面会室の伊奈帆とスレインーKG-6スレイプニールー
- μ
- 5月19日
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「八本脚で空を駆ける神馬か」
紙コップを口から離し、スレインがくくっと笑う。
「学生の練習機に、大仰なことだな」
言いながら、個包装の甘い菓子をつまむ。傍に退けられた盤上にチェスメンはない。
「人気あったよ。北欧神話」
「だろうな。オーディンは強い」
対局後の雑談。市販の袋菓子にペットボトルのドリンク。学生の放課のような取り合わせから、兵科教練の話になった。KG-6というオレンジ色の練習機の俗称についてのスレインの感想が先のもの。
「君は、北欧神話で好きな話はあるのか?界塚伊奈帆」
「好きな話か……。僕は一通り読んだことがあるくらいだけど」
伊奈帆も菓子を一つ取り、ペリ、とギザギザ部分を割いて開ける。ホワイトチョコでコーティングされた、巨大なマカロニのような形状。二口で食べ切り、そして答える。
「知恵比べのところかな」
スレインが片眉を上げた。親指と人差し指で持った未開封の菓子を軽く振る。帆船のレリーフが成形されたチョコレート菓子。
「ミーミルの泉で片目を差し出すところではないのか?」
「ばれたか。実はそこが好きだなんだ」
「君らしい」
伊奈帆は肩をすくめ、スレインは菓子を口へ放り込んだ。
「君は?スレイン・トロイヤード」
ごくん、と喉仏が上下したタイミングで聞く。スレインは飲み物を口へと運び、うーん、と唸った。
「やはり、オーディンの話だな。君に言うのは少し癪だが」
スレイプニールを駆る隻眼の男。しかも、先の大戦のエースパイロットであり、ある意味では戦争を終わらせた男。界塚伊奈帆を軍神オーディンと重ね合わせてしまうのは、ある意味では仕方がないのだろう。伊奈帆自身もスレインも、そして、その他大勢も。軍内でも、戯れもしくは変な憧憬を込めて呼ばれることがある。
引き寄せた紙コップにドリンクを注ぎ足しながら伊奈帆は問う。
「やっぱり、さっきのところ?」
「違う。世界樹で首を吊るところ」
「ああ。ルーン文字のところか」
スレインが、差し出されたコップを受け取った。
「占いに興味は?」
「朝の星座占いくらい」
「朝の?」
「テレビでやってる星座占い。順位とコメントが簡単にわかるよ。僕の今日のラッキーアイテムはモバイルバッテリー」
スレインが怪訝な顔で机の上を人差し指でトン、と叩く。
「それはラッキーアイテムというか、必需品じゃないか?」
「信憑性はあまりない。暇つぶしだよ」
ふうん、とスレインはドリンクを煽り甘いな、と呟く。市販の紅茶飲料で、伊奈帆からすれば少し物足りないくらいの甘味だ。
「タロット占いは?」
「カード占いってことと、カードの種類くらいは」
「12のカード」
「吊るされた男だっけ?」
「そう。ハングドマン」
木の枝に逆さ吊りになった男のイラストカード。意味は正位置では、忍耐、努力、試練など。逆位置は痩せ我慢、投げやり、自暴自棄。だったか。
「オーディンをモチーフにしたカードだ」
スレインが頬杖をつく。ペンダントの鎖が天井灯をきらりと照り返した。
「その次のカードを知っているか?」
「死神?」
そう、と彼は顎で頷く。もう一方の手の平が翻り天を向く。
「死刑囚と訳する文化も存在するが」
白い手のひら。端くれだった指の一つ一つがスローモーションに閉じられやがて言葉が現れる。
「反逆者、がしっくりくる。僕としては」
見えない何かを掴んでいるかのようなその手を凝視する。もしもそこに、吊るされた男の足から伸びたロープがあるなら。
この死神めいた骨ばった手は、そのロープを切るのだろうか。それとも。
ククッと喉で笑う声にはっとする。
「僕が君を、オレンジ色と呼ぶ日が再び来るのだとすればな」
ぱっ、と開いた。マジシャンめいた動きで、その手が伊奈帆へ向けられた。
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