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BLUE MOON_02

  • 執筆者の写真: μ
    μ
  • 6月19日
  • 読了時間: 7分

Lunatic

 

見ろ、あの月を。不思議な月だな。どう見ても、墓から脱け出して来た女のやう。まるで死んだ女そつくり。どう見ても、屍をあさり歩く女のやう。

——オスカーワイルド「サロメ」

 

 

〝ヴァンパイア殺人事件〟操作ファイルを表示。左眼窩のアナリティカル・エンジンからダイレクトに中脳へ送られるデータを伊奈帆は確認していく。

 ムーンバレー第6区連続変死事件の被害者は六人。二〇代~五〇代の男性。職業は違法薬取引、売春斡旋、反社会的組織活動など。殺害現場の共通点は以下の通り。

・死因は出血性ショック死。

・外傷は首筋の咬傷。

・発見は未明~明け方。

・場所は裏路地、野外トイレなど。

・衣服の乱れたものもある。

・死体の皮膚や服に白い灰が付着。

・犯人の指紋毛髪体液などは皆無。

「大量失血だが血痕はないのは、何らかの器具を用いたからか。血液の採取が目的だろうな」

 そこまで読んで、独り言ちる。自宅で、部屋着でベッドに寝転がっての姿勢。天井って、どんな場所でも変わり映えしないな、とどうでもいい思考を通り抜け、先日の鞠戸の指示を回想する。

「第6区ではちょっとした騒ぎだ。パニック寸前。月全体を巻き込んだ大騒動になる前にカタをつける」

 が、と鞠戸は腕を組む。

「お前は現地捜査に加わる必要はない。表向きはポリスではなく、地質研究所の職員だ。ほら、これが偽の身分証」

 身分証を受け取り左眼でスキャン。名前以外はてんで出鱈目なプロフィールに眉を顰める。

「どういうことですか?」

「当面、一般人として暮らせ。そんで、犯人を誘き寄せろ」

 伊奈帆は驚き絶句した。数秒のあと口を開く。

「今時、囮捜査ですか?だから住まいを第6区に?」

「古典的だが、一周回って効果的だ」

 無法地帯の第6区で囮捜査。厄介だな、という感想。これなら、地球の土壌調査に行く方が気楽だ。

「頼むぞ。界塚弟」

「伊奈帆です」

「はは。……おう、界塚。頼んだぜ」

 伊奈帆は左眼を義眼モードに切り替え、眉間を指で押さえる。

「相手も分からず囮捜査とか言われてもね……」

 被害者にしても、いまいち使命感を奮い立たせる要素に欠ける。こういうのもなんだが、自業自得。恨みつらみで殺されても不自然ではない人間たちだ。

「月で過ごすの何年振りかな。……あまり懐かしい場所でもないけど」

 とりあえず、休暇とでも思いマイペースに過ごすことにする。偽の職場に出勤するため、伊奈帆は立ち上がった。

 

 

 明け方、空が白み始める前に伊奈帆はアパートに着いた。偽の仕事はデスクワークが中心で、正直言って死ぬほど退屈。これが当面続くのか、とうんざりした気持ちでポケットから鍵を出す。それにしてもなんとういう前時代的なセキュリティだろうか。主な生活環境が宇宙船の伊奈帆にとって、第6区でのアナログな暮らしは発展途上の開拓星に滞在しているような気にさえなってくる。

鍵を回すところで、カンカンカン、と足音に気づく。伊奈帆は鍵をポケットに戻し、鞄の蓋を開き、鍵を探すふりをして待つ。

 階段を登り切って目を丸くしたのは、コーヒーショップの店員である二〇六号室の住人だ。Tシャツとジーンズの私服に、グレーのパーカーを羽織っている。アート・モデルのような端正な容姿の割に、ラフで気取らないファッションだ。

「あ、こんにちは……って時間じゃないですね。おはようございます?」

「どうも」

 会釈に会釈。彼は伊奈帆の背後を通り過ぎる。コーヒーの香りがふわりと鼻孔をくすぐった。

「あの」

「はい?」

 伊奈帆は声をかけたものの口籠る。彼の顔を見ると、シャトルの窓から見えた光景が鮮明にフラシュバック。

月の上を歩いていたの? ……なんて。聞けるわけないか。

「えっと、長いの? 月で暮らして」

 言った後でおかしな質問だと気付いたが、彼は半身を向けて頷いた。

「ええ。このアパートに住み始めたのは、つい最近ですけど」

「そうなんだ」

「貴方が越してくる、ほんのひと月くらい前です」

「へえ」

 変死事件もここひと月。瞬時に頭に浮かんだのは、彼の持つ独特の雰囲気のせいだろう。人当たりが柔らかく優しい声と表情だけれど、どことなく謎めいていて影がある。今の時点では考えすぎに違いないが、こういう直感は馬鹿にならない。

