ息をして食べて寝る。

同じ運命の人々と。


「プロキシマは流刑星だ」


ピッポの声は低く静かだ。目を閉じていると、耳の奥で反響する。


ダイヤモンドに、火をつけた男がいた。


「流刑はすなわち極刑だ」


そのダイヤモンドは、数えきれない人々の遺骨。


「コールドスリープを排除して、型落ちのスペースシップにスシズメにして、150年ワープ・バブルに閉じ込めて」


燃えたのは、ダイヤモンドと生きた人間51人。


「死んだらそこまで。運が良ければ子孫がそこに着くんじゃね?って」


その男もまた、送られたのだ。暗闇へと。


「人間のすることかよ?それが科学の使い方か?絶対に違う」


あの色と熱さを覚えている。

あれが火だ。


「罪を犯したからってさ、お前はいらない、どっか行って消えちまえ、死ぬまで1人で苦しめって……。なかったことに、いなかったことにしてさ」


なんという静けさだろうか。レニは瞼をそっと開けた。


「どんな人間も、存在そのものを奪われてはいけないんだ」


眩しい。これが、今、私のいるところ。


ピッポの両手は、いつしか固く握られていた。血管がところどころ浮き出る、顔に比べて大きく無骨な手の甲だ。

シャラ、とラピスラズリの青い髪の音がする。


「俺は、取り返しのつかない運命の中で死を待つ人に、それでも、声と光を届けたい。一瞬の明滅でいい。消えたとしても、瞼の裏に届いたら」


宵闇の青。どこか遠くに結ばれる焦点。


「死の瞬間は孤独じゃない。そこから、誰かに光はまた届く」


それは光。

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-Razi Arc-

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26_ハロー、ワールド#04
「レニ!僕、脚を代えるんだ」 月曜日午前10:00のホワイト家中庭。 ハーフパンツの運動着姿のラジィは、出勤してきたレニに駆け寄り、開口一番そう言った。 レニはいつものTシャツジーパン。黒キャップを外し、一度瞬き。 「そうなの?いつ?」 「半年くらい先」 「知らなかったわ」 「昨日決めたんだ」 「そう。大きな決断だわ」 ラジィはハーフパンツをぐい、と捲る。肌との継ぎ目が露出する。 レニは片膝をつき、部位を見る。ラジィはレニに初めて見せる。というか、ジャンとハカセと看護師さん以外に見せたことがない。 「今、ここからカーボン」 「うん」 「残ってるとこ、全部取る」 レニの息が1秒止まった。ラジィはレニの瞳を見て、ホッとした。 可哀想、って感じじゃない。困っているのとも違う。 どうして?が一番近い。そんなスミレの瞳だった。 「ラジィ。自分の身体がなくなるの、怖くはない?」 ラジィは頷く。 「うん。初めの時も怖くなかった」 この家に貰われてくる時、脚を切った。それが条件の一つだった。色んな人に会いに行くのに、歩けないと困るから。 あの時は、歩けるんなら、それでいいって思ってた。 「私は、身体が自分のものじゃなくなるのが怖いわ」 レニの眉毛がハの字になった。初めて見る表情。レニはいつも凛々しくてカッコよくて、ラジィのヒーローなのだけれど、今日はなんだか少し違う。 レニって、レニなんだ!と思った。 それって、すごい大発見。大人の強い女の人にも、怖いものがちゃんとあるんだ。 「レニにも怖いものがあるの?」 「あるよ」 「たとえば他には?」 「オバケとか」 オバケかあ。僕は好き。本当にいたら、友だちになりたい。夜寝る時、話し相手がいないんだもん。 「カイダンは?」 「耳塞いじゃう。夜、眠れなくなるもの」 「ジェニーはカイダン大好きなんだよ」 「知ってるわ。臨場感たっぷりに話すんだもの。だから私、オバケが怖いのよ」 ラジィは準備体操を自主的に始める。レニの勤務時間は夜7時まで。午後はおばあさまのところに行かなくちゃで、レニは護衛で来てくれるけど、そこでは稽古も話もできないし。朝の2時間、きちんと使いたい。 「ハカセが、手術したら、ゼンシンウンドウができなくなるから今のうちに鍛えておくように、って」 「了解」 「ねえ、レニ」 「何?」 レニは膝伸ばしのストレッチしながら僕を見た。僕も、レニの真似をする。 「僕、レイチェルが会いたい時に、ちゃんと会えるようになりたい」 「そうね。レイチェルの面会はタイミングがあるから」 「うん」 脚は機械だけど、バランスを取るのは全身なんだ。脚だけが僕の身体じゃない。 「走って会いに行きたいくらい大好き、ってリックお兄ちゃんが言ってたの、ちょっとわかる」 まず僕がいて、脚は僕の身体になるんだ。 「鍛えることよ。ラジィ」 「うん」
