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シーの上空を飛ぶカモメの群れ

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テレビアニメ放映開始

11周年記念ステージ

7/3-7/5 | 会場名 Scramble

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後夜祭 7/6

「雨の断章と永劫回帰」

 

μ(ミュー)

 

 

 雨の断章で伊奈帆がスレインに差し入れたニーチェ著「ツァラトゥストラはこう言った」

 今回、わからないなりにこの本を読んでみて、訳者の解説からキーワードが浮かびました。この本が雨の断章とアルドノア・ゼロという作品で持つ意味を、アニメーションの宿命、クリエイターの願いという視点で読み解いていきたいと思います。

 

 まず、岩波文庫「ツァラトゥストラはこう言った」訳者である氷上英廣さんの解説部分を引用します。

 

 

“いま、仮りにあなたの一生をそっくりそのままくりかえして生きたいかとたずねると、返事をためらう人が多い。なぜだろうか?自分の一生を、たとえばモーツアルトの大好きな楽曲を聞くように何度もくりかえしたいと言えるためには、わが人生を深く愛しんでいなければならない。それに満足し、完全に肯定していなければならない。だが、それも必ずしも全人生のくまぐままで愛着していなくともいいかもしれない。たとえばそのなかのある部分、極端に言えば瞬間であってもいい。もしその瞬間がほんとうにすばらしいものであって、それまでの、あるいはそれ以外の一切の苦悩と憂うつと悲惨を帳消しにするほどに絶妙なものであれば、ひとはこの一瞬のために心から回帰を願うことができるはずではないか”

 

 

 これは、ニーチェ思想の核心である「永劫回帰」についての解説です。「ツァラトゥストラはこう言った」は、この「永劫回帰」がはじめて提唱された著書になります。つまり、この本は「永劫回帰」という思想のメタファーと考えられます。

 

 もう少しかいつまんで説明すると、ニーチェの有名な「神は死んだ」という言葉。あれは「永劫回帰」という思想がキリスト教の天地創造から終末へと至る彼岸的な世界を否定し、この世界は全てのものが全く同じように永遠にくり返されるということを主張する格言です。

 

 何の変化もなく、同じ時を永遠にくり返す世界。全てがシナリオ通りに進み、寸分たがわず繰り返される。これはアニメーションの宿命です。アルドノア・ゼロというテレビアニメの1話から24話は、放送終了後、DVDや配信で、この10年間何度も何度も繰り返し再生されてきました。その中でのスレイン・トロイヤードという登場人物は、まさに“苦悩、憂うつ”“悲惨”な人生を送り、最後は牢獄で涙を流し、格子の窓の空を見上げ微笑みます。

 私は、この微笑みの理由をずっと考え続けていました。最終的には、彼が世界を許した瞬間かもしれない、と思っていました。でも、それは違いました。これは、おそらく私たち視聴者への許しの表情です。何度も何度も、スレインにとっては不幸の連鎖である24話を繰り返し、救いのないラストシーンを見てしまう、私たちに対する宥恕の微笑みなのではないでしょうか。

 

 そして10年の時を経て、伊奈帆が差し入れたニーチェの「永劫回帰」。永劫回帰の最後のピースが雨の断章だった。ラストシーンは書き換えられ、スレインが中庭で、呆然とした表情から優しく微笑む。これは、スレインが永劫回帰の運命を受け入れた、ということなのだと思います。“その瞬間がほんとうにすばらしいものであって、それまでのあるいはそれ以外の一切の苦悩と憂うつと悲惨を帳消しにするほど”の思い出に気づき、その“一瞬のために心から回帰を願”ったのです。アセイラムとの、あの美しい第1話冒頭のシーン。8話の鳥の思い出。そして、19話で彼女が再び彼の名前を呼んだ時。ハークライト、レムリナがスレインを大切に想っていたように、アセイラムもまたスレインをかけがえのない大切な存在だと思っていたとあの中庭で彼はようやく知った。だから彼は、自らの意思で再び繰り返すことを望んだ。新たに発売されるDVDのスレインは、以前と全く違うスレインになった。

 私たちは、何度も再生ボタンを押す。彼の苦悩や悲しみを繰り返す。だけど、彼もまた、それを自ら引き受け望んでいる。監督のつきつめた表現と愛が、スレイン・トロイヤードをただのキャラクターではなく、崇高な存在へと引き上げた。もう尊くて、このことに気づいて泣いてしまったのですが、ここからが本題です。

 

 伊奈帆の車「ジープ・レネゲード」この車が、スレインの微笑みの1シーン前で椰子の影を左に走り抜けていきます。私は当初、単なるプリズンブレイクの暗示かと思っていました。しかし今回考察してみて、違うことがはっきりしました。

 

 “レネゲード”の意は“反逆者”

 伊奈帆は、何に反逆したのか?

 

 それは「永劫回帰」という、アニメーションの運命にです。だから、スレインのラストシーンの前にある。椰子の影の格子を未来に走り抜け、伊奈帆は、スレインの象徴である翼の濡れたウミネコを見て、やがて正面を向いて微笑みます。この時、進行方向はスクリーンのこちら。現実世界です。界塚伊奈帆は、第1話ではなく、雨の断章のその先へと向かって、スレインを永劫回帰から解き放つ存在として描かれているのです。“反逆者”の名を持つ車が、永遠を繰り返す世界に背を向け、始めから終わりのある、まだ見ぬ終末に向けて走っていく。アルドノア・ゼロが雨の断章で完結することへの反逆。

 

 いやもうすっごいなあ!と震えました。大好きで大好きでたまらない作品ですが、DVDを見返すことに、これまで辛さがありました。でも、この雨の断章があることで、スレインが「あの時をもう一度繰り返したい」と思えるようになったこと、伊奈帆がその連鎖を断ち切り、彼と飛び立つ未来を予感させること。そういう余地を与えてくださったことに、どれだけ言葉を尽くしても感謝の気持ちを伝えきれません。何度も何度も、ずっと繰り返して見続けることが私にできることなんだ、と思いました。アルドノア・ゼロかっこいいね。

オレンジのオレンジ

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