 彼は軽く首を傾げた。

「前もそうでしたが、この時間にご帰宅ですか?」

「いろいろです。昼間だったり、夜中だったり」

「そうなんですね」

 ガチャ、と隣の部屋が開く。

「またお店に来てください。あ、昼はいませんから夜に。サービスしますよ。ナイショで」

「え」

「それじゃあ。界塚さん」

 パタン、とドアは軽やかに閉じた。

 

 

 

 

 

「何か報告あるか?」

「いたって平和です」

「お前はな」

 ムーンバレー機動警察隊本部。伊奈帆は上司である鞠戸と休憩室のスタンドテーブルで斜めに向かい合っていた。鞠戸は持参したドリンクを煽る。濃度の濃い蒸留酒が強く香った。

「私生活で、変化は? 彼女とか」

「プライベートな質問は苦手です。それに、その表現は時代錯誤で問題になりますよ」

「細けえなあ。プライベートな話をするために、わざわざ休憩室で話してんだろ」

 伊奈帆は鞠戸の表情の変化を見つめたが、飄々として掴みどころがない。囮捜査と関係のあるオフレコの情報収集か。とはいうものの。

「普通に仕事場に行って、普通に帰って、普通に食事して普通に寝てます」

 特に何の収穫も無い。深夜の路地裏をわざわざ通ってみたりもしたが、薬物の取引現場一つ押さえられていない現状。

「食事って、一人でか?」

「一人です」

「ご近所づきあいは?」

「いつの時代の話ですか?それ」

 鞠戸ははあ、と息を吐き、ぽりぽりと後頭部を掻いた。

「収穫無し、か……」

 伊奈帆はここで切り出す。

「僕は、調査に加わらなくていいのですか?」

 バディだと言いながら、事件の調査はせず数日おきに鞠戸の元を訪れ、訳の分からない世間話に付き合わされる。意図があってのことだろうが、正直なところ、単調な生活に飽きてきた。そういう習性だから、星から星へと飛び回る連絡員をやっているのだ。

「囮だからな。自然に、ナチュラルに、だ」

「重複表現です」

「ほんっと細けえなあ、お前」

 鞠戸はのぞき込むようにじいっと伊奈帆を見つめた。

「どうだ? その左目」

 伊奈帆は自身の左目に手を翳す。手を透けて見える鞠戸の体温は37.1℃。ほろ酔い期。

「結構使えます」

「ふうん。不具合はないか?」

「脳が傷むので、基本は義眼モードです」

 鞠戸はスキットルのキャップを手持ち無沙汰にくるくる回した。

「今時分、どこかしら機械じゃない人間の方が珍しいっちゃ珍しいが」

 そして、両肘を机について顎に触る。無精髭がざり、と音を立てた。

「健康な眼球を取り換えるのは、俺は躊躇うな」

 伊奈帆はカップを手に持った。

「仕事ですから」

 ふうん、と鞠戸は宙を見る。そして、口籠った後こう聞いた。

「姉さん元気か?」

「次に目覚めるのは五百十八年後だそうです」

 失礼します、と休憩室を後にする。販売機の横、ダストボックスに半分残ったカップを放り込んだ。

 

 

 左目を交換したのは八歳の時だ。姉がケプラー1649cへ行くことが決まって。

「ガンバだよ、なおくん」

 そう言って旅立つ姉を止められなかった。その機を待っていたかのように、所属するサイバネティクス研究所で試作品の検体にならないか、という提案があった。眼球を模した人工知能デバイス。脳の領域を拡張し、リアルタイムで様々な情報処理が可能。伊奈帆はそれを受け入れた。

 理由は、生きるため。一人で生きていくためだ。そしてそのために、左目の交換は至極当然のことのように感じた。リハビリも検査も残酷なほど惨いものだったが、死ぬよりマシだと割り切った。便利な道具だが、脳の領域を侵略されるのは不本意だったし、万能感を得たいわけでもなかった。だから、特に命令の無い場合は義眼としてしか使っていない。

 この出来事は乳歯が生え変わるように、伊奈帆にとって自然なことだった。だから、そのことについて同情的な態度を示されるのが理解できない。収まるべきところに収まっただけなのに。しかしその感覚が一般的な人間性と乖離していることもまた理解している。

 どうして、僕の左目はこんなに僕に馴染むのだろう。おそらく前世か並行世界の自分がそういう運命だったのだろうと結論付ける。それが一番簡単だ。だって、理屈が無いのだから。

 
 
 

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