面会室の伊奈帆とスレインー夢の話ー
- μ
- 5月19日
- 読了時間: 4分
「最近、夢を見た?」
コツン。白のポーン。
コツン。黒のポーン。
「フロイトか?」
「いや、変な夢を見たから」
「見たから?」
コツン。キャスリングにより白のルークがf1へ。
「聞いてほしくて」
会話の枕詞か、とスレインは小さく微笑む。チェスの合間のいつもの雑談。当初はたどたどしいと言ってもいいほど、あまりに言葉足らずな話出しだったことを思い出す。
成長、と言っていいかはわからないが、彼のこういう変化は自分にとっては好ましい。
「僕は、夢は見ない。昔から」
「そうなんだ」
「それで君は、どんな夢を?」
「転校生なんだ」
は?とスレインは疑問符とと共に口を大きく開く。
「転校生?」
「君が」
「僕が?」
うん、と伊奈帆が頷く。ハンドジェスチャーを交え彼は話を続ける。
「雨の日の交差点でぶつかって。巨大な蝙蝠傘が吹っ飛んだ」
「傘?巨大って、どのくらい?」
「キャンプで使うテントくらい」
「大きいな」
「ファミリーサイズ」
「夢とはいえ、大きすぎないか?」
「冗談だよ。紳士用の丈夫なやつ」
冗談が言えたか、とスレインは軽くいなす。こんな話をよく無表情でできるな、とある意味で感心しつつ。
「それで?」
「登校すると、教室にクラスメイトがいる」
「ふうん」
「韻子、カーム、ニーナ」
「デューカリオンの人たちか。ライエさんは?」
「もちろんいる。それに起助」
「その人は?」
「友だち。戦闘で死んだ」
「……そうか」
「これは君のせいじゃない」
「……気づかいはいらないが。でも、わかった」
スレインは駒を動かす。黒のポーンがd3へ。
「ここから先が面白くてね。アセイラム姫もいる。なぜかエデルリッゾさんも」
「へえ」
白のポーンがh7へと前進。
「で、担任の先生が軌道騎士。金髪で、ステッキを持っている」
「クルーテオ伯爵?会ったことあったか?」
「データ収集の過程でプロフィールは知っている」
「へえ」
「僕が倒した軌道騎士たちも出てきて」
d2。黒のポーン。
「誰だ?」
「トラルラン先輩。フェミーアン先輩。ザーツバルム校長」
「ええ!?」
思わず椅子から立ち上がり、スレインの手元のピースが床に落ちる。
「で、君はトリルラン先輩にパシられて購買に焼きそばパンを買いに行く」
「パシられる?コウバイ?」
「先輩に言いつけられて売店にパンを買いに行くことをパシられるという。学生用語だよ」
「ふうん」
床のビショップとルークを拾い上げるためスレインは屈む。
「知らないの?」
「何が?」
「昼休みの購買は戦場だ」
「何を大袈裟な」
「君は焼きそばパンを買えず」
「買えないのか」
「落ち込んでいるところに、アセイラム姫が通りがかる」
がば、と勢いよく身体を起こし、スレインの肘がテーブルにガンと当たった。
「なんだって!?そのへん詳しく教えろ」
「なんて綺麗な人なんだろう、って君は言う」
「そんな恐れ多いことを姫様に直接!?」
「いや。心の声」
「なんだ、心の声か……」
「あのさ、痛くないの?すごい音がしたけど」
「別に。ちょっと痺れるくらい」
「それはファニーボーン現象といって」
「その話はまた今度。その後は?」
「さっきの綺麗な人発言は、別にいいんだ?」
「姫様がお美しいのはまごう事なき事実だろうが。それより、讃える語彙が少ないのが不満だ。君の夢だからか?」
白のルーク。
「ケンカ売ってる?」
「続きが気になるから引き下がろう。で?」
黒のビショップ。
「焼きそばパンの代わりに、アセイラム姫にコロッケパンをもらう」
コツン。白のポーンがh8。プロモーションでクイーンに。
「……ああ、なるほど」
スレインは納得、という表情でチェス盤の横に視線を送った。透明ビニールで包装された惣菜パンが、畳んだエコバッグと水筒、紙コップに寄せてちょこんと二つ並んでいる。
「前置きが長いな。界塚伊奈帆」
「でも、わかりやすいでしょ?」
「そうかもな」
伊奈帆が水筒の蓋を開き、紙コップに中身を注ぐ。珍しく紅茶だ。花めいた香りが湯気とともにふわりと広がる。
「いただきます」
「召し上がれ」
ピリ、と袋を開けて、一口目を頬張る。
「学校って、行ったことないな。アセイラム姫もそうだ」
「そうなんだ」
僕は夢を見ないけど、とスレインは呟き。
「そんな夢なら、見てみたい」
食べかけのコロッケパンを片手に笑った。
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