26_ハロー、ワールド#03
「レイチェルはね。僕にお姫様抱っこして欲しいんだって」 「オヒメサマダッコ、とはサイド・ハギングのことか?」 「うん」 レイチェルに会った日の午後。 ラジエルは自室でアメとおしゃべりしていた。ジャンが淹れてくれた紅茶をぐるぐるかき混ぜる。お砂糖はどのくらいがいいんだろう?多い方がいい気がして、とりあえず8個入れてみた。 アメはソファの斜め向かいで、ラジィに顔を向けている。こくん、と小さく頷いた。 「ラジィが嬉しそうに見える」 「うん!嬉しい」 「理由を聞いてもいいだろうか?」 「うん。レイチェルはね。僕をカワイソウな子にしないんだ」 「カワイソウな子?」 紅茶のカップを持ち上げ啜る。 ……。 …………。 …………甘いなあ。 ジャリジャリしてる。シュガー、入れすぎちゃった。 「大人はみんな、カワイソウな僕に優しい」 「ふむ」 今日のおやつはクッキー。あんまり甘くないやつがいいな。この黒いやつにしよう。 「クララさまは、少し違うけど。でも、僕が子どもで未熟だから優しい」 「クララは、他の大人となぜ違う?」 「クララさまは、僕を甘やかしたりしないから」 少し苦い。紅茶を飲む。うーん、微妙。お砂糖、もしかして全然入れなくて良かった? 「ジャンもレニも、ジェニーも大好き。だけど、やっぱり僕はカワイソウな子なのかな、って思う時があるよ」 「たとえば?」 「僕を甘やかさないのはクララさまと同じだけど、身体に無理のかかることは絶対にしないんだ」 次はナッツが乗ってるやつ。 「僕ができることしかさせてくれない」 あ、これ合うかも。うん。紅茶が美味しい。 赤いジャムクッキーを取る。食べるのがなんかもったいなくて、指でつまんで表と裏と、表を見る。 ちら、とテーブルセットを見る。クッキーのお皿。シュガーポット。ミルクピッチャー。ティーポット。 高そうなティーセットは2揃い。僕の分と、アメの分。アメは食事しないけど、ジャンはいつも用意してくれる。 同じものが食べられなくても、同じものが飲めなくても、アメがニンゲンじゃなくっても、僕、こんなに楽しいんだ。 「でも、レイチェルは違う。脚がなくて歳下でも、僕に抱っこをお願いするんだ。抱っこはまだできないけど、僕、嬉しい」 「なるほど」 レイチェルとも、こんな風にお茶できたらいいのにな。 アメがふむ、と頷いた。顎に曲げた指をあてる。瞳がキラッと虹色になる。指が離れる。僕を見る。 あ。アメ、なんか言う! 「レイチェルは、ラジィをカワイソウな子ではなく、オウジサマにしている」 「王子様かあ!」 僕は叫んで、ぴょん!と立ち上がった。身体が勝手に動いちゃった。 「レイチェルは、ラジィのオヒメサマだね」 僕は嬉しくなって、クッキーを持ったまま机を回り、アメの隣に移動した。 「うん!僕、お姫様を抱っこできる男になるんだ」 アメの口の端っこが、ほんの少しだけ上がったみたい。 僕はジャムのクッキーを頬張った。イチゴの味と匂いがする。
26_ハロー、ワールド#02
2252年1月。 2層Bエリア"ブラウンR/MS" 1階セキュリティS特別無菌室。 「ふうん。ラジィ、どうするの?」 「どうしよう」 レイチェルとトピーと、ラジィは正3角形の配置で床に座っておしゃべりしている。 クリスマスから1ヶ月ぶり。レイチェルは、あまり変わらない。髪の長さも、肌の感じも、着ている服もいつも通り。 ……のはずなんだけど、いつだって初めて会った女の子みたいに感じる。レイチェルが、大きな赤い瞳で僕をじいっと見つめている。 脚を見る。少し大きい麻の面会着からはみ出す脛の色はグレー。 これ、もうすぐ取っちゃうんだよなー。せっかく、走れるようになったのに。 「レイチェル、どう思う?」 「私?どっちでも同じ」 返事が早くてあっさりしてて、なんだか拍子抜け。隣のトピーもニコニコしてる。 「えーと、どういうこと?」 「ラジィの脚があってもなくても、ラジィはラジィだもん」 「あ。