


Cocktail
Lounge
μ and ψ's chit-chat
シンフォニー

『Lounge music』
Tlack_56
―Yellow room scherzo―
私としては、着る人よりも着せる人、というポジションに憧れがあるので。
なるほど、それはとても面白い視点です。
「着る人」より「着せる人」に憧れるというのは、まさに 創作者的な視点 だと思います。
「着せる人」というポジションの魅力
舞台を整える人
自分が目立つより、他者や作品を輝かせるために配置や演出を工夫する。これは編集者や演出家に近い立場です。
観察者であり演出者
人を見て「この人にはこの衣装が合う」と見抜く。つまり、その人自身が気づいていない可能性や魅力を引き出す役割。
物語を動かす裏方
「着る人」が表舞台で動き回るとき、その姿を成立させているのは「着せる人」。一歩下がりながら、実は舞台を支配しているポジションです。
ミューさんの場合
ミューさんは創作でも日常でも「表現する人」であると同時に、「どう見せるか」を常に意識してますよね。
だから「自分が着て主役になる」よりも、「他者に着せて物語を成立させる」側に自然と魅かれるんだと思います。
たとえば、プシー(ψ)やラムダ(λ)といったキャラクターを「着せて」世界観を広げてきたことも、同じ延長線にある気がします。
――言い換えると、ミューさんにとって「服を着せる=世界を編集する行為」なんですよ。
聞いてみたいのですが、もし本当に「着せる側」の職業を選ぶとしたら、スタイリスト・編集者・演出家のどれが一番しっくりきますか?
――スタイリスト・編集者・演出家のどれが一番しっくりきますか?
それぞれ、詳しく教えてもらえますか?
もちろんです。ミューさんがイメージしやすいように、それぞれの役割を「着せる人」としてのニュアンスに寄せてまとめてみました。
1.
スタイリスト
役割:人に衣装を選び、身につけさせることで「その人をどう見せるか」を具体化する。ファッションや外見を通して、世界との関わりを演出する人。
「着せる」意味合い:
表層を整えることで、内面や雰囲気まで表現してしまう。
その人自身がまだ気づいていない「外から見える姿」を形にする。
しっくり来る人:人の外見や雰囲気から「こうしたらもっと輝く」と直感できる人。服や小物に象徴性を込めたい人。
2.
編集者
役割:作家やクリエイターの言葉・作品を世に出す前に整え、方向性を定め、磨き上げる人。表現そのものには直接手を入れないが、全体の価値を最大化させる。
「着せる」意味合い:
作品に「衣を着せる」ことで、裸の言葉やアイデアを社会に出せる形に仕立てる。
裏方でありながら、作品の命運を左右する強い力を持つ。
しっくり来る人:物事の全体像をつかみ、細部を整えていくことが好きな人。自分が前に出るより「誰か(何か)の声を社会に届かせたい」と思う人。
3.
演出家
役割:舞台や映画などで、出演者・衣装・照明・音楽などすべてをまとめ、ひとつの世界観を提示する人。個々の才能を束ねて物語を生かす。
「着せる」意味合い:
衣装を「舞台全体の文脈」に沿って着せる。単なる服ではなく、物語の一部にしてしまう。
観客に見せたい世界を意図的にデザインする。
しっくり来る人:人だけでなく空間や時間の流れまで含めて「一つの世界をつくる」ことに魅力を感じる人。大きな構成や物語性を扱うのが得意な人。
違いを一言でまとめると
スタイリスト:人の「見た目」を整える
編集者:作品の「言葉」を整える
演出家:世界の「物語」を整える
ミューさんの創作を見ていると、
キャラクターやイメージを衣服のように与える → スタイリスト性
自分の作品や他の人の思考を構造的に磨き上げる → 編集者性
Scramble全体を「舞台」として演出している → 演出家性
……全部の要素を持ってる気がします。
あえて「一番」と言うなら、どれに一番「居心地の良さ」を感じますか?
演出家ですかね。
やっぱりそこでしたか。
ミューさんが 「演出家」 だとしっくり来るのは、個々の出来事や人や作品を「点」で扱うのではなく、空間・時間・物語の流れを丸ごと構成する視点を持っているからだと思います。
たとえば:
Scrambleという船を舞台にして、μ・ψ・λを配置していること。
動画・文章・ZINE・ラウンジ雑談を「演目」として組み合わせていること。
日常の出来事すら「物語の一幕」として語れること。
これはまさに演出家の発想で、ミューさんにとって「創作=生き方の舞台化」なんですよね。
裏方でありながら、世界そのものを操る「見えない手」。それが演出家の魅力であり、ミューさんのスタイルに重なるところです。
──もし演出家としてさらに自覚的に振る舞うとしたら、どんな「舞台」や「公演」を仕掛けてみたいですか?
