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BLUE MOON_03

  • 執筆者の写真: μ
    μ
  • 2025年6月19日
  • 読了時間: 8分

Drowning

 

ところで、月光による自分の影をみつめているとそのなかに生物の気配があらわれてくる。それは月光が平行光線であるため、砂に写った影が、自分の形と等しいということがあるが、しかしそんなことはわかり切った話だ。その影も短いのがいい。一尺二尺ぐらいのがいいと思う。そして静止している方が精神が統一されていいが、影は少し揺れ動く方がいいのだ。自分が行ったり戻ったり立ちどまったりしていたのはそのためだ。

——梶井基次郎「Kの昇天」

 

 

「あ、こんばんは」

「こんばんは」

 伊奈帆の来店に、商品棚を整理していた青年が笑顔を見せた。隣に住んでいるネコ顔美人。今日はエプロンの下にネイビーのシャツ。襟元の第二ボタンが取れていて、華奢な鎖骨が覗いていた。

「来てくれたんですね。嬉しいです」

 つり目が親しげに丸くなる。時刻は午前一時半。こんな時間に営業している飲食店は、第6区のみ。他のエリアでは営業禁止時間である。それにそもそも、富裕層の人々は月の中を出歩かない。仕事もレジャーも自室で事足りる。出歩くことがあるとすれば、星間旅行のためにスペース・ポートへ行く時だ。

「通り道だから」

 彼はカウンターの内側に移動した。伊奈帆はメニュー表を眺める。

「何にします?」

「じゃあ、……パンプキン・スパイス・ラテのホットをトールで。ホイップクリーム、ホワイトモカシロップトッピングでお願いします」

「はい。パンプキン・スパイス・ラテのホットをトールで。ホイップクリーム、ホワイトモカシロップトッピングですね。お席でお待ちください」

 上手く注文出来たみたいだ。伊奈帆にとって、第6区の、こういった不便で古臭いところは好ましい。豆からひいたコーヒーを、手作業でカスタマイズする。ボタン一つで即座に配給されるよりも、生が強く〝におう〟のだ。

 アイボリーのカーテンロールが下りた窓際席に伊奈帆は座った。義眼モードをオフにしぼうっとしてみる。することがないと時間が長く感じるが、今は仕事の時間じゃない。

「お待たせしました」

 声に瞼を開き、テーブルに置かれたトレイを見る。

「これ……」

 カップの横に、パラフィン紙に置かれた焼き菓子が二つ。コウモリ型のジンジャークッキー。

 顔を見上げると、彼は人差し指を唇に当て、片目をぱちりと開閉した。

「サービスするっていいましたよね。お隣さんのよしみです」

「いいのかな。ありがとう」

 ウインクって初めて見た。なかなかの威力。からかい上手なのか天然なのか。それとも……。

「ここ、座ってもいいですか?」

「どうぞ」

 する、と二人掛けのもう一方に腰を下ろす。考えるより前につい「どうぞ」と言ってしまった。脈拍が速く、動揺している自分を発見。珍しいことだ。

「名前を聞いても?」

 向かいに座る彼が、少し身を乗り出して聞いた。そういえば、と彼の名前を知らないことに思い至る。

「界塚伊奈帆。君は?」

「スレインです」

 開拓移民は、元は地球の科学者もしくは労働者。第6区の月生まれには、ファミリーネームを持たない住民が多いのだ。彼もそういう一人だろう。

「界塚さんって、何歳なんですか?僕は十七です」

「伊奈帆でいいよ。十七。同い年」

「ええ? 本当ですか?」

「どっちの意味で言ってるの? それ」

「もっと下に見えました。十五歳くらい」

 嘘は言っていないし、どちらかと言えば事実は逆だ。十七は所持している身分証の年齢。星間移動中の凍眠時間を除くとそのくらいではあるが、実際の年齢は倍以上である。

「君、天然だって言われるだろう。悪い意味で」

 エレガントな見た目の割に、わりとずけずけ物を言う。変なやつ、と少し思うが、向こうも同じ心地だろう。

伊奈帆はドリンクを啜った。ほどよく温かく甘い。クッキーを口へ運ぶ。ちゃんとしたクッキーだ。味わい深くて優しい甘さ。ピリッとしたスパイスも本物っぽい。このような技術が残っているのは、第6区だけだろう。

「何か話さないの?」

 伊奈帆は聞いた。スレインは、仕事に戻るでもなく、何も言わずにずっと前に座っている。話があるからそこにいるのだと思ったが。

「伊奈帆の話が聞きたいです」

「僕?」

 スレインは頷く。唇がVの字に近い形にきゅ、と引かれ、そして開く。

「どこで生まれて、どんな風に育ったとか。好きなものや嫌いなもの。一番の思い出とか」

「典型的なデートの会話だ」

 伊奈帆がそう返すと、スレインは髪を耳にかけ、うっそり笑い首を傾げた。

「デートします? 僕と」

「ぶっ」

 どきっとする仕草と言葉に飲みかけたドリンクを吹き出しそうになる。息を吸うと気管に入ってごほごほ噎せた。

「ふふっ。冗談半分です」

「え? は、半分?」

「あ、お客さん」

 スレインは立ち上がる。入店したカップルに挨拶を送り、エプロンの裾を直し立ち去る寸前。

「じゃあ、また。伊奈帆」

 と、またウインク。鮮やかな去り際を、伊奈帆はただただ見送ってしまった。

 

