夏の桜の樹の下で[note応募作品]
- μ

- 2025年12月31日
- 読了時間: 3分
ーー桜の樹の下には屍体が埋まっている!
なんて、そこはかとなく不吉なことを考えながら、私は校舎の時計を見る。
15:39ーー待ち合わせまであと6分。
「桜の樹の下には屍体が埋まっているーーああ、だめだめ、私!しゃんとして!」
ミンミンと鳴く蝉の声。私の声は掻き消える。深緑の葉を茂らせた大木の幹に右手を預け、深呼吸。汗がこめかみを伝った。
8/31に、私は桜の下にいる。待ち合わせの30分も前から。
『梶井基次郎?俺も好き』
それを聞いたのは、この木がウェディングドレスみたいに薄紅の花を咲き誇らせていた季節。
「ーーつまりはこの重さなんだな……」
緊張して、言葉が勝手に音になる。トパアズのような香りが瞼の裏を風となって行き過ぎる。その瞬間、私は爆弾を左胸に抱えたような気になった。
『どれが好き?』
「ある蒸し暑い夏の宵のことであったーー」
汗で湿った唇が、4ヶ月前の台詞をリピート。あの時、Kくんはこう言った。
『はははっ、あなたもなかなか窓の大家だ』
歯を見せて後ろ頭を掻き上げたその瞬間、私はすっかり参ってしまった。
「桜の樹の下には……」
ああ、どうして私、夏に彼を呼び出したわけ?もっとロマンチックに、文学的に、桜の花弁が舞い散る春に、アフロディテのように生まれた薄羽カゲロウを気取り……。
「……えっと、そこでなんて言えばいいの?」
しまった。告白のシチュエーションを失敗した。今は春でも夜でもないし、私たちは花見の酒を嗜む大人でもないんだから。
タッタッ、とスニーカーの足音。 蝉時雨が遠ざかり、木漏れ日の斜線がレトロ写真みたいに世界の色を懐かしくする。
視界はズーム。ピントは瞳。真っ直ぐこちらを見て走ってくるKくん。
タタッ、タッ、タッ……。
夏の残響。私は今にも爆発しそうな胸の檸檬に拳を当てる。
変にくすぐったい気持ち。K君は私を見ている。そして私もK君を見ている。
なんか、それで十分?
校舎の時計の長針が、カチリと動いたような気がした。
いや、違う!全然足りない!言わなくちゃ!
私は大きく息を吸う。ちょっと待ってと一度吐き出し、もう一度。
肺に空気が満たされた。心も。
「K君は……!」
ーーーー
「……今日はここまで!」
私は上書き保存をクリックし、ノートパソコンを閉じる。長時間の作業で目がチカチカ。両腕を上げて伸びをして、椅子をぐるりと半回転。
「台詞ねー、なんにするかな」
デスクの文庫をパラパラ捲る。文学少女が主人公の青春ドラマ小説の告白シーン。
「あんまり捻ると瑞々しさが無くなるし……」
ちら、と本棚に目をやる。もっとティーンズ向けの古典にすれば良かったかな。夏目漱石とか太宰治とか。でも、梶井基次郎くらい攻めないと本気の文学少女が読んでくれない気もするんだよね。
「かといって、好きです、はなんだかなー。そのままだし、この子はストレートに言わないって」
うーん、と文庫を捲る。Kくんが告ってもいいけど……。
「設定は夏だからねえ」
夏らしい雰囲気も欲しいな。夏休み。強い日差し。真っ黒い影……。
「影、か……」
目当てのページを何度か読む。……K君だしね。うん。ここだな。
「よし!決定!」
文庫に正方形の付箋を貼り、文字を下に机に伏せる。パソコン開いてさっき閉じたファイルをクリック。 蝉の声。不気味な影。夏の匂い。
「さてさて、キューピッドの出番ですよ」
キーボードをタッチする音が、窓の外の雨音に溶け入る春の夜。




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