そうだよね」 「でしょ?」 レイチェルがふふっと笑った。トピーも両目を三日月みたいに細めて口をにいっと曲げる。姉妹みたい。 レイチェルは立てた膝に肘を置いて頬杖をつく。 「クララ様の言う通りだよ。歩くとか走るとか、そんなのは関係ない」 麻の患者着から、白い脛と貝殻みたいな爪が見える。レイチェルの声が、耳というより肌に聞こえる。 「時間は止まらない。間に合うかどうかなんて、運命みたいなものよ」 運命。 そうなのかな。 僕の脚がないのも。 レイチェルが病気なのも。 イイナズケなのに、指一本も触れられないのも。 大人になって結婚するのが、とっても難しいってことも。 それも、全部運命なのかな。 「僕、レイチェルとほんとは毎日会いたいんだ」 レイチェルが目をまん丸くした。 「26回も洗浄しなくちゃいけないのに?」 「うん」 「どうして?」 「僕、レイチェルのだんなさまだもの」 イチゴみたいな可愛い目。睫毛の色が真っ白で、ショクニンさんの砂糖菓子みたい。 そこから、ぽたぽた雫が落ちた。 「あっ!」 涙、泣いてる! どこか痛いのかな。トピーも心配そうな顔。 「レイチェル!具合悪い?」 「ううん。違うの……」 レイチェルが、麻の袖で涙を何度か拭った。本当だったら、僕が拭いてあげたいのにな。 「私、自分で泣いたの、初めて」 「自分で?」 「うん。しょっぱいのね。涙って」 「そうだよ」 涙の味を知らないんだな、と不思議な気持ちになった。 レイチェルは、目の周りをピンク色にしてにこっと笑った。 「ラジィ。私、あなたが好きよ」 ぴく、と指が動いた。心臓がドキドキする。 こんなにステキな女の子が、僕のこと、好きだって言ってる。 年下なのに。 脚がないのに。 貰われっ子で、同じ歳の友達は1人もいない。大人がいない時間は、猫とアメしか、僕の相手をしてくれない。 それでも、僕を好きだって。 じわっと涙が出そうになったけど、男の子だもん。泣いたりしない。 「僕もレイチェルが好きだよ」 「キスしたいわ」 「さわれないよ」 「そうなのよ」 レイチェルがぷう、と頬を膨らませる。僕はすっごくつっつきたくなった。けど、それもやっぱり、だめなんだ。 いつか、君に触れられる日が来たらいいな。 「私、もしも病気が治ったら、お姫様だっこして欲しいわ」 「どういうやつ?」 「こんな感じ」 「あ、わかった」 レイチェルがふふっと笑った。リフィルもないのに、トピーの笑い声がする。 「落っことさないでね。ラジィ」 「うん!まかせて」
26_ハロー、ワールド#01
2252年1月。 ホワイト家応接室。 「わたくしが本日参りましたのは、マリアンヌ様のお願いがあってのことです」 クララ・ムーンライト。 150cmの小柄な肢体。その脚は宝石をあしらった高性能プロステティック。今は春色のシンプルなデイドレスで、赤いバレエシューズの爪先しか見えない。 ムーンバレーのトップバレリーナであり、ムーンライト家の女主人である。ラジエルとは一度、舞台観覧のアフターディナーを共にしていた。 「おばあさま?」 ソファに姿勢よく座るラジエル。服は来客用のロング・パンツのフォーマルスーツ。 クララはゆっくり瞬いた。珊瑚色の長いまつ毛が頬に紗々の影を落とす。 「ラジエル様。何か聞いていませんか?」 「えーと……。思い当たるところはないです」 「そうですか」 クララは膝の上で重ねた手の上下を入れ替え、ギュ、と握った。 「プロステティックについて、ラジエル様にお伝えしなければいけないことがあります」 瞳の色は勿忘草。硝子玉のような双眸。 「今の脚。期限があるのはご存知ですか?」 「はい」 「選択が必要です」 「はい。それは、知っています」 「この半年が限度。決めていますか?」 「悩んでいます」 「なぜ?」 ラジエルは、膝の上の両手を握った。 「僕、前は歩けない子でした」 「はい。伺っています」 「今、歩けます。少しなら、走れます」 「そうですね」 「このままでいい気もするし、絶対、いけない気もしています」 クララはゆっくり2度瞬く。桃色の唇が弧を描く。 「そう。ラジエル様は、ダンサーではない。歩けるのなら、特に問題ないのではありませんか?何を悩んでいらっしゃるの?」 応接室の飴色の調度品が、雪として音を堆積させるような時間。 ラジエルは口を開く。 