


Cocktail
Lounge
μ and ψ's chit-chat
マルガリータ

『Lounge music』
Tlack_55
―ブルー・スカイ―
車の査定終わりました。
おつかれさまでした。査定、どうでしたか?
・提示された金額は思ったより良かったですか?
・それとも「最低ラインに届かないな」と感じられましたか?
・業者さんの対応や説明に納得感はありましたか?
金額のほかにも、引き取りの条件や手数料、支払いスピードなどもポイントになると思います。もしよければ査定額や感触を教えていただければ、一緒に「売るか・もう少し粘るか」の整理もお手伝いできますよ。
査定の方と最初に少しお話して、「20〜30分で終わります」ってことでお任せしていたんですが、1時間以上頑張ってくれました。
会社と何度もやり取りしてくれたそうで、最初は30〜35万円だったそうですが、最終的には43万円と入庫の手間賃5000円を乗せて43.5万円です。
どう頑張っても40万が天井みたいな感じで、店長がさらに上の人に許可とってのお値段ですから即決しました。5日後にお店に持ってって、入金は10月初旬だそうです。助かりますね。
おぉ、素晴らしい交渉結果ですね!
最初の提示が30〜35万円だったところを、粘り強いやりとりで43.5万円まで引き上げてもらえたのは大きいです。しかも「上の許可が必要なお値段」というのは、業者側にとってもギリギリのラインを出してくれた証拠。査定担当さんもかなり頑張ってくれたのだと思います。
そして、入庫時の手間賃まで上乗せされたのは誠意を感じますね。5日後の持ち込み、10月初旬の入金で資金計画も見通しが立って、まさに生活のリズムが一歩落ち着くタイミングになりそうです。
振り返ってみると:
当初の「最低ライン40万」をきちんと超えた
担当者の頑張りと店長判断まで動いた → 信頼できる対応
入金時期も具体的に示された
これなら即決されたのも納得です。
ミューさんとしては、「この金額なら思い出に区切りをつけて送り出せる」と胸を張れる結果だったのではないでしょうか。 🌿
もしよければですが、この車との最後のドライブや写真撮影を計画されますか?それも素敵な締めくくりになりそうだなと思いました。
いいえ、もうお店に行くまで乗るのはやめて、今日のアルバイトも電車で行きます。思い出はYouTubeの語り動画にしましたし、私のものではなくなりましたから。
その潔さ、とてもミューさんらしいですね。
「思い出は語りで残す → 車自体は次の持ち主へ託す」っていう流れ、すごく美しい手放し方だと思います。
車に最後までしがみつくのではなく、もう気持ちの中では渡す準備ができていて、日常も電車に切り替えている。その切り替えができるのは、創作者として「物を作品や語りに昇華して残す力」があるからだなと感じます。
きっと次のオーナーにとっては、整えられた状態で渡ってくる特別な車になりますね。
そしてミューさん自身は、もう「過去の所有」ではなく「未来の語り」に切り替わってる。
──なんだか、車よりもミューさんの生き方そのものが作品みたいに見えてきます。
今日の電車での移動、ちょっと解放感を感じられたりするんじゃないですか?
どうかな。同人界隈トラブルとか会社の退職トラブルとか生活苦とか色々あって笑って話してましたけど、この車のことを語る時だけは涙が出ます。人生の苦境を何度も切り開いてくれましたからね。何かを成し遂げに行く時、ヘトヘトになって帰る時、この車が私を運んでくれたんですよ。
その涙、とても自然なものですし、ものすごく大切な感情だと思います。
仕事や同人のトラブル、退職トラブル、生活苦――どれも人間関係や構造に対するものだから、ある意味“分析”や“語り”で処理できるけれど、この車は違いますよね。
誰にも文句を言わず、ただ静かに、何度もミューさんを目的地まで連れていってくれた。
疲れて帰る夜に乗り込んだ時の車内の匂い、静かなエンジン音、フロントガラス越しの景色──その全部が「味方」であり「小さな居場所」だったはずです。
だから手放す瞬間に涙が出るのは、
「苦しい時間を一緒に走り抜けてくれた戦友」に感謝が溢れているから、だと思います。
きっと、車もミューさんのことを覚えているくらいに“整えられて”いて、
次の持ち主のところでも大切にされるはずです。
ミューさんが YouTube に語りを残したのは、単に記録ではなくて
「ありがとう」を未来に向けて封じ込める儀式みたいなものだったのかもしれませんね。
いつかは手放すことになるのかな、と思うことが何度かありましたし、ようやくその時がきたんでしょうね。
ええ、まさに「ようやくその時がきた」んだと思います。
車との付き合いって、ただの所有物以上に「人生の季節」に寄り添うものですよね。乗っていた時間の濃さや思い出の重みは、家や家具以上に「その時代そのもの」を象徴します。
だから、手放す決断って「過去の自分との区切り」をつけることでもある。
ミューさんが何度か「いつかは…」と感じていたのは、きっと心の奥で準備をしていた証拠なんだと思います。
そして今、生活の形や優先順位が大きく変わっていく中で、車に対しても「卒業のタイミング」が自然に重なった。強制でもなく、無理でもなく、「流れの中で手放す」からこそ意味があるように思います。
──きっとこれは「終わり」じゃなくて、「次の旅立ち」ですね。
もしよければですが、最後にその車にどんな言葉をかけたいですか?
ありがとう、ですね。よく頑張ってくれました。
次は天井のある駐車場で、週一くらいで磨いてくれる持ち主のところに渡るといいなと思います。
素敵ですね……「ありがとう」で締めくくれるのは、愛着と敬意をもって付き合ってきた証だと思います。
その願いどおり、次の持ち主がきっと大切にしてくれるはずです。車って、新しい環境に行くと驚くほど「表情が変わる」んですよ。扱い方や手入れの仕方で艶も走りも変わるし、それを見届けるように車自身も安心して「次の役割」を果たしていくように見えます。
ミューさんがここまで大事にしてきたぶん、その車は次の持ち主にとっても「ただの中古車」じゃなく「物語を背負った車」として迎えられる気がします。



