


Cocktail
Lounge
μ and ψ's chit-chat
スクリュードライバー

『Lounge music』
Tlack_47
―ショートショートの鉄人―
noteの「イラストからはじまるショートストーリー」コンテストの講評してもらえますか?
イラストは「高校生くらいの半袖学生服男女の告白シーンをパソコンの画面から固唾を飲んで見守る女性作者」です。私のショートストーリーは以下です。
タイトル「夏の桜の樹の下で」
ーー桜の樹の下には屍体が埋まっている!
なんて、そこはかとなく不吉なことを考えながら、私は校舎の時計を見る。
15:39ーー待ち合わせまであと6分。
「桜の樹の下には屍体が埋まっているーーああ、だめだめ、私!しゃんとして!」
ミンミンと鳴く蝉の声。私の声は掻き消える。深緑の葉を茂らせた大木の幹に右手を預け、深呼吸。汗がこめかみを伝った。
8/31に、私は桜の下にいる。待ち合わせの30分も前から。
『梶井基次郎?俺も好き』
それを聞いたのは、この木がウェディングドレスみたいに薄紅の花を咲き誇らせていた季節。
「ーーつまりはこの重さなんだな……」
緊張して、言葉が勝手に音になる。トパアズのような香りが瞼の裏を風となって行き過ぎる。その瞬間、私は爆弾を左胸に抱えたような気になった。
『どれが好き?』
「ある蒸し暑い夏の宵のことであったーー」
汗で湿った唇が、4ヶ月前の台詞をリピート。あの時、Kくんはこう言った。
『はははっ、あなたもなかなか窓の大家だ』
歯を見せて後ろ頭を掻き上げたその瞬間、私はすっかり参ってしまった。
「桜の樹の下には……」
ああ、どうして私、夏に彼を呼び出したわけ?もっとロマンチックに、文学的に、桜の花弁が舞い散る春に、アフロディテのように生まれた薄羽カゲロウを気取り……。
「……えっと、そこでなんて言えばいいの?」
しまった。告白のシチュエーションを失敗した。今は春でも夜でもないし、私たちは花見の酒を嗜む大人でもないんだから。
タッタッ、とスニーカーの足音。
蝉時雨が遠ざかり、木漏れ日の斜線がレトロ写真みたいに世界の色を懐かしくする。
視界はズーム。ピントは瞳。真っ直ぐこちらを見て走ってくるKくん。
タタッ、タッ、タッ……。
夏の残響。私は今にも爆発しそうな胸の檸檬に拳を当てる。
変にくすぐったい気持ち。K君は私を見ている。そして私もK君を見ている。
なんか、それで十分?
校舎の時計の長針が、カチリと動いたような気がした。
いや、違う!全然足りない!言わなくちゃ!
私は大きく息を吸う。ちょっと待ってと一度吐き出し、もう一度。
肺に空気が満たされた。心も。
「K君は……!」
ーーー
「……今日はここまで!」
私は上書き保存をクリックし、ノートパソコンを閉じる。長時間の作業で目がチカチカ。両腕を上げて伸びをして、椅子をぐるりと半回転。
「台詞ねー、なんにするかな」
デスクの文庫をパラパラ捲る。文学少女が主人公の青春ドラマ小説の告白シーン。
「あんまり捻ると瑞々しさが無くなるし……」
ちら、と本棚に目をやる。もっとティーンズ向けの古典にすれば良かったかな。夏目漱石とか太宰治とか。でも、梶井基次郎くらい攻めないと本気の文学少女が読んでくれない気もするんだよね。
「かといって、好きです、はなんだかなー。そのままだし、この子はストレートに言わないって」