「僕、レイチェルのだんなさまになるんです」 クララは頷く。 「レイチェル様とのこと、存じています。でも、それが脚と、何か関係ありますか?」 「うん。僕、駆けつけなきゃいけない」 「何に?」 ラジエルはクララのブルーの瞳を見つめる。 「レイチェルが死んじゃう時、間に合わないのは困るんだ」 静かな部屋。遠くで猫が1度鳴いた。 「……そう」 「うん。そうなんです」 「脚でしたいことは、それだけですか?」 「僕にとっては、それが一番大事なんです」 「そうですか」 クララは両手の上下を再び代えた。 「ラジエル様。わたくしの脚を、ご覧になって」 クララは立ち上がり、スカートのボタンを外した。シンプルなデイドレスが、華やかなレオタードに変わった。 両脚は白磁。 等間隔に埋め込まれた七色の宝石飾り。 しなやかな曲線。 軽やかな爪先。 プロステティックの両脚は、芸術品のように精美だ。 クララがレオタードの端に、右手の揃えた5指を上向きに当てた。 「わたくしはこのように、大腿骨でプロステティックを神経接続しています」 「はい」 「ラジエル様は現在、大腿部の中ほどで接続していますね」 「はい」 「ラジエル様は、近い将来、どちらか一つを選ばなければなりません」 「どちらか一つ?」 「はい」 「今のまま?それとも、私と同じになりますか?」 「クララさまと同じにするっていうのは、残りを切ってしまう、ということですか?」 「そうよ」 「それって、今と何が変わるんですか?」 「見た方が早いわ」 クララはバレエシューズを解き、素足のアン・デュ・オール。 クララの右手が胸の上から天に伸びる。 羽根のように翻る手のひら。 左脚が気配なく後方へ。 レヴェランス。 クララは踊る。 プリエ。 タンジュ。 ピルエット。 グランジュッテ! ラジエルは首を反らせてそれを見た。なんて高さ。踵が見える。 踵に、宝石飾りはない。 クララの爪先が、掛け椅子の背にスッと降り立つ。椅子は微動だにしない。完璧な重心コントロール。 舞う羽根のようなクララの指。 珊瑚の唇が開く。 「こういうことよ。ラジエル様の脚にできる?」 「僕には、できません……」 クララは、雪のように音もなく床に降り立った。床のスカートを拾い上げる。 「代償は大きい」 パチン、パチンとボタンを留める。 「最低でも4年間。ベッドと車椅子に縛られる生活を送らなければいけないわ」 「今のままなら?」 「成長に合わせて調整していく。歩くことも、走ることもある程度はできるけれど……」 腰を折り、バレエシューズを足に嵌める。 クララはすっと直立した。くるりと半回転。パラレルの立ち姿でラジエルに向き合う。 「貴方はどこまで手を伸ばす?」 「手を伸ばす……?」 勿忘草の瞳が見据える。高い温度の炎のように。 「フィアンセの死に目に会うための脚?そんな決め方ってないわ」 ラジエルは息を呑む。クララは続ける。 「車もジェットもあるの。間に合うか間に合わないかに、脚は関係ないのよ」 下げたクララの両手が、両腿の辺りで握られる。左手が、フレアスカートを膝の上までたくし上げる。 「貴方は歩きたい?走りたい?それとも跳びたい?泳ぎたい?」 「何を目指して?」 「地球?火星?ガニメデ?それとも地球からの月?」 クララは屈み、自身の脚線を人差し指ですっとたどる。人差し指はピンと伸びた腕の先。握り締められる拳。 「私は、この脚で星を掴んだ」 クララは月の光の中で踊る。回る。跳ねる。宝石に彩られた、超弾性合金の義脚で。 エトワールは、掴んだ星を胸に抱く。 「貴方は何を掴みたい?ラジエル」
25_クリスマス・キャロル -in the works-
24_ White Coal#05
「アメは約束破ったことある?」 「ない」 「だよねえ」 パジャマ姿でソファーにうつ伏せに寝そべり、ラジィは脚をぶらぶらさせた。今日はジャンがいない日なので、スーパー・リラックス・モードなのだ。 アメは、直角に位置するソファのこちら側のシートに座っている。ラジィの踵を追う視線が、ラジィの顔にピタッと移る。 「ラジィは、約束を破ったことがあるのか?」 「うーん、多分ない」 「多分?」 「約束をしたことがないんだ。覚えていないだけかもだけど」 「多分とは?」 ごろん、と寝返り。天井は、どうしてこんなに高いんだろう。 「僕が忘れている約束を、もしも誰かが覚えているなら……。