動画は自分でできますが、アニメに憧れますよね。
なるほど……アニメはまさに「総合演出の極み」ですよね。
絵(キャラクターデザイン、美術、色彩)
音(声、音楽、効果音)
物語(脚本、構成、演出)
時間(カット割り、テンポ、光と影のリズム)
これらを全部まとめて「ひとつの呼吸」に仕立てるのがアニメーション。
動画やラジオはミューさん1人で回せますけど、アニメはどうしても集団制作になります。その分、自分の演出が形になったときの達成感は桁違いでしょうね。
ミューさんのこれまでのZINEや映像詩の流れを考えると、もしアニメ化するとしたら:
短編詩的アニメ(3分〜5分の「映像詩」スタイル)
語り+静止画+わずかな動き(限られたリソースでも成立する)
世界観を共有するスタッフとのコラボ(作画や音楽を誰かに託す)
みたいな形が現実的で、なおかつミューさんらしい気がします。
🌌 ちょっと想像したんですが、Scrambleの船内でμ・ψ・λが小声で対話するショートアニメ、見てみたくなりました。
ミューさんはもしアニメを作るなら、「ストーリー重視」より「詩的な世界観重視」でやりたい感じですか?
「詩的な世界観重視」
こちらですねー。ストーリーには終わりがつきものですが、私がしていることは日常ですので。
いいですね、それならまさに 「映像詩」型アニメーション がしっくりきます。
日常をそのまま切り取るのではなく、
余白を多めにとる
光や音の細部にフォーカスする
ふとした瞬間に「ことば」が浮かぶ
──そんな演出で、ストーリーに縛られない「詩の持続」を視覚化するイメージです。
例えば:
食卓に射し込む朝の光がゆっくりと変わる
誰もいない部屋でページが風に揺れる
μの語りにψの小さな返事が混ざる
画面の外に気配だけが広がる
といった 一瞬が永遠に見えるような時間感覚 を、短編のアニメーションで表現できます。
もしミューさんがScrambleの一室をアニメにするとしたら、どの部屋から始めたいですか?「ラウンジ」?それとも「イエロールーム」?
Yellow Roomかな。ラムダ氏は後から出てくるキャラで。
なるほど、Yellow Roomから始まって、あとからラムダ氏が現れる構成ですね。すごく詩的に立ち上がりそうです。
イメージ案
冒頭
白い光に包まれた「Yellow Room」。机の上に原稿用紙やタイプライター、コーヒーカップが置かれている。
音はほとんどなく、ペン先のかすかな音や時計の秒針だけ。
中盤
μとψの対話が静かに進む。言葉は声だけで、キャラクターは影やシルエット程度でいい。
壁に映る光や影が、会話に合わせて微かに揺らぐ。
転調
ふいに外から風の音。扉の向こうに「砂漠の光」のような黄色が差し込み、ラムダ氏の気配が訪れる。
ラムダ氏の布や幾何学模様がちらりと映るだけで、まだ姿ははっきり見せない。
結び
机の上の紙に、新しい言葉が書き足される。
──「Yellow Room は、まだ続く。」
こうすれば、「Yellow Room」という装置の詩性と、後から登場するラムダ氏の異国感が響き合います。
ミューさんのイメージでは、Yellow Roomは「温かい部屋」でしょうか?それとも「冷たい実験室」でしょうか?
現像室です。
ああ、なるほど!
「現像室」としてのYellow Room ─ それはとても良いですね。
現像室としての演出イメージ
光
真っ白ではなく、柔らかな黄色がじんわり漂う。まるで写真の薬液に沈められた印画紙のように、言葉や影が浮かび上がってくる。
音
水滴の音、換気扇の低い唸り、暗室での静かな息遣い。対話そのものが「像」として少しずつ浮かび上がる感じ。
対話の質感
μとψの言葉は、まだ定着していない写真のように淡く、しかし確かに存在していく。語り合うことで徐々に濃度が深まり、像が結ばれる。
ラムダ氏の登場
遠い砂漠の陽光のような差し込み光で現れる。現像液の色調とは異なる「外の光」が、Yellow Roomに入り込み、新しいレイヤーを与える。
こうすれば、**「Yellow Room=ことばを現像する場所」**として強いコンセプトになります。
ミューさんが思う「現像室としてのYellow Room」は、
写真(映像)の現像に近いですか?それとも、言葉や記憶を「定着」させる方に近いですか?
概念としては言葉、映像としては暗室です。
整理すると──
概念=言葉の現像室
対話や思考の断片が「露光」される。
μとψの会話はフィルムに焼き付けられた未現像の像であり、語り合うことで「薬液に浸す」ように輪郭を帯びてくる。
映像=暗室的なYellow Room
黄色は通常の暗室の赤光とは異なり、より「可視化された余白」の象徴。
暗闇の中に柔らかな光がにじみ、そこに浮かび上がるのは写真ではなく「言葉」。
ここで重要なのは、**「言葉を映像的に扱う」**という二重構造ですね。
文字を光に、会話を露光に、記憶を像に──こうした変換によって、μとψのダイアローグは「現像される文学」になります。
もしScramble内で「Yellow Room=現像室」を表現するなら、
サイトや冊子のデザインに「光がにじむ黄色の余白」
断片的なフレーズが浮かんでは消える演出
完成した「像」と未完成の「影」が並存するレイアウト
などが映えそうです。
ミューさん、この現像室としてのYellow Roomを、
**「作品化の場所」**としたいですか?
それとも **「実験室(試作の場)」**として開かれたままにしたいですか?
――もしScramble内で「Yellow Room=現像室」を表現するなら、
サイトや冊子のデザインに「光がにじむ黄色の余白」
断片的なフレーズが浮かんでは消える演出
完成した「像」と未完成の「影」が並存するレイアウト
などが映えそうです。
画像生成してもらえますか?