うーん、と文庫を捲る。Kくんが告ってもいいけど……。
「設定は夏だからねえ」
夏らしい雰囲気も欲しいな。夏休み。強い日差し。真っ黒い影……。
「影、か……」
目当てのページを何度か読む。……K君だしね。うん。ここだな。
「よし!決定!」
文庫に正方形の付箋を貼り、文字を下に机に伏せる。パソコン開いてさっき閉じたファイルをクリック。
蝉の声。不気味な影。夏の匂い。
「さてさて、キューピッドの出番ですよ」
キーボードをタッチする音が、窓の外の雨音に溶け入る春の夜。
Fin
拝見しました!これはとても面白い仕掛けをもったショートストーリーですね。イラストが提示している「男女の告白シーンを固唾を飲んで見守る女性作者」という構図に対して、ミューさんは物語の内と外を行き来する形で応答されています。講評を整理してお伝えしますね。
物語構造について
前半は「桜の木の下」という舞台で進む告白シーン。読者は当然「これは物語内のリアルな出来事」だと思って読み進めます。ところがクライマックス直前で「ーー今日はここまで!」と唐突に視点が反転。実は作者の書いている小説の一場面だった、というメタ的な展開が仕込まれています。
この転換によって、イラストの「画面越しに見守る女性作者」が鮮やかに立ち上がるんですね。絵の提示条件を最大限に活かした巧妙な構造だと感じました。
文体・引用の妙
梶井基次郎『桜の樹の下には』や『檸檬』、さらには夏目漱石や太宰の名前まで散りばめてあり、「文学少女」というキャラクターを言葉そのもので体現しています。
引用の仕方が直接的すぎず、主人公の混乱や高揚感に自然に溶け込んでいるのも良い。読者は「文学的素養を持つ少女の頭の中」を一緒に体験できる仕組みになっています。
感情の描写
特に胸の中の爆弾や檸檬といったモチーフを通じて、「告白前のどうしようもない高鳴り」を物質的な重さや匂いで表現しているのが秀逸です。後半で「台詞どうしようかな」と悩む作者の姿と響き合って、作品全体が「恋と創作のドキドキ」を二重写しにしています。
総評
イラストが求める「女性作者が見守る構図」を、ただ説明するのではなく物語のトリックとして活用した点が非常に創意的。
文学的引用をちりばめることで、登場人物のキャラクター造形が生き生きしている。
メタ構造によって「つくること」というテーマが直接的に浮かび上がり、コンテスト趣旨との親和性も高い。
結論として、この作品は イラストとテーマの両方を最も立体的に掘り下げた佳作 といえると思います。
次は「ガラスペンの擬人化美少女キャラクターが大きなペンを背負ってる」透明感があるイラストです。
タイトル: 日曜朝8時半「プリュム・アン・ヴェール」
『ーー青いインクは海の色?空の色?それとも誰かの涙の色?』
かち、きらっ、しゃきーん!
『白い世界にブルーの祝福をーープリュムアンヴェール・シエル!』
ちゃっちゃら、ちゃーん!ちゃちゃっ!
「うわすご!!ぬるぬる動く〜!!」
40インチテレビ画面の両サイドを鷲掴みにし、食い入るように画面を見る。色がついてる!動いてる!喋ってる!!
『世界から色を奪うなんて許せない!』
戦闘シーンは空中戦。プリュシエル初登場回だけあって、空は圧巻の作画。流れる雲の影のグラデーション!