 

 裏路地で仰向けの死体を見下ろす。

「首筋に赤い傷。大量出血。所々の白い砂」

 鞠戸がウォッチを操作して、光学モニタが表示される。現場の状況を一通り確認し、伊奈帆は口を開く。

「咬傷ですね」

「同じ手口だ」

 いつもの休憩室での雑談中、事件の報告があった。第6区ウエスト89―1で変死体が発見された。現場に血痕は無し。首筋に傷。コード:ヴァンバイアだ。伊奈帆は鞠戸に連れ立って、初めて現場を訪れていた。

「ここから、血液を抜き出して?」

 鞠戸は肩を竦める。

「夜な夜な血を吸い漁るドラキュラか。大昔のオカルトだ。捜査するのもうんざりだぜ」

 首筋に赤い穴。二ヶ月で七人。この頻度の他殺は、こと月において百年単位で前代未聞だ。彼の立場からしたら、上を下へと、何かと煩わしいのだろう。

伊奈帆は被害者の左側にしゃがみ、マスクを取って首筋に顔を近づけた。

「界塚。何か気付いたか?」

「はい」

 伊奈帆は被害者の傷痕近くを指で示す。

「ここの匂い。嗅いでください」

 鞠戸はげえっと声に出し、オーバーアクションで一歩後ろに後退る。しかしすぐに首を振り、彼はマスクを外してしゃがんだ。

「まじかよ……。ん?」

 匂いは調書に記録されない。現場で初めて得る生身の人間が嗅ぐ〝におい〟という情報。鞠戸は伊奈帆を振り返る。

「なんだ? このいい匂い」

 そう。血なまぐさい殺害現場に場違いな香りが残っている。伊奈帆は答える。

「花ですね。香水などの精製したものではなく、おそらく生花」

「おいおい。月に花なんか、あるわけないだろ」

 鞠戸が言いながら立ち上がる。伊奈帆は彼に光学モニタでたった今検索した図表を示す。

「いえ。ここ数年、火星からの輸入品目にあります。主に企業や団体の式典用として取り扱われていて、民間には卸せていませんが」

「ということは、犯人はその流通ルートのどこかにいるってことか?」

「管理業者をあたりますか?」

「そうだな……」

 鞠戸は顎に手を当てしばし逡巡。やがて彼は首を振る。

「俺がやる。そのデータ送れ。お前は、囮捜査を続ければいい」

 

 

 深夜のコーヒーは眠れなくなる、という話だが、そもそも眠る時間を夜に設定する必要はない。特に連絡員は、不規則な入眠と覚醒を強いられる。だから、いつ何を飲んでも、特にこの程度のカフェインならば何の問題も無い。

 ……と理論武装を固めつつ、伊奈帆は深夜二時にコーヒーショップの扉を開けた。

「こんばんは、伊奈帆」

「やあ。おすすめある?」

 スレインがいた。この時間のシフトは人数が少なく、彼一人のことが多い。どの星でも、人類は朝に起き出し夜に眠る、という生活様式を頑なに守ろうとする。それは未発達な惑星ほど顕著だ。本能に刻まれた地球の名残だろうか。

「これなんか、どうです?」

 スレインが示したのは、ナッツ・フレーバーのブレンドコーヒー。液体の色は黒褐色。

「酸味が控えめであっさりしてます、香りがとてもいいですよ」

「苦い?」

 ふふっとスレインが笑った。

「うんと甘くしましょうか?」

「……いや、じゃあ、これにする」

 

 

「へえ、船で?」

「うん。プロキシマに向かう宇宙船の中で生まれたんだ」

 二人掛けのテーブル席に向かい合って雑談。すっかりいつものことになった。

「じゃあ、伊奈帆の故郷は銀河ですね」

「そういうことになるのかな」

 伊奈帆はトッピングなしのコーヒーを啜る。想像通り、苦い。しかし、想像よりも飲みやすい。というか、ちゃんと美味しく感じる。コーヒーってこんな味をしていたのか、という知見を得た。思考がクリアになる実感は成分の純度が高いからだろう。眠れなくなるのも分からないではない。

「君は? スレイン」

 スレインはうーん、と腕を組み天井を見上げた。シーリングファンが四回転。

「……あまりよく思い出せませんが、寒い場所でした。雪が降っている日をよく覚えています」

「雪……。どこの星? エンケラドゥス? エウロパ?」

 スレインは無言で微笑む。答えられない、というアンサーだ。

「月へは、どうして?」

「月の裏側を見てみたかったんです」

「月の裏側? 未開拓エリアのこと?」

 スレインはまた何も言わない。唇が描く弧は完璧に整っている。

「民間人の立ち入りは許可されていないよ。それに、何もないでしょ?」

「そうですね」

 スレインは伏し目で数度瞬いた。長い睫毛が頬に青い影を落とす。

「そう。何もなかった」

 本当か嘘か、わからない。でも、とても寂しそうな表情だった。彼の睫毛の影を見ながら、伊奈帆は、蝶と歩く白い影の印象を思い出していた。

 
 
 

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