1/6の空
- μ
- 5月19日
- 読了時間: 4分
「鳥は、どうして飛ぶのかしら?」
ガラスに映るレムリナの顔を見て、スレインは視線をガラスの向こうの青へと送りこう言った。
「翼があるから、と言ってしまえばそれまでですが。翼があっても、飛べない鳥もいます」
「そうなのですか?」
月面基地の最も奥深い場所に位置するレムリナの私室。天鵞絨の絨毯を敷き詰め、花を飾り、壁の一面を三層になるシリカガラスで構成した広い室内。賜った騎士服をレムリナに披露するため来室したスレインは、挨拶の後はいつものように地球について教えていた。生態系の話を軽く。その折、先の質問がレムリナから発せられた。
——鳥は、どうして飛ぶのか。
「はい。このように」
言いながら、ウィンドウを展開する。現れた鳥の姿にレムリナが小さく驚きの声を上げ、楽しげに笑った。
「確かに、これでは飛べないわ」
陸上のペンギン。マスコットキャラクターのように可愛げのある姿に、姫の心は和んだようだ。
「代わりに、海の中を飛ぶように泳ぐのです」
「海の中を?」
スレインは新たにもう一枚を彼女に見せる。それは、水中を羽ばたくペンギンのフォト。ジェット機の航跡雲のように軌跡を残し飛ぶように泳ぐ。その水中飛行が映り込んだレムリナの瞳が、美しい輝きを灯す。スレインは自然と微笑む。
「彼らにとっては、海が空のようなものなのです。どこまでも深く、どこまでも飛べる。そういう場所かもしれませんね」
「そう。自由ね」
沈んだ声。言葉を誤ったことに気づき、スレインは並んだパネルの一つ一つを静かに閉じた。
「姫様は、鳥がお好きですか?」
このまま、寂しい気持ちで残してはいけない。そう思い、スレインは柔らかな声で聞いた。レムリナはこくりと頷く。
「ええ、好きです。貴方は?スレイン」
「僕は……」
「いいのよ。気を使わなくて」
これでは立場があべこべだ。レムリナの素直な眼差しに応えることにし、スレインは一度目を伏せ真実に近い言葉を探す。
「鳥は、本当に自由なのか。そう思うことがあります」
ガラスに映る自分の顔が、鏡のようにこちらを見返す。騎士服を纏い、上品そうな表情を作り、少女の心を慰める。何のために?
「飛ぶことしかできない。たとえば、海を渡る鳥にとってそれは、孤独で不自由な枷ではないかと」
願いのためだ。祈りのためだ。奇跡を実現するためだ。それはきっと、自由から最も遠い生き方だ。
「羽を休める場所もなければ、鳥はいずれ疲れ果て、海へと落ちるかもしれません」
はっとする。隣を見下ろすと、レムリナがこちらを見上げ押し黙っていた。スレインは踵を揃え一礼する。
「申し訳ありません。このようなことをお話するつもりでは」
自分の話をするのは苦手だ。抽象的でわかりにくいのを自覚している。そもそも言語化できないものが大半なのだ。彼女を不快にしたかもしれない。そう思ったが、レムリナはくすりと小さく笑みをこぼした。
「いいえ。嬉しいわ」
「でも」
彼女は顔を地球へ向ける。いつだって、レムリナ姫はたった一人で青い星を眺めている。
「空も海も飛べない、歩くこともできない鳥はどうしたら自由になれるのかしら」
この部屋は、宇宙で一番静かで寂しい場所かもしれない。だからだろう。この部屋で過ごす時間が落ち着くとスレインが感じるのは。
「レムリナ姫。少し、お部屋の外へお付き合いしていただけませんか?」
レムリナが顔を向ける。不思議そうな表情に、好奇心が現れている。スレインは、自身の唇に人差し指をそっと当てた。
「本当はいけないことなので、誰にも内緒にしてくださいね」
「あら」
肩をすくめ、悪戯っぽい上目遣いでレムリナは笑う。彼女も自身の人差し指を唇に寄せる。
「秘密ですね?」
「はい」
彼女の後ろへ周り、車椅子のハンドルを握る。部屋の扉を開く前、レムリナが顔を振り向かせ聞いた。
「どこへ行くのです?」
スレインは少し屈んで笑いかける。桃色の髪が柔らかく香った。
「姫様の空を、一緒に飛びましょう」
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