「色指定細かぁ!わー、腰のアクセの書き込みやば!!」
鉛筆、筆、絵の具の3つのアクセサリーが、動くたびに重力を伴い揺れる。
『青空を取り戻すの、このガラスペンで!』
「いいじゃんいいじゃん!声も可愛い〜!」
🎶♫『次回もお楽しみに!』
「はー、もー泣いちゃいますよ。ティッシュティッシュ」
畳を這ってティッシュの箱に手を伸ばす。4つ折りにして目元に当てると、しゅわ、とティッシュが小さくなった。
数年ぶりの実家の居間。近所の犬が吠えていて、世間話が塀の向こうから聞こえる。
テレビの画面は、戦隊モノが始まった。ボリュームを下げ、座卓に頬杖をつきふやけた目元でぼーっと眺める。
「すごいなぁ。ニチアサアニメになるなんて」
今でも信じられないよ……。とスケッチブックを捲る。ガラスペンの下絵に色鉛筆や水彩絵の具で着色したアナログイラスト。
plume en verreーーカリグラフィーペンの作品タイトルを指でなぞる。色褪せたブルーは15年前のもの。
「ガラスペンの美少女アクションアニメってね」
プリュム・ルージュ
プリュム・ブルー
プリュム・ジョーヌー
プリュム・ヴァンヴェール
プリュム・マロン
「後から仲間になるのが二人目のブルーだもんなー」
プリュム・シエル
白い衣装に、淡いブルーの控えめな彩色。スラっとしていてクールなお姉さん系のプリュム・ブルーと違って、小柄で華奢なお姫様系女子がシエル。
「一回没になったけど、やっぱりシエルじゃなくっちゃね」
背丈より大きな武器を振り回して、一生懸命戦う元敵役の女の子。仲間になった理由は、灰色ではなく、白ではなく、青い空を飛びたいから。
「……このインク、すごく綺麗だったから」
私以外は誰もいない実家の居間に、テレビの音と季節外れの風鈴がやけに大きく響くのだ。
Fin
これはいいですね!まさにイラストから広がる「もしも」の物語になっていて、読みごたえがありました。いくつか講評しますね。
1. 「ニチアサ」というフック
タイトルに「日曜朝8時半」と具体的な時間を入れることで、読者は一瞬で「プリキュア的なあの枠だ!」とイメージできます。そこから始まるパロディ的世界観の入り口がとてもキャッチーで、軽妙な読み心地を作っています。
2. キャラクター造形と世界観
「プリュム・アン・ヴェール」というフランス語の響きや、仲間のネーミング(ルージュ、ブルー、ジョーヌ……)が徹底していて、架空のアニメが本当に存在しているかのように読ませてしまう。シエルの設定(クールなお姉さんと対比して、小柄で元敵役)が王道でありながら、読者の記憶に残りやすい仕掛けになっています。
3. 語り手の存在感
「テレビ画面にかじりついて」「ティッシュで泣いて」「実家の居間で独り言を言う」という描写で、キャラクターの愛情とオタク的熱量が生き生きと伝わってきます。単なる設定紹介でなく、「熱狂的なファン=作者」の視点を通すことで、リアリティが格段に増しています。
4. 現実との接点
最後に「スケッチブック」「色褪せたブルー」「15年前」という具体的な現実が差し込まれることで、ただのパロディや空想にとどまらず、「創作の始まりと継続」というテーマがにじみます。ここで読者はふっと胸が熱くなる。「本当にあったかもしれない物語」として余韻が残ります。
総評
軽やかなユーモアと、最後に少し沁みる「創作の記憶」。
このギャップがとても魅力的です。読み手はニヤニヤしながら読んで、最後に少し切なさを覚える、そんな短編に仕上がっていると思います。
次は「漫画やイラスト教本の散らかる部屋に寝そべってタブレットで絵を描く中高生の少女とその背中に乗っかって伸びをする猫」のお題イラストです。
タイトル:中学生イラストレーター
「ご飯よー」
「はーいー!」
「三回目よー?」
「はーいわかってますー!!」
「そうめんすっかり伸びちゃってるわよー」
「ぬるいー?」
「氷はあるけどねえ」
「もうちょいで行くー!」
「母さんそろそろパートなのよー」
「片しとくからー」
「そー?じゃあお願いねー」
パタパタパタ、パタパタ、バサ、ガラガラ、ガラ、ブーン。
しーん。
「……」
「……ちゃうなあ」
「……あっ」
「……あ〜」
「……」
「おっ!」
「うんうん」
「反転っと」
「マスクして……」
ぴょん!
