「いや入れ過ぎじゃね?」
設備の半分ほどが未電子化の喫茶店。窓際のソファー席で向かいに座るライカのカップにギョッとして、ナオキは思わずツッコミを入れた。
「ほえ?何がですか?」
ライカが選んだのはホット・ココア。ナオキは氷の入ったブラック・コーヒー。今日のウェザーは暑くはないが寒くもない。
3層は乾燥していて埃っぽい。ナオキはウィンターウェザーでも、よっぽど寒くない限りはホットは飲まない人間だ。そしてコーラを除き、飲料水で砂糖を摂取する習慣はない。水分補給はノンシュガーの水がお茶かコーヒーである。
「シュガー。よく見てなかったけど、3つは入れてたよな?」
ライカは銀のスプーンをぐるぐる回して砂糖の粒子を撹拌する。長い袖の端が濡れないか気になる。
「角砂糖のことですか?白3個、茶色5個です」
「はっ、8個ぉ!?ライカちゃん、いくらなんでも甘党すぎない?身体壊すよ」
甘ったるいホットのココアに、さらに8個の角砂糖を溶かし込んで飲むなんて、ナオキとしてはカルチャーショック手前である。
「ワタシ燃費がいいので、このくらいがいいんです」
ライカはくぴ、とココアを味わった。にぱっと笑い、もう一口。
ナオキはアイスコーヒーのグラスを持ち上げ、縁に口をつけて飲む。ちゃんと苦くてほっとした。
ま、他人の食い方をとやかく言うもんでもないか。
「それにしても、あの2人。何話してんのかなー」
ライカが窓に顔を近づけた。横顔の鼻先がガラスにくっつきそう。
「あまりこう、イチャイチャらぶらぶしているようにはお見受けしませんね」
淡々とした声音。表情も落ち着いている。
「そーだよなー。なんつーか、商談の席みたいな顔面距離だ。デートだよな?手くらい握れよー」
「全くです」
お、意外とクール。ナオキは、初対面の賑やかしさや先ほどの砂糖過剰投入で抱いたライカへの印象を改めた。世間知らずで変わってるけど、話はちゃんと通じそう。
よし。本題。
「ライカちゃんって、リックの元カノ?」
ガタガタガタガタッ!!
ライカは机の縁とソファーに身体を思いっきりぶつけつつ、凄まじい勢いで立ち上がった。
「もっ!?もももも、もと……かの!?それは、ナオキさん、つまり……、ワタシがリックくんと、かつて、お、おおおお付き合いをしていたかとお聞きしていますか!?」
「あの、大体わかった。落ち着いて」
ナオキはまあまあ、と右手を小さく前後に動かす。衝撃で倒れたラミネート加工のメニューを直し、テーブルに散らかった角砂糖を拾い集めた。
「今ので何がわかるんですか!?」
「ライカちゃんが100パー元カノではないってことと、なんかすげー面白いってこと」
ライカのアニメキャラクターめいた大きな瞳がまんまるになる。高速演算モード、って感じ。
「100パー……。100 percent?」
「なんでちょっと発音良くした?」
「モトカノではない……ううっ!厳然たる事実ですがカナシイ……」
ライカはすとんと椅子に崩れ落ち、机に突っ伏し肩を振るわせヨヨヨ、と泣いた。
「いや、そんな落ち込まんでも。砂糖いる?」
「オカマイナク……砂糖は既に適量です……」
「どう見ても適量は過ぎてっけど」
「じゃあなんで勧めるんですか!?」
「いや、なんとなくノリで」
ライカはううっ、と長い袖で両目を擦り、ココアをクピクピ飲み込んだ。
ライカのファッションを観察する。少し個性的だが、清潔で上質。ヘアスタイルは大人しめ。まