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未来の話を君としよう

  • 執筆者の写真: μ
    μ
  • 5月19日
  • 読了時間: 8分

一体、何度目だ?


「お届けでーす」

「はぁーい」

 部屋の一角、布張りのソファに腰掛けたスレインは、パーテーションの隙間から見える出入り口に目をやった。緑と黄色のユニフォーム姿の作業員が、なにやら大きな段ボールを、社員らしき人間に手渡している。

壁掛け時計を見ると、時刻は午後二時。この場所で二時間ほどを過ごす間に、様々な制服の配達員が次から次へと荷物を持ってやってくる。

「スレインくん、お茶のおかわりどうですか?」

 ひょこっ、と壁から顔を出した女性社員が、言いつつステンレス製のポットを持ち上げる。

「スレインくん、お菓子食べる?」

「スレインくん、寒くない?膝掛け使う?」

「スレインくん、暇だよね? タブレット使う?」

 ひょこひょこひょこっ、と新たに三人現れた。その後ろにも、様子を伺う老若男女の社員たちがずらりと見えて、スレインは胸のあたりに両手を持ち上げた控えめなホールドアップで首を振る。

「いえ、その、……お構いなく」

「そうですか? 足りないものがあったら言ってください」

 眼鏡をかけた年嵩の男性が丁寧な口調でいいつつ、一度背後を振り返る。

「もうすぐ、来ると思うんで」

 それじゃあ自分ら、仕事にもどりますんでと言い残し、社員たちは手を降りながら席に戻った。彼らにぎこちなく片手を振り、スレインはふう、と大きく息をつく。

 

 気がつくと、違う世界に来ていた。


 極秘施設の独房にいたはずだった。確か、雨が降っていたと思う。薄暗かったし、湿った匂いがしていたから。耳鳴りがするほど静かな部屋で、ブゥーン、とノイズ音。視界に電子の罅が入り、青い光がそこに満ちた。


 ドスン!

「うおっ⁉︎」

「人⁉︎人が‼︎」

「あれ……? えっ、ウソ……」

「待って待って、……え? これは夢?」

「マジで……?」


 目を瞑り、そして開くとそこは明るいオフィス。顔を上げると円形に距離を取り、じりじり近づく人々が。規定の制服ではない、各々バラバラのカジュアルな仕事着を着用している。日本人ばかりだ。


「えっと……、スレイン、くん……?」

「スレインくんだよね?」

「どうしてこんなところに? というか、どうして三次元に?」

「えっと、ようこそ?」


 どうして名前を知っているのか。その疑問は、彼らの背後。壁沿いに立てかけられた大きなパネルを見た途端に理解した。


 ---ALDNOAH.ZERO---


 見知った単語の並ぶロゴの背景にあるのは、目障りなオレンジ色のあの機体。


 ここは、神の世界だ。僕を生み出し、僕を生かし、僕を殺してくれなかった、創造主たちの世界。その制作現場に現界した。この世界では、僕らの世界の何もかもがただの作り話に過ぎないのだ。

 なのに。

「スレインくん、紅茶どうぞ〜」

 マグカップを盆に乗せ、また社員が現れる。いただき物の紅茶でね、とニコニコしつつローテーブルへマグを置く。ほんのり、薔薇の香りがした。

「あの……」

「あ、何ですか?」

 スレインは顔を向ける。ずっと思っていたことを口にする。

「どうして皆さん、僕に良くしてくださるんですか?」

 スレインにとっての本当の世界では、誰に石をぶつけられても文句は言えない大罪人である自分。ここの人たちは、それを知っているはずだ。なのに、どうしてこんなに優しく接してくれるのだろう。

「僕は、元いた場所でとても非道いことをしました。生きる価値のない人間だと思います」

 女性社員はぱちりと大きく瞬いた後、にっこり笑ってこう言った。

「私たち、皆貴方が好きなんですよ」

 大事な子です、貴方も、他の子たちも。

「大丈夫。貴方の事情は、私たちは何から何まで存じてますよ」

「その上で、貴方のことが好きで好きでたまらないんです」

 今日で良かった、と彼女は幸せそうに笑う。


「お届けですー」

「ご苦労さまでーす」

「今日多いっすね」

「ええ、特別な日なので」


 それにしても、今聞いているのは何度目のやり取りだろう。オフィスの空いたスペースに、届いた荷物が山となって積み上げられている。中には瑞々しい生花もある。特別な日、と聞こえたけれど、何かの行事や記念日だろうか?