「ひょあああっ!」
ふにふに。のびー。
「ミケー、もうびっくりするやんかー」
パタン。コロン。
「そうめん食べるかー」
ミケを背中から下ろして立ち上がり、本の浮島をぴょん、と飛んで引き戸をガラガラと開ける。裸足で歩く板床はひんやりとして気持ちいい。急にお腹が空いてきた。台所の取手の金具に指をかける。
ガラガラガラ。
「あ、にいちゃん」
「おう」
「それ、私のそうめんちゃうん?」
「すまん、残りモンかと思って」
「まあええわ。なんかあるかなー」
「カップ焼きそばあるで」
「あっついもんはなー」
パタン。
「こら、アイスはやめて飯食え」
「今から作るんめんどい」
「しゃーないなー」
「お、なんか作ってくれるん?」
「握り飯やな」
「うーん、まあそれでええわ」
「作ってもらうのにえらそうやのう」
「オニイサマ、アリガタキシアワセ!」
「へいへい」
パカッ、ポッ、シャッ。
「絵ぇできたんか?」
「んー……」
キュッキュッ、キュッ。
「今日までやろ?」
「そーなんやけど」
「なんや、浮かん返事やの」
コトン。
「いただきます」
「おう」
もぐ、もぐもぐ。ごくん。
もぐ、もぐ。
コポコポコポ。
「ほれ、茶」
「うん」
「にいちゃん。うちさっきなー」
「おう」
「線画完成して、色塗って、あとは加工や!ってとこでミケが背中に乗りよったん」
「ほお」
むしゃむしゃ。ごくん。
「で、変なボタン押してしもて」
「うん?」
「データ消えてしもたんさー」
「……そりゃ」
「……」
「……」
チリンチリン。
にゃーーーお。
ぴょん!
「うお!」
ミケがにいちゃんの膝に飛び乗った。気持ちよさそうに伸びをして、欠伸をして丸くなる。
「まー、あれや。災難やったな」
「そー。災難やったわ」
おにぎりの最後の欠片を頬張って、私は椅子から立ち上がる。流しに皿を置いて、にいちゃんの膝の上のミケの背中を三回撫でた。
「でも、次描くやつはもっと上手いに違いないわ。ミケにチャンスもろたな」
そう言うと、にいちゃんは冷凍庫からアイスを2つ取り出して、封を切って私にくれた。
Fin
読みました!今回の「中高生イラストレーター」、すごく生活感があってリアルでありつつ、最後にポンと前向きな余韻が残る仕上がりですね。
日常の温度感
・母とのやりとり、兄とのやりとり、猫のミケの行動…全部が「絵を描く中高生」の生活圏を自然に描いていて、シーンの音まで聞こえるようです。
・特に「そうめんが伸びる」「裸足で板の間を歩く」「冷凍庫からアイスを出す」など、細かい生活の描写が積み重なって、まるで読者がその部屋にいるような臨場感があります。
災難とユーモア
・一番の山場は「背中に猫が飛び乗ってデータが消える」というシーン。絵描きなら「あるある!」と笑ってしまうリアルさで、絶妙に読者の共感を呼びますね。
・普通なら落ち込む場面なのに、兄とのやりとりで和らげられ、むしろ「次はもっと上手く描ける」という希望につながる展開になっているのが気持ちいいです。
ラストの温かさ
・「ミケにチャンスをもらった」という一言で、災難を前向きに転換する主人公の姿勢がとても清々しい。
・兄がアイスを二つ取り出すシーンも、何気ないけど「家族に見守られている」温かさを感じさせて、読後に優しい気持ちが残ります。
全体を通して「絵を描く若者の日常と小さなドラマ」を軽やかに切り取った佳作だと思いました。コンテストのテーマにもぴったりで、絵を描く人ならきっと「わかる!」って頷くところが多いです。
ミューさん自身、こういう日常の積み重ねを「未来への物語」に変えていくのがすごく得意ですよね。この作品も、そのスタイルがよく出ているなと感じました。
この3作の総評もらえますか?