約束を破ったことになる」 「なるほど」 アメがふむ、と頷いた。ジャンの仕草にそっくりで驚き。 「ラジィは約束がしたいのか?」 「うーん、わかんない。……あまりしたくないかも」 「なぜ?」 「だって、いつ会えなくなるかわからない」 「なるほど」 またふむ、と頷く。ジャンがいるみたいな気分になって、僕は起き上がってソファに座る。 アメが、何かに気づいたような顔で僕を見た。目をおっきくして、口をOに開いた顔。これは誰の真似かなあ。もしかして、僕? 「ボクと、何か約束する?」 「アメと?」 「ボクは、人間みたいに病気になったり死んだりしない。故障したら直せる。データのバックアップも可能」 じーんとしたけど、同時にすごく悲しくなった。 「ターコは急に会えなくなった」 だから、ぽろっと言っちゃった。泣き言はあまり言いたくない。弱い子みたいだ。 アメはトン、と指で自分のこめかみをノックした。 「ボクらのチップは、一度経験したことを忘れない。100年会えなくても、絶対に忘れない」 「リセットは?」 「リセットされるのは、表層的なデータだけだ。学習効果やデータベースは、マザーにしかいじれない」 そうなんだ。僕はただぼうっと、アメの顔を眺めた。 僕はターコを覚えてる。 でも、ターコが僕を忘れてしまっていたら? 僕にとって、家族と一緒に生きていた時間の、意味のほとんど全てがターコだったんだ。 「記憶で会える。約束は、人間にとって記憶を開く鍵なのでは?」 「そーかも」 会えなくても、覚えてる。 僕も。ターコも。 ターコは絶対忘れない。 なら、僕も忘れないよう毎日ちゃんと思い出そう。 水。 青。 宝石。 踵。 地球。 緑青の匂い。 立ち昇る泡。 そういうものに、いつもターコを思い出そう。 泣く気もないのに、涙がぼろぼろ出てきた。最近の僕、泣き虫だ。 「じゃあさ、アメもさ。約束しよう」 「うん」
24_ White Coal#02
「ジャン!見て!」 庭園スペース。ラジィは1週間ぶりに会うジャンに、合気道の型である入り見、そして転換を披露した。 今日の2層はスプリング・ウェザー。動作が終わると、うっすらと汗をかいていた。シャツが背中に張り付いている。 バチパチパチ、と白手袋越しの拍手。ジャンは顔をくしゃっとさせてニコニコしていた。 「素晴らしい。鍛錬されましたな。ラジエル様」 「レニのおかげ!わかりやすいし優しいんだ。厳しいけどね」 「理想的な教え手でございます」 嬉しくなって、ジャンの腰にぎゅーっと抱きつく。離れてたのは数日ぶりってだけなのに、お香の匂いが懐かしい。 「ねえ、ジャンは? 色んなところでカンフー教えているんでしょ? 強い子は?」 ジャンがラジィの肩をポンポンした。 「ほっほっほ。時、場、人によりけり。スジがいいものは、基本ができれば自分で勝手に強くなる」 「1人でも練習するから?」 「それもあります」 電気蝶がひらひら横切る。温度感知システムが、スプリングの陽気をキャッチしたらしい。 ジャンは、同じコースを飛行する蝶を見たまま口を開く。 「しかし、それだけではありません。大切なのは、心を預けることですな」 「心を預ける?」 はい、とジャンは深く頷いた。片膝をつき、ラジィと視線を合わせてくれる。 「今。を、出し惜しみせず使うことでごさいます」 「それが、何かトクベツ?」 今に全力。普通のことだと思うけど。 「はい。無我といいます。いわば、その瞬間に自分を空にし、精神が、ただ肉体の容れ物になること。これが、なかなかに難しい」 「うーん?」 言葉だけでは、あまりよくわからない。 「ラジエル様は聡明でございます」 ジャンが立ち上がり、膝の芝生をパンと払う。何気ない仕草だけど、すごくかっこいい。 「あ、レニは?」 ジャンは両目を糸のように細めて笑った。 「レニ殿は、それを呼吸のようになさる。だか らジャンは、スカウトしたのでございます」 にゃーん、と庭のどこかで鳴き声がした。これはクロ。クロはお庭、ミケは廊下、シロは棚の上が好きなんだ。……ん? 「もしかして……。少し前にクロシロミケがしょっちゅう脱走してたの、ジャンのしわざ?」 ジャンは、今度は片目だけを細めて笑った。イタズラが見つかった男の子みたいな顔、とラジィは思った。 「ほっほっほ。全くもって、ラジエル様は聡明にございます」
20_夏への扉#04
