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クロス:オーバー

  • 執筆者の写真: μ
    μ
  • 5月19日
  • 読了時間: 12分

[A/Z 9話視聴にて]


「えっと……」

 炬燵に正座。肩を竦ませて縮こまるのは軍服の少年。

「ここ、どこですか?」

 磨りガラスの引き戸。炬燵の天板の上に並んだコンビニ弁当と箸とスナック、ペットボトル。台所と居間を区切る暖簾の紺。彼の目には、この部屋の何もかもが作り物めいて見えるだろう。

「被造物?」

 鸚鵡返しはレッテル。

「つまり、僕は作り物ということですか?」

 作り物。たとえ次元が違っていても、誰もかれもがそうだと思うが。

「姫様も?」

 そんなつもりで言ったわけではないが、事実はどうにも曲げられない。俯き視線を彷徨わせる少年の心中を思う。人為的に作り出されたキャラクターの、生命の在り処はどこだろう。

「……」

 虫の羽音がする。彼はふっと顔を上げ、物珍しそうに蛍光灯に引き寄せられ焼かれる羽虫をじっと見た。あの世界では、見たこともないか。

 箸をつけていない弁当とキャップが閉じたままのお茶、密閉されて膨らんだままの袋菓子をぼんやり眺める。食べ物に関して淡白な性格設定だから、手をつけないのも当然か、と少し胸が痛む。この子にとっては、自分に関わることの何もかもがどうでもいいのだ。唯一の心の拠り所。ただそれだけしか与えられていない。与えていない。その方が、物語が上手くいくからだ。

 酷いことをしているのかもしれない。

「あの……。僕、戻りたいんです」

 華奢で気弱そうな外見に反する強い声。レコーディングしたわけではない。今、彼が発した音声。強い子なんだ。本当に。しかし折れた。

「ここには、アセイラム姫がいないから」

 そういう人物像に設定した。周りはみんな敵で、虐げられて心が折れて、彼の命を繋ぐ唯一の心の拠り所はヒロインだと。

 しかし。この先。

「どうして迷うんです?」

 だって、あの世界は。

 少年は困り眉で笑った。その笑顔。何度も修正して煮詰めてできたその表情。思い描いたその通りであるというのに、どうしてだろう。泣きたい気持ちになるのは。

「貴方の言う通り、ここには暴力も差別も、空腹も冷たい海もないけれど」

 彼の輪郭が曖昧になる。電子ノイズの横線が不規則に忙しなく点滅する。

 還る。いや、消える。

 スレイン・トロイヤードは立ち上がり一礼した。無駄のない美しい所作だ。

「姫様のいない世界は、僕の生きる場所ではない」

さようなら、と冬の和室に空耳の残響。

[newpage]

[A/Z 13話視聴にて]


 窓の外に放り投げたディスプレイから、バカでかいロボットがにゅうるりと飛び出した。

「……ここは。……ああ」

 駆け付けた先、コックピットがパカリと開きハッチをよじ登った人物は周囲を見渡し先ほどの言葉を口にした。立ち上がり、灰服の短い燕尾が夜風に靡く。電線も電柱も奇跡的に無傷。巨大ロボットは跪く姿勢で片膝に大地の草木をなぎ倒している。

「貴方は、僕の神ですね」

 月の形は真円だ。僕の世界と違う歴史を歩んだ世界の住人である彼の目には、この月はなんと見えるだろう。

「言いたいことは色々とありますが、まず礼を」

 彼はコックピットハッチに直立し、涼やかな声でそう言い優雅極まりない礼をした。設定の通りの動きと角度。少女の心を盗む優美な一礼を。金髪が月光に冴え夜風に踊る。クイーンを戴き守るナイトの姿に相違ない。

「アセイラム姫を、貴方は生かした」

 妖艶さを含む笑み。穏やかで優しげでありながら、不吉な影が目に宿る。舞うように手を翻し、白い素手に銀の光沢。

「そして、報復を」

 銃声。煙の臭い。痺れ竦む足。鼻先を掠めた銃弾は地面にめり込み穴を穿つ。細い煙が足元で消えた。

 見上げた白皙に表情は無い。能面か、死体か、まさに絵に描いたキャラクターの作り物めいた徹底した無表情の顔貌。

 風が吹く。吹く。青く翳る純白の機体は翼を畳んだ鳥のようだ。その上に月を背後に立つ青年の頭髪が獅子めいて逆立つ。

「冗談です。貴方を殺しはしない」

 スレイン・トロイヤードは笑った。一期のような幼さと儚さで。

「アセイラム姫を、どうか殺さないで」

 そうして消える。跡形もなくプツリと、テレビの電源を人差し指で押す呆気なさで。

[newpage]