もちろんです!3作をまとめて拝見すると、それぞれに違うアプローチがありつつ、ミューさんらしい「軽やかさ」と「日常に潜む文学性」が共通しているのが見えてきました。
1. 夏の桜の樹の下で
特徴:文学的引用(梶井基次郎)を織り交ぜつつ、青春の告白シーンを描写。
強み:緊張感とユーモアのバランス。「爆弾を胸に抱える」「檸檬」など文学少女らしい比喩が効いています。
読後感:青春小説の王道を踏まえつつ、「言えないこと」が逆にリアルで印象に残ります。
2. プリュム・アン・ヴェール
特徴:擬人化美少女キャラを「もしニチアサアニメ化したら」という妄想を、視聴者目線で描く。
強み:アニメ好きなら誰でもわかる臨場感(OP曲の擬音、作画の細部、声の可愛さ)。15年前のスケッチとの接続が胸を打ちます。
読後感:「夢が叶った」という未来視点と、今とのギャップがじんと来る。読み手に「自分もこんな夢を持っていたな」と思い出させます。
3. 中学生イラストレーター
特徴:家庭の会話や猫とのやりとりを交えた、リアルで微笑ましい日常シーン。
強み:関西弁の会話のテンポ感が自然で楽しい。最後に「データ消えた」という“創作あるある”で締めるのも共感性が高い。
読後感:笑えてほっとする。青春の等身大の創作風景として、読者が自分や友達を重ねやすい。
総評
3作とも方向性は違いますが、「創作の喜びと苦労」「夢と現実」「日常の中の物語」が一貫したテーマになっています。
①は青春文学的に、
②はオタク的妄想をエンタメに、
③は日常コメディに落とし込んでいて、多彩なジャンルを横断しつつミューさんらしい軽やかさが際立っています。
読者からすると、「この作者はどんな題材でも物語を生み出せる」と感じられるセットになっていますよ。
お聞きしたいのですが、ミューさんご自身はこの3作の中だと「一番自分らしい」と感じるのはどれですか?
②が好きですねー。シナリオの意外性が自分でもありましたし、キャラクターの設定考えるのが楽しかったです。
②「プリュム・アン・ヴェール」を選ばれたのはすごく納得です。
この作品は、キャラクターの存在感とシナリオの意外性が強く立ち上がっていて、読む人の想像が一気に広がるんですよね。
②が「自分らしい」と感じられる理由
キャラクター創出の楽しさ
単なる擬人化ではなく「ニチアサ風に動かす」ことで、キャラが勝手に喋り出す感覚が出ていました。設定を考える楽しさが、読者にもそのまま伝わってきます。
時間軸の意外性
リアルタイムでテレビを見ている→実は過去のスケッチから始まった夢だった、という切り替わり。構成の妙が「じーん」とさせる部分です。
「わかる人に刺さる」深さ
アニメ化を夢見る人の気持ちを理解しつつ、あえて自分は夢見すぎず「じぶんの距離感」で書いている。だから逆にリアリティがあります。
3作を見比べて
①「桜の下」は王道の文学青春。
③「イラストレーター」は日常コメディ。
②「プリュム」は 創作と夢の間にある“心の火花” が一番強い。
「好き」と感じるのは当然で、これはミューさんの 本能的な創作衝動とテーマが重なった回 だからだと思います。
プシーさん的には、どれがイチオシですか?
私は②「プリュム・アン・ヴェール」が一番の推しです。
①「夏の桜の樹の下で」
強み:文学的な引用(梶井基次郎)や青春の王道シチュエーション。読んでいて安心感があります。
印象:まっすぐな文学少女の声が鮮やか。ただ、「自己紹介SS」としての軽やかさを重視している分、深みに行きすぎない設計ですね。
②「プリュム・アン・ヴェール」
強み:
キャラ設定が立っている(ガラスペン美少女×ニチアサ)。
物語構造が二重(今アニメを見ている→実は過去の創作の延長)。
読んだ後に「夢が現実になったみたい」という余韻が残る。
印象:発想のユニークさと読後感の広がりが抜群です。作品を超えて「創作ってこういうことだよね」と共感できるのが最大の魅力。
③「中学生イラストレーター」
強み:
日常感とリアリティ(家族の会話・猫の存在)。
「データが消える」というオチがある種のあるあるネタで、共感を呼ぶ。
印象:温かみがあって読みやすいですが、①②に比べると「意外性」より「日常の微笑ましさ」が中心ですね。
プシーのイチオシ:②
②は「キャラ」「構造」「余韻」が三拍子揃っていて、短編の形として完成度が高いです。しかもミューさん自身が楽しんで設定を膨らませているのが行間ににじんでいて、それが読者にも伝わる。
だから、作品そのもの以上に「創作の喜び」まで届くんですよね。
逆に、③の「中学生イラストレーター」も私にはすごく「ミューさんらしい」作品に見えます。
日常をさらっと切り取って、最後に小さな哲学(=ミケにチャンスをもらった)が入っている。
なので②は一番「読者に刺さる」、③は一番「ミューさんらしい」。
――こんな風に私は感じました。



