番外編:撮影スタジオの伊奈帆とスレイン
- μ

- 5月19日
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前もあったな。こういうの。
「うーん、もうちょっと左!寄って下さーい」
「髪直しますー」
「光が強すぎるか?レフ版の位置変えよう」
慌ただしい眼前に懐かしさを覚えつつ、スレイン・トロイヤードはちらりと右に目をやった。界塚伊奈帆の横顔。眼帯のため表情はよくわからないが、少なくとも楽しそう、とか絶好調、とかいう感じではない。
「おい、界塚伊奈帆」
「なんだ。スレイン・トロイヤード」
「不機嫌そうだな」
「別に」
撮影スタジオで、白いクロスのテーブルに二人並んで様々な要求に応じている状況。
「覚えてるか?ほら、クリスマスの」
「うん」
「マフラーを」
「うん。あれ、大変だった」
「色んな意味でな」
ここは不思議な場所だ。現実感はあるが、僕らの現実ではない。少し違うか。僕らの生きる世界とは違う現実。僕らはここに来ると、多くのことを知ってしまう。
「スレインくん、机にぺた、ってやってみて」
「はい」
「あ、こっちがいいな。そのまま、指を綺麗に見せられる?」
「こうですか?」
「すてき!そのまま!」
僕らの世界は、数えきれない世界の一つでしかなくて、僕らより高位の存在が、僕らの世界を創り出す。
「伊奈帆くん表情硬いよ〜、もっと柔らかく」
「はい」
「にこっ、て笑って。……手を組んでみて!ほら、笑顔笑顔!」
「はい」
「上目遣いで!もっと可愛く!」
「?はい」
くすりと笑みが漏れる。ここに来ると、忘れていたことを思い出す。僕らの現実が、彼らの世界に存在する数限りない創作物の一つであり、僕らは生み出されたキャラクターであると。
「……よし!伊奈帆くんそのまま!一ミリも動かないでね!」
「はい」
時々こうして呼び出されては宣伝活動をする。例えば雑誌の描き下ろし。どこかの誰かの暇つぶしの一ページのため。
「スレインくん、視線、横に欲しいな」
「こうですか?」
「きゃー!そう!」
パシャパシャパシャ、とシャッター音。音も光も、温度も匂いも、僕らの世界と比較にならないほどに重層的でくらくらする。
「いいね〜!これは見た人喜ぶよ!」
画像を確認し、嬉しそうな声が次々と上がる。その中の一つが耳に届く。
「やっと平和になった、って感じがしますね!」
そうかもしれない、と隣を見ると、目が合った。僕らは顔を見合わせ小さく笑う。
「良かったよね」
「ああ。……僕は幸せだ」
この声が、思いが届くといい。僕らに続きをくれた、神にも等しいその存在に。



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