[A/Z 21話視聴にて]


 やばい。

 冷汗が点字ブロックの黄色に落ちた。線路跨いだ駅のホームの向こうとこちら。互いを認めて時が止まる。

「貴様……」

 誰もいない終電の無人駅にて、被造物と創造主は向かい合う。面差しは随分変わった。いや、変えた。そう。描いた通りの怒りの線。険しい表情は液晶に写し出されるそのままだ。深夜の寂れたホームに佇む彼の纏う赤い服。切れかけた電灯の明かりが色彩の濃淡を重層に描く。想像通りのデザインと質感だ。このキャラクターによく似合う。当たり前か。元々、彼の為のデザインだ。

 静寂。風もない。仁王立ちで佇む彼の足元が気になる。寒々しい影を落とすブーツの踵。こんなだったか。彼の足は。彼の足はこれほどに強く地を踏みしめ立つのか。世界に。地球に。この次元にさえ。

 遮断機は沈黙し、線路の枕木は夜露を纏い眠りにつく。

「……できることなら、今お前を殺してやりたい」

 重く低く、大気を揺らし夜の底まで沈む声。すごい声だ。すごい圧だ。借り物の声であろうとも、生命があり、意思があり、そして願いがそこにある。彼が背負ったもの。僕らが背負わせたもの。その重さに押しつぶされそうになる。

「神だと? お前はただの人だ。この外道」

 こちらを見据える眼光の碧。そう。この色と形に、どれほどの心血を注いだか。瞳孔のない、剥奪された彼の視点。今の、いや、これまでの彼の目は、何も見てはいなかった。いや、違う。見る事をやめ、瞳孔は消えた。揺らぎを止めた。そういう設定だから。

 設定でも、真実には変わりない。

「まだ、お前を殺さない」

 彼は天を仰ぎ、そして体が光を纏う。生身がデジタルに。赤が青に。立体が平面に。三次が二次に。

 また消える。待ってくれ。しかし届くわけもない。線路二つ分。伸ばした手は宙を搔いた。

 スレイン・ザーツバルム・トロイヤードは踵を返し背中を向けて。

「物語は、まだ終わってはいないのだから」

 そうして消えた。残るのは夜の空気の生温かさだけ。彼が実存した形跡は今やどこにも無い。

[newpage]

[Inherit the Stars]


 鳥は鳥でも、カラスでは。朝焼けの中けたたましいカラスの羽音と慟哭と。今の状況に際して、三千世界の鴉を殺し、という文句は耽美に過ぎるだろうか。

「……」

 眼前には、どこもかしこも薄い青年がひとり。色彩も、明度も、身体の厚みも魂の密度も、具体物としての重層さも。彼は薄青の半袖から伸びる白い腕をだらりと下げ、夢遊病者のようなちぐはぐな表情で僕の前に現れた。そして前に転んだ。身を起こすのにかかった時間は、手助けしようかと五回考え直すくらい。結局、彼は縺れる手足を緩慢に動かして胡坐をかいて猫背になった。そして。

「どうして僕を殺さなかった」

 そう言ったきり、口を閉ざして空を見つめた。彼の視線の先、曇天の灰色に恨み言が募る。できることなら、青空であればよかった。天井のない場所で、この世界の美しいスカイブルーを。彼の歩んだシナリオを創造した自分の立場を思えば、勝手極まりない感情の持ちようではあるが。

 電線のカラスらが審判者のように見下ろす路地で、彼と僕は空を見る。色彩の乏しいリアルの空を。

「どうして、殺してくれない?」

 言葉が懇願に変わった。声は抑揚なく、より機械的で事務的に。生身の肉体で現界していても、彼の世界は作り物だと。星の数ほどもある、産まれ出ずる瞬間から終焉を内包するアニメのキャラクターであると。今の彼は、見た人にそう認知されるかもしれない。こんなにも儚く、これほどまでに美しければ。

 スレイン・トロイヤードという少年。あの世界で、最も最初に形を成した人物像。その始まりから終わりまで、僕は全てを知っている。僕らが設定し、描き、動かし、声を吹き込み、構築した。彼の物語、アルドノア・ゼロというアニメーションを。

