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面会室の伊奈帆とスレインーモルフォの翅ー

  • 執筆者の写真: μ
    μ
  • 5月19日
  • 読了時間: 2分

初期配置のチェスボード。黒のポーンがe5へ。

「生きた宝石と呼ばれるほど、世界で一番美しい蝶」

「その色は、構造色なんだ」

 白のポーン、e4。

「構造色?」

 黒のポーン、h5。

「たとえば、シャボン玉とか。羽の表面の鱗粉で光の干渉が起きるんだ」

 白のビショップがc4。

「青い色素があるんじゃない。青い色は、分光による発光現象だ」

 黒のビショップ。c5。

「それは、青い色素があるのと何がどう違うんだ?」

 白のナイト。f3。

「水に濡れると違う色に見えるってこと」

「へえ」

「君の番」

「ああ」

 黒のビショップ。d4。

「……ある地域では、願いを叶える蝶だとされます」

 蝶を捕まえて、願いをかけて空に放すと神様に願いを届けてくれる。

「青い鳥のようですね。でも、モルフォはそんなに儚い存在ではありません」

「幼虫は毒を持つマメ科の植物を食べて成長し、体内に毒を蓄えている」

 g5。白のナイト。

「成虫は、菌類や動物の腐乱死体を食物にします」

 黒のナイトがh6。

「標本にする時には、体液で構造色を損なうために腹部を除去する」

 白のポーンがh3。

「モルフォはギリシア語で美。美の女神アフロディテを形容する言葉でもあるのです」

 黒のクイーン。g5のナイトを撃ち取る。

「君の答えは?界塚伊奈帆」

 しん、と束の間音が消える。スレインの目が、光を宿してこちらを見据える。瞬きの際、頬に落ちる睫毛の影の微動さえ凝視できる間柄の張り詰めた緊張感。そういうものに心地よさを感じる自分にふと気づく。

 伊奈帆は発する言葉を喉に並べ、ボードに右の手を伸ばす。

「光があるから美しい、かな。君は?」

 白のポーンをd3へ。スレインは小さく頷き唇を開く。

「毒と屍肉を収めた腹部を暴かれて、死んでもなお、美しさを求められる」

 スレインの指が、黒のクイーンをg6へと後退させる。

「哀れだが、それが美しい」

 白のビショップ、h6のチェスメンを奪う。

「君が好きなのは?スレイン・トロイヤード」

「……君の言葉を借りるなら」

 スレインは左右非対称に口角を上げ、視線を盤上から外した。

「水に濡れた生きたモルフォだ」

 ボードの外に、首の落ちた白と黒のナイトが一対。

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