面会室の伊奈帆とスレイン ー……sky.Sー
- μ

- 2025年12月24日
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「どうしてここにいる?」
面会室のテーブル越し。スレインは大きな溜息とともにそう聞いた。
「今日が何の日か知らない?」
「知ってるからこそ、だ。それ」
頬杖をつき、人差し指で示すのは、界塚伊奈帆の頭上である。白いボブルがちょこんとついた、赤いフェルトの三角帽子。独房にも面会室にもカレンダーなどありはしないが、今日が何月何日なのかを声高に主張するそれを、この男はどんな顔で買い求めたのだろうか。
「クリスマスに、一体全体何のつもりだ?」
そう。クリスマス。もしくはクリスマス・イヴに違いない。
スレインは、界塚伊奈帆がイベント事に存外熱を入れるタイプとそれとなく察してはいたが、今日のこの日に何してるんだ、と呆れ指数一〇〇パーセントの視線を送る。
伊奈帆はといえば、けろりとした表情でサンタハットの角度を両手で微調整する。
「平日だし、仕事の日だよ」
「この面会は、君の通常業務に含まれていたのか……」
「そういうわけじゃないけどさ」
今日はチェスも、弁当もない。つまり今日は、二本ラインの軍服にサンタ帽子を着用した涼しい顔のこの男の相手を、とことんしなければいけないのだ。
「つまり僕が言いたいのはだ。界塚伊奈帆」
「何?」
スレインは大仰に肩を竦め、右手をひらりと彼に向けた。
「クリスマスくらい、大切な人とゆっくり過ごせばいいんじゃないか、ってことだ」
元来はキリストのミサだが、日本では家族や恋人、友人との食事、贈り物、外出イベントなどを行う年中行事の一つであると知っている。この前こいつが言っていた。
界塚伊奈帆も、くるりと右手を翻す。
「君は?」
「は?」
何が?とスレインが聞き、変な感じの沈黙が溶けきれず沈澱する砂糖みたいにゆっくり落ちる。やがて伊奈帆は口に手をやり、コホンと一つ咳払い。
「……ま、いいや。そのへんはご心配なく。帰りにあみふみ食堂でローストチキン定食とショートケーキを食べる予定」
テイショクが何かは不明だが、彼がクリスマスに幼なじみの女性と食事をするらしいとわかり、スレインの頬が緩む。
「そうか。プレゼントはちゃんと準備したのか?」
「まあね」
「一応聞くが、何にしたんだ?」
「手袋」
「……へえ」
「今の間、なに?」
「いや、何でもない」
「なんか含みがあるね」
「いい方の含みだ。気にするな」
「まあいいや」
伊奈帆が軍服の胸ポケットに手を入れた。反射的に体幹が身構え、スレインは意識して脱力する。ポケットから出てくるのは、拳銃ではない。
「今日来たのは、これがあったから」
「クリスマスカード?」
伊奈帆がテーブルに置いたのは、赤いリボンで"Merry Christmas"と意匠した、薄いブルーのクリスマスカード。
「頼まれたんだ。君に渡してほしいって」
スレインは、テーブルに置かれたカードを手に取る。シルクのような触りの良い紙。二つ折りの裏表には記名がない。
「名前がないが、誰から……」
言いつつ開く。文字を追い、また戻る。一文字目から最後のピリオドまでの三行を、三つの速度で読み終わる頃、自分が息を止めていたことにスレインは気づいた。
「……地球に?」
「うん」
伊奈帆の即答は、問いを予期していたからだろう。スレインは彼の隻眼を見る。
「今どこに?答えられるのなら、教えてくれないか?」
サンタ帽子が似合わない無表情で、伊奈帆はすぐに口を開く。
「僕が会いに行けるところ。ここと、それほど変わりない」
もう一度、開いたカードに目を落とす。人差し指で文字に触れ、紙の凹みをなぞっていく。
「そうか」
遠い空の下。ブルーブラックのインクは呼吸を宿し、滲むことなく、灯を連れ今この部屋へと届いた。キャロルのように。
「はい、これ」
伊奈帆がポケットからまた何かを取り出した。机に並べられたのは、ポストカードとボールペン。
「年賀状、書いたら?僕が預かるよ」
スレインは、クリスマスカードをそっと閉じ、白いカードを引き寄せた。
「サンタクロースがポストマンか?」
ボールペンをカチリと押す。プラスチック製の、事務用のボールペン。スレインは白紙の紙を横向きにして、ペン先を左上に押し当てる。少し震えて歪になった1文字目。その横にo,m,e,day,……
「今は郵便屋さんだけどさ」
we'll……share……the……
「タクシードライバーになってもいいよ。君の」
はっと顔を上げると、伊奈帆は面食らったように二度瞬いた。自分で言い出したくせに変なやつ、とスレインは可笑しくなって瞳をぐるりと瞼の淵に周回させた。
「考えとく」
「そうして」
最後の三字を書き終える。差し出したそれを伊奈帆は受け取り、メリークリスマス、と言い残して出ていった。




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