 確かに作り物だが、僕らは死ぬ気で作ったんだ。

 首筋に垂れる少し伸びた髪。……いや、時間の経過を知らしめるために設定した髪の長さ。彼は地を見て、その灰金の前髪が目を覆う。ああ、勿体ないな。あの目は常に視聴者に見えてないと。

 ここにいる視聴者は、僕だけか。

「スレイン」

 被造物の彼は弾かれたように創造主に向き直り、彼の神を凝視した。伸びた前髪の隙間から瞳孔の無い虹彩の焦点をミクロの精度で固定して。

「君の未来は、たとえ見えなくても無いわけではない」

 彼の世界のあと数日。僕らの世界の数分で、彼は知る。彼への願いを。言葉を。僕の設定したメッセンジャーから。

 願わくば。どうか。

「生きている。それがいつか、君の救いとなることを願う」

 作り手としてではなく、君の物語を知るひとりの人として。

[newpage]

[ある世における神と英雄または愚者]


「見てごらん」

 パソコンモニタに表示された数枚の写真画像をマウスカーソルが通過しクリック。 拡大された一枚は、パソコンが並ぶ室内とガラスの仕切り。手前には青年にとって見覚えのありすぎる人物の、見慣れぬ出で立ちのパネルが二種類。ガラスケースに所狭しと並ぶフィギュアモデルと書籍等。

「今年も、たくさん届いたんだ」

 彼は隣の男を一瞥し、自分の父はどんな男だったろうかと思う。設定が存在しているのかも知らない。名前くらいはあるのだろうか。いや、無いかもしれない。僕らの物語にその名は必要なかったろうから。

「最終話から、もう四年以上経つのになぁ」

 そう呟く、どこか嬉しそうな三次元のクリエイター。

 ガラスケースをテーブル代わりに敷き詰められ、慎重に積み重ねられた品々をキャラクターである彼は一つ一つ確かめる。オレンジ色のペットボトル飲料。並びの色も美しい菓子折りの数々。鮮やかな包装紙を纏う様々な形状の箱。ハーバリウムの小瓶。花。そして手紙。いくつもの。

「これは、誰から?」

 僕の声も、この世界の誰かに借りたもの。ここにはいない彼もそう。僕らは綴られ描かれ吹き込まれ、虚構の世界で命を得たとは真らしい。神話は嫌いではないが、まさか自分が創造主に目見える日が来ようとは。世の中、分からないものだ。

「ファンの皆さんだよ。君たちのアニメの」

 ジーンズ履きの創造主は、マウスから離した人差し指で写真の中、日付を示す白い紙の文面を示す。一枚の白紙に黒のマジックインキで書かれた手書きのメッセージ。

「これは全部、あの子への誕生日プレゼント」



 ――――――

 スレイン君

 お誕生日

 おめでとう!!

 2019.1.11

 ――――――



 …………。

 ……そっか。

「どう?」

「はい。理解しました」

 界塚伊奈帆は頷いた。

「何が分かったっていうんだい?」

 パネルの文字にはこうある。


 ALDNOAH.ZERO

 NOAH――ノア。やはり神話だ。神話を作った人間と、神話の登場人物の僕と彼、そして彼女。僕らの世界に。いや、物語につけられた名前は、アルドノア・ゼロ。

 物語は、そしてゼロへと還る。

「この世界の人は、僕らの世界を知っている。僕らが何を思い、何を願い、何のために行動したか。それを知り得た人がいる。その事が分かりました」

 そう言うと、苦笑いが返ってきた。

「理屈っぽいなぁ。設定通り」

 マウスのクリック音。ディスプレイの画像が切り替わり、被造物の青年は目を丸くして、次にはにかみ頰を掻く。日付とともに映し出された自分の呼び名は落ち着かない。そんな呼び方、彼の世界では姉にしか呼ばれた事などないのだから。まさか、この世界ではこの呼び方が浸透しているのだろうか。…それは、ちょっと恥ずかしい。

 パネルの自分は学校の制服を着て、壊れていない横断歩道を歩き、そして左目がある。この腕は誰だったろう。韻子か、カームか。起助だったろうか。この時は、まさか月にまで行くとは思わなかったな。

