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36_虹色レイヤー#01

「理論的には可能なんだ。お金がない」
日曜日17:00。リックは、ナオキの店にいた。カウンター横のパイプ椅子で、来る途中に買ってきたウォーターボトルをカウンター内のナオキに手渡し、プロジェクトネーム「エリジウム・リバー」の現在の進捗についてつらつらーっと話している。
ナオキは時々水を飲みながら、ふんふん、ほお、おー、すげー、なるほどなー、それだ!とバリエーションに富んだ相槌をオモチツキのように返してくれるので、次から次へと言葉が出てくる。
そういや、オモチツキってイディオムでしか知らないなあ。日本の何からしいから、後でナオキに聞いてみよう。
「金がないって、いくらかかんの?」
「ざっと86億」
「リベク?」
「モニカ」
ナオキがヒュウ、と口笛を吹く。シンプルにかっこいい。レニの前ではできないけど、それ、どっかでやってみたいなあ。
「そんな金、どこの誰が持ってんだ?」
「惑星連合研究機関」
「どういうところ?」
「地球、月、火星、ガニメデ、タイタン、移民船、コロニー、衛星ステーションの10ヵ国サミット。論文と実証実験が現実可能で、リターンが見込めるならスポンサーになってくれる」
「ふーん。それ、どんだけ手間暇かかんだ?」
「大学に就職して、教授になるまで10年くらい。そこから研究チームを作って、大学から研究予算引っ張って、装置の一部を少しずつ発表していって、企業が採用するって流れ。話のわかる人がいても、ムーンバレー3層での着工はそこからさらに25年は先になる」
「35年?気がなげー話だな」
リックは頷く。ナオキは水を飲んでいる。自分と一歳違いだけれど、佇まいや所作は、5歳くらい上に感じる。
「だろ?レニと出会う前の僕は、それでいいって思ってたけど」
レニは14歳から、一人暮らしで仕事を持って暮らしてる。
ケンとエリーは、働きながら17歳で結婚する。
ナオキは自分の店を持って、用心棒としてのバーの仕事もやりながら、近所の子どもの面倒を見て食べさせている。
親がいる大学生なら、10代どころか20代前半でも、小遣いもらって遊んで暮らして、気になる子をデートに誘って、気楽な恋愛してる年齢。
「今の僕、そんなの待ってられないよ」
6区の時間の流れは、僕が思っているよりきっと、ずっと速いんだ。
「いつかの誰かじゃなくて、レニやイーストの人たちに、僕は川を見せたいんだ」
35年って、自分の暮らしの中にない。
多分、ないのと同じだ。ないもの作っても仕方ない。
「リック、毎週毎週1人でコツコツやってるもんな。休みねーだろ。体大丈夫か?」
ナオキが少し身を乗り出して聞いた。
「見ての通り健康体」
「飯食ってる?」
「学食があるから。今日はウドン食べた」
「具は?」
「えーと。タヌキって書いてあった」
「あれ美味いよな。ま、無理すんなよ」
「うん」
自分も相当忙しいはずなのに、人のことをいつも気にする。根っからアニキなんだろうな。
「低コストで水をやりくりする方法をずーっと僕は考えてる」
「ずーっと?」
「ずーっと。寝てる間も」
「本当っぽいからすげーな」
「あ、レニといる時は時々忘れる」
「そうだよな。なんか安心」
ナオキがくしゃっと笑った。へへっ、と答える。こんな時、僕、こんなに素直だっけ、と自分にびっくりしたりする。
なんか、ここに来るとほっとする。ナオキの前では、何も証明しなくていい。
ただ、いていい。
レニに似てるなあ、と思った。3歳からの幼馴染だもんな。
「月にそもそも水はないのか?」
「ある」
「どこ?」
「極地と裏側。土壌と鉱物」
「ふーん。土掘るのか?」
「掘ったところで水脈はないんだ」
「詰んでね?」
「判明していることだけならね」
「お?なんか逆転ある?」

モリーは歌う。
アメは対話する。

「僕、不思議に思うことがあって」

ラピは泣く。
ーーその水は、どこから?

「ジェンのラピ。涙を流す。その水って、どこから発生しているんだろうか?」
「言われてみれば不思議だな」
「確かに、粘土鉱物、雲母、角閃石、などはHOを含有している。けれど、液体の状態ではない」
「ラピちゃんって、ラピスラズリと、なんだっけ?」
「水晶。エンハイドロ・クォーツだと思う」
「エンハイドロ?なんだそれ?」
「成長する過程で、地下水や熱水を取り込んだ水晶。水そのものが入ってる」
「ふーん。でも、それって限りがあるんじゃね?」
「それも、そもそも水分として表出しない」
ナオキが頷く。口元がぐい、と結ばれ、視線が斜め上に向いた。
「だよなー。フローラもそう。フローライトは、加熱しないと光らんぜ」
「そう。ジュエレッタは、鉱物特性とテクノロジーの閾値を超越してる」
歌う。
話す。
走る。
笑う。
AI搭載のアンドロイドなら、そのくらいは普通にできる。
しかし。
「涙。自律発光。これらは、鉱物の特性だけでは説明できない」
アメの声が蘇る。淡々とした声。カテゴリは"riddle"

『ジュエレッタは、何から生まれた?』
問いかけたのは、僕だった。

『イシ』
『ヒトノイシ』
問いに、問いが返ってきた。

「ヒトノイシ」
「人の意思?」
リックはふう、と息を大きく吐いて首を振る。
「わからない。ラジィのアメが言っていた」
「どういう意味?」
「ジュエレッタは、何から生まれたか。その返事」
「ふうん。なぞなぞだな」
「そう。なぞなぞなんだ」
あれから、ふっと頭を過ぎるこのなぞなぞ。役に立つかはわからない。だから、思考の優先順位の下の方に位置付けているけれど。

「なぞなぞには、必ず答えがある」

答えは、絶対にある。精神論や哲学みたいなものじゃなく、科学的で現実的な答えが。

「ナオキ」
「ん?」
そうだ。解けない謎は置いといて、今日はこれを聞いとかないと。
「ライカと付き合ってるの?」
「おう」
あ、即答。くしゃっと笑った。へえ、そっか。
なんか安心。
「大学のライカ、雰囲気ほんわかしてるよ」
「ははっ。そっか」
「二人で何話すの?」
「なんだろなー。思いついたこと適当」
「へえ」
「よく電話してる。話おもしれーし、一緒にいると楽しいよ」
僕らって、そこそこ緊張する関係性だと思うのだけど、こういうことをわだかまりなく話せるのってどうしてだろう。
「うん。二人とも、なんか楽しそう」
「そうだな。幸せだよ」
あ、そういうところだ。
ナオキは、なんというか、値踏みしない。過去の出来事とか、他人の満足とか、そういうのと、自分の今の幸せをごっちゃにしない。
人が幸せそうなら、良かったなあ。
そうじゃないなら、そっと横から手を伸ばして、支える。
それで、いつも損を被ってばかりに見えるけど、あっけらかんと笑ってる。
すごいなあ。僕も、そういう男になりたい。
リックは椅子から立ち上がる。すっかり話し込んでしまった。
「帰るよ。スーツありがとう」
ナオキがパチ、とウインクした。利き目は右なんだな。
「必要な時、いつでもどうぞ」
「ありがとう。……もう子どもじゃないし、自分のスーツ買わなきゃなあ」

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