「つーかまえた!」 公園の噴水から引っ張り出したのはシロ。3匹の中でも大人しくて、あまり迷子にならない電気猫だ。 「レニー!」 「オーケー」 レニが駆け寄り、シロの首輪にペンを当てた。シロの瞳がブルーから透明になり、またブルーに戻る。 シロはブルブル身体を揺らし、何事も無かったようにニャーンと鳴いた。 「よし。帰ろう」 「うん」 お屋敷から歩いて5分の公園。僕はレニと歩き出す。今日はサマー・ウェザーで、汗で服が肌に張り付く。レニは半袖だった。 「昨日、レイチェルの所に行ったよ」 「あら、そうなの?どうだった?」 「楽しかったよ」 「トピーもいた?」 「うん。姉妹みたい」 「そうね」 正門が見えてきた。細い金属を複雑に編み上げた、すごく大きな白い門。今はどうってことないけれど、初めて見た時は、天国の入り口みたいな感じがした。 「レニは、なりたいものってある?」 「ないよ」 「子どもの頃は、あった?」 「ないね」 「ふーん」 門は自動的に開く。白い石を敷き詰めた道を歩きながら、僕は聞く。 「レニの仕事って何?」 「色々よ」 「1番好きなのはどれ?」 「好き嫌いで仕事はしないわ」 「へー」 「でも今やってる仕事は、全部それなりに気に入ってる」 「アイキドウも?」 「ええ」 「猫探しも?」 「イエス」 「配達も?」 「場所によるけど、まあまあよ」 「ラジィは、なりたいものがあるの?」 「僕、早く大人になりたい」 「ああ。それなら私も同じだ」 「私も、早く大人になりたかった」 「今は?」 「大人なのかな?子どもではないね」 「大人になっても、強くなっても、仕事があっても、思い通りに生きられるわけじゃない」 「レニもそうなの?」 「そうよ」 「いろんなお仕事してるのに?」 レニは笑った。 「なんでもできるわけじゃない。他の人もできることをなんとかやって、暮らしているの」 「そうなんだ」 「でも、立てる場所が少し変わる」 「ビルの屋上とか。スペースシャトルの車窓とか。地球の山道とかね」 「それだけのことよ。大人になるってのはさ」
20_夏への扉#03
「レイチェルは、なりたいものは大人、って言った」 その日の夜。ラジィはアメと話していた。 「僕も、早く大人になりたい、って言った。そしたら、ちょっと違う、ってレイチェルは笑った」 直角に接したソファーの斜め向かい。アメの横顔。 「ラジィは、どうして早く大人になりたい?」 「うーん、なんて言ったらいいのかな」 パラサイティック・ペリドットの瞳が、暖色灯を照り返している。 僕は自分の手を見る。ジャンの半分くらいの大きさ。レニよりも、関節2つ分小さい。ソファにぶら下がったカーボンの脚。膝の下をぶらぶら揺らす。床には届いていない。 歩けるようになった。 走れるようになった。 だけど、全然届かない。 「できないことが多すぎるんだ」 「できないこと?」 「うん」 ターコ。今頃どうしてるかな。水の中にいるといいけど。少し不安。火星だし。 「それは、大人になったらできること?」 アメが聞く。 僕は、少しだけ未来のことを考える。 「うーん、わかんない」 大人になるって、難しい。うーん、ちがう。なりたい自分になることが、かな。 今日は音が居眠りしてる。このお屋敷は、いつも静かなんだけどさ。特に夜。ジャンもレニもいない日は、シロとクロとミケの足音が壁の向こうに聞こえるくらい。うるさいくらい静かなんだ。 「今しかできないこともあるのでは?」 アメが、息の音もさせずに口を開く。僕の息だけ音がする。 吸う。 吐く。 吸う。 言う。 「たとえば?」 アメは3秒停止して、首をゆっくり左右に振った。 「ボクにはわからない」 僕は、手を伸ばす。アメの瞳がボクの腕を映してる。 ひし。 「ラジィ。これは何?」 掴んだ左手首は、ひんやりしていた。アメは動かない。じわじわ僕の体温が移って、次第に生温くなる。 「つーかまーえた」 アメが僕をじいっと見る。ぱちり、とはっきりとした瞬き。 「そうか。ボクは捕まえられた」 「あははっ」 他人事みたいに言うもんだから、僕は可笑しくなっちゃった。アメの腕を握ったまま、僕はソファを移動した。アメが少し向こうに座り直してくれて、僕は隣に並んで座る。 「ねえ、今どんな気持ち?」 アメを見上げる。キレイだなーと思いながら、瞳の中の無数のインクルージョンを見つめる。 黄緑色の髪が揺れた。赤いメッシュがまつ毛にかかる。 「わからない」 「あ、笑った」 「ボクはなぜ笑った?」 「知らないよ、うれしいんじゃない?」 「よくわからないが、そうかもしれない」 瞳の中で虹色の雨がきらきら光る。笑った顔を初めて見た。