「二月七日。君の誕生日にも、たくさん届いたんだよ」

 ガラスケースの上、丁寧に並べられた贈り物。オレンジジュースに、お菓子にコーヒーに、あとお酒。そうか。この世界では、二十歳という計算になるんだ。僕は。この一つ一つの品物にどんな思いが込められているのかなんて、朴念仁という設定の自分にすら分かりすぎる。

「愛してくれる人がいる。君たちの物語を」

 物語。そう語るには、僕らの成り行きは複雑で、ぐちゃぐちゃで、尻切れ蜻蛉で隙間だらけで不確定要素が山積みで。平和なんてまだまだ先で、僕らはようやく向かい合って言葉を交わした。まだそれだけ。チェスの黒駒は動かない。

 まだ、彼の物語は始まってもいないんだ。

「続きはあるの?」

 あれで終わりとは、僕は決して思ってない。何も知らない。何も分からない。見ていた人は知っていても、僕は何も知らないんだ。彼が何を思い、何を願い、何を成そうとしたのかを。

 神たる男はにやりと笑い、そして言う。

「君が決めるのさ。主人公」

[newpage]

[番外 すうぱあ・ばにいまん]


『ファイッ!ダァーーーー‼︎‼︎』

『あっははははwww』

『ちょwまったwちょw』

『ごめんなさいぃwww』


「ぷっ、あっははは」

 創造主は腹を抱えて笑っている。いや、笑い事ではない。なんだこれは。ファンシーでポップな画面に反するなんか気持ち悪い姿勢と動きは。


『人参人参!NINJIN⁉︎にんじん!ニンジィーン⁉︎』

『あっはははwww』


「……」

 できることなら、知りたくなかった。そういうことも世の中にはある。伊奈帆の見下ろすパソコンの画面には、遠目の止め絵なら辛うじて可愛く見えなくもないピンクと黄色のうさぎ(なぜか横向き)。スピーカーを振動させるぎゃあぎゃあ煩い音声は、自分には非常に落ち着かない。ざわざわする。特にこのピンクの方。


『イヤアアアァア‼︎』

『どうすれば⁉︎どうすれば』

『あっぶねー!』

『あああ‼︎‼︎』

『ちょ、ちょ、ちょい、ちょい、ちょ!』


 こめかみに血管が浮き出てしまうのは、致し方ないだろう。勘弁してくれ。ほんと。

 界塚伊奈帆は青筋を立てて深呼吸し、分かり切ったことを再度確認する。

「……これ、本当に僕の声の人なんですか?」

「そうだよ。ほらほら、こっちの一緒にゲームしてるのは、スレインの人だよ」


『ニャーン』

『おお⁉︎』


 ……?……にゃ? にゃーん? ちょっと待て……、……。……いや、もう何も言うまい。

「……」

「仲いいよね。そうそう、番組休止中もなんか二人でやりとりしててさ。馬が合うのかな」

「……」

「あ、複雑? ……そりゃそうか。二十四話の時点では、うーん。そうだよなあ」

「……僕には、その二十四話が何なのかは分かりませんけど」

 画面には、血塗れでくし刺しのうさぎ。……どうして血だけそんなリアルなんだ?ゲームの創造主のこだわりを感じる。こんな事態になっているとは。複雑を通り越して虚無の心境だ。ギャップが激しすぎる。声もだけど、色々。

 ポン、と肩に重み。創造主の手だ。三次元の人間の手のひらの重み。

「でもさ、君たちも仲良くなれると思うよ。蟠りが解けたらね」

 人の手。人の温度。僕らの世界の大人と同じ。この手が描く。この手が示す。この手が僕らを生み出した。

「……そうかな」

「そういう設定のつもりだから」

 けらけら笑うこの男、一体どこまで何を考えているのやら。

「……はぐらかそうとしてませんか」

 ジト目で睨むと彼は笑った。

「はっはは。まあさ、伊奈帆。もうちょっと待っててよ。そのうち、チェスもできるし話もできるさ。きっとね」

 待つ、とは。

「最終回。したんじゃないんですか」

「OAはね」

「?」

 含み笑い。本当に、何を企んでいるのだろう。このクリエイターは。

「まあ、気長に。君らの人生長いんだから。あと、スレインの事はよろしく」

 溜め息一つ、界塚伊奈帆は画面の中、もんどりうって崖から落ちる黄色のうさぎを一瞥した。



 …Continued to "the penultimate truth."

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