 つらつらと考えていたその時、区切られた空間にぬっ、と人影が現れた。


「スレイン」


 呼び方にどきりとする。声音は全く違うのに、何故だかある特定の人物を連想した。

「やぁ、お待たせ」

 パーカーにジーンズ。細身の、若者らしい風貌は見覚えがある。面差しは以前より鋭い印象を受ける。

騎士でも軍人でもない普通の男。しかし彼こそ、僕の世界を形造る、神たる男その人だ。

「……別に、お前を待っていたわけじゃない」

 男はソファの対面に掛ける。別の社員が盆でホルダー付きの紙カップを二つ運んできた。僕らの手元にそれぞれ置いて、冷めたカップを下げて去る。

 沈黙。カップの湯気が次第に薄く、見えなくなる。向こうのカップが一度テーブルから離れ、数秒の後コトリと小さな音がした。スレインは背後に見える観葉植物の葉の形を、何とはなしにぼんやり眺める。やがて、神がこう聞いた。

「どうだい? 僕らの仕事場」

「変だ」

 即答する。男は無言で片眉を上げた。

そう、変だ。変なことばかり起こる。

 スレインは俯き胸元を握る。硬い金属の感触。ああ、ちゃんとここにある。このペンダントが、戻ってきたのは現実だ。あの男の手によって。

「こちらにきてから、変なんだ。知らないことを、知っている。記憶にないのに、匂いや味を知っている。思い出せないのに、何かを感じる」

 それは雨の匂いであり、ありふれた生活音であり、ニホンの食卓の味であり。

「これは、一体何なんだ?」

 顔を上げる。目が合うと、彼の神は微笑んだ。満足そうな、嬉しそうな表情で。

「それは、きっと未来の夢だ」

 神の両手が天を向く。手のひらが、蛍光灯を眩しく白く反射する。

「僕は、いや僕たちは。君にあげたかったんだ」

 両手は重なり指が組まれる。祈るような形の手は膝の間にそっと下がる。

「大団円ではなく、不確定な未完を」

 君を死なせる選択肢はあった、と複雑そうな表情で彼は呟く。

「でも、それは違うと思ったから。僕らは、君を……、君たちを。次元は違えど生きていると思ってしまっているからね」

 クリエイターにとって、自分の生み出したキャラクターは虚構を超える。心の空き地に住み始めると。

「今の君にとって、未来とは身に余る苦痛だろう。それを知りつつ、僕らは生かした。余地を残してあげたかった」

 未来。僕がいらない、必要ないと捨てたもの。

「作り手、創造主の筋書きではなく、無数の未来を。自分を生きる可能性を」

 物語は、まだ終わっていない。そして続きを、自分で作れと神は言う。


「お届けでーす」

「はいはいー」


 長閑な声が遠くで聞こえる。今日、何度も繰り返されたこのやり取りを、向かいに座る男は目で示す。

「あれはね、君のものだよ。スレイン 」

「僕の?」

 頷き彼は悪戯っぽく微笑んだ。

「今日は君の誕生日なんだ。こっちの世界のカレンダーでは」

 小型の端末をポケットから取り出して、机の上でこちらに向ける。スレインは首を伸ばして液晶画面の数字を見た。二〇二二年一月一一日(火)とある。暦は同じだ。しかし日付は六年後。

「君の物語を愛してくれている人たちが、毎年、君の誕生日をお祝いしてくれる」

 未来の異世界。虚構の世界の人物である自分のために、あんなに多くの贈り物を届けてくれているのか。

「君の未来を、沢山の人が願ってる」

 端末を操作し映し出された画面をこちらへ。写真だ。撮影日時は二〇二一年一月十一日(月)とある。

「君のありもしない記憶は、誰かの夢の欠片なんだ」

 菓子類や花を中心に、ギフト包装を少し解かれた品々がガラス製のカウンターに所狭しと並べられた一枚。乗り切らなかったものは小さな机に盛られている。前面には数枚のパネルが立てかけられ、そこに並ぶ面々の中、かつての自分を見つける。

「君が生きる。それを願う人は、君の世界にも確かにいる」

 優しい声で、丁寧に発声されたその言葉。一人の男が脳裏に浮かぶ。僕の敵で、目障りで、決して許せないと思う。けれど、決して憎いだけの相手ではなかった。

「それを、知っていてほしい。たとえ、元の世界に戻ったら忘れてしまうとしても」

「……忘れてしまうのなら、意味はないだろう」

 男はしてやったりと笑う。神というより、子どものままに大人になった青年の笑い方。

「君が自分で言ったじゃないか。記憶にないけど、覚えてる。感じるって」

 少し冷めた紅茶の香りが意識される。照らす光は複層的で、肌に感じる温度に軟度がある。そして聞こえる境の向こうの雑談と、配達員の呼び声と。

「それでいいんだ。夢でも、妄想でも、気のせいでもいい」

 この世界もまた、現実だ。皆生きている。目の前にいる、造物主たるこの男も。


「君は、生きてていいんだよ」


 造物主はそう言って、右手をこちらへ差し出した。ペン胼胝のできた大きな手。握ると人肌の温みがした。

「……よく分からないが、分かった」

「うん。それでいい」

 ぎゅ、と握り返す速さと力。そこにあるのは労りのように思える。

「未来は、君が決めるんだ。もう一人の主人公」


「またまたお荷物でーす」

「何度もありがとうございますー」


 二人は同時に声を見る。目が合い、男が小さく声で笑う。そして彼はこう言った。

「良かったよ。君が生きてて」

 返答に困り、スレインはカップを持ち上げ紅茶を一口ごくりと飲み込む。ほんのりと柑橘系の味がした。

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