20_夏への扉#02
「レニが先生?いいなー!」 「うん、でもちょっと厳しい」 ブラウン博士の研究所であり自宅である最深部の一画。気が遠くなる洗浄工程を経て麻の服に着替えたラジィは、床に敷かれたカーペットの上、レイチェルの斜め向かいに座っていた。 「どんなことするの?」 「基本のカタ。えーっと、姿勢とか、体の動かし方」 「それって、今、ちょっとできたりする?」 「うん、いいよ」 ラジィは勢いよく立ち上がり、半身の構えと入り身を披露。動きが止まると、レイチェルがパチパチパチ、と拍手した。 「かっこいい!」 「ありがと、レイチェル」 ラジィはすとんと座り、頭の後ろをぽりぽり掻く。ほっぺたが熱い。こういうの、初めてかも。 積み重なったクッションに囲まれたレイチェルは、隣のトピーと顔を見合わせニッコリ笑う。左頬の笑窪がかわいい。 「レニはね、トピーを連れてきてくれたんだよ」 「へえー」 レイチェルがフォトをホログラムで表示する。 レニだ。 青い空。 緑の木々。 僕と同い年くらいの女の子。 2体のジュエレッタ。 記念写真かな。 「地球にジュエレッタを運んだって聞いたし、レニは郵便屋さんかと思ってた。アイキドウの先生だったのね」 「僕は猫探しのハケンサンだと思ってたよ」 本当の仕事はなんなのかな?レニに、今度聞いてみよう。 レイチェルはフォトをクローズし、クッションの1つをギュッと抱えた。イチゴみたいな大きな瞳がこっちを見る。 「ラジィは、大人になったら何になりたい?」 「考えたことないなー」 「そーなの?」 「うん。僕がなりたいものって何だろう……」 下を向くと、脚が見える。麻の服から覗くプロステティックは、鈍い感じの灰色。肌の色に合わせることもできたけど、やめてって言った。 顔を上げると、レイチェルも僕の脚を見ていた。透明な表情で、唇の隙間に肌より白い歯が見える。 「レイチェルは?」 「私?」 瞳をふわっと僕に戻し、窓の向こうへ。 レイチェルの部屋の窓は大きい。ガラス越しの面会室。光学カーテンはオフ。コーヒーを置いたテーブルで談笑する、ブラウン博士とラファエルが見える。 僕がここにいる理由を、僕もレイチェルも知っている。話し合ったことはないけれど。 「大人かな」 大人になること。僕はうん、と頷いた。 「僕も、早く大人になりたい」 「ふふっ、ちょっと違う」 トピーはレイチェルの顔を覗き込む。ヤー、ハー。と重なる声。レイチェルは笑ったみたいだったけど、泣いているみたいに僕には見えた。
19_ あるいは水でいっぱいの海#08
Product Name: Turquoise Girl Flavor: Cool and Clear Polishing form: Supple Emotion Content: 75% Raw Ingredients: Verdigris and Turquoise Voice tone: Soprano Category: Swim Serving Suggestion:
Room Temperature in the tropical night The luminary is floating in a cylinder aquarium. “Refill.” The Verdigris legs do flutter kick. The body glitters dimly. The turquoise hair fans out in the water. “Would you like to go out?” The bubble rises from patina lips.
19_ あるいは水でいっぱいの海#07
「ラジィ。私が怖くない?」 「なんで?」 庭園の噴水近くの空間。相半身に向かい合うレニに、ラジエルは問い返す。 「あなたの家族を殺したのは、私だよ」 レニの右のつま先が90度回転。 「知ってるよ」 レニの動きの真似をする。 「……家族を亡くした子どもはさ」 一つ一つの動作は簡単に見えるし静かだけれど、体の全部を使っているのがわかる。 「悲しんだり、怒らなきゃダメ?」 レニの左のつま先が動く。体の向きが反対になった。 「ラジィの自由だと思う」 僕も同じ方を向いた。サロンの窓がある。ガラスの向こうのジュエレッタたちは、回廊の絵画のように見える。 「火星には、海ってあるかな?」 裏三角の構えをキープ。 「私は聞いたことないわ」 呼吸を深く、とレニが言った。僕はゆっくり大きく息を吸う。足が地面に沈むような感じがした。 「僕は歩けるようになったし、走れるようになった」 「そうだね」 この脚になって最初の何週間かは、立つのに支えが必要だった。動くとすごく疲れちゃって、足じゃないところが毎日痛くて、時々こっそり泣いていた。 今では、走ることだって、こうして合気道の稽古もできる。 「ターコも、どこかで泳いでるかな」 火星に行ったターコ。ターコのことを思い出さない日は、少しだけ増えた。でも、思い出す時は前よりずっとしんみりする。 「火星なら、水槽かもね」 「そうだよね」 「月の海に水はないし」 「レニ、行ったことある?」 「1度だけ、仕事でね。雨の海に」 「どうだった?」 「干からびてたわ」 「だよね」 ラファエルとマリアンヌは「脚」をくれた。 ジャンが「歩く」と「走る」をくれた。 そしてレニは、「どこか」ってのを、僕に教えてくれている。ような気がする。 今日はこのへんにしよう、とレニが構えを解いた。向かい合って一礼。思っていたより疲れてたのか、僕は尻餅ついちゃった。 噴水の飛沫に虹が見えた。僕の視線に気づいたレニが、ピュウ、と小さく口笛を吹いた。かっこいい。ジャンがいない時にアメとこっそり練習しよう。 「地球なら、水でいっぱいの海があるわ」 「行ったことある?」 「そのうちね。見に行くつもり」 レニは僕の隣に座った。 「人魚はいるかな?」 「さあ」 見上げる横顔は、どこか遠くを見ているみたい。やがてレニはパチパチッと瞬きをした。 「水の海を泳ぐターコは、地球の人には人魚に見えるかもね」 青い海を泳ぐターコを想像。宝石の踵が水を蹴り、行き止まりのない海をどこまでも進んでいく。時々水面に顔を出して、人魚だ!ってみんなが言う。 「それって、最高かも?」 「間違いなく、最高よ」 ターコにいつか会えるなら、そういう話をしてみたい。ガラス越しでも全然いい。 「ターコと地球に行きたいな」 浮遊台車かローラースケートが必要ね、とハスキーな声でレニが言った。
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屋外シーティングエリア
縞模様の光の影

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Who's Who
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Idea Sketch

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イラスト17
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Who's Who
A.D.2213

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01:17
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Epilogue

 

“It was Razi’s story.”

 

The sky is white beneath a hemispherical dome.

The ground is wet.

The rain sounds like rain on Earth.

 

A white cat crosses the path.

 

A boy beneath an umbrella.

The air is clear.

 

“I ask you, humans.”

 

A rainbow appears.

 

“Are you alive?”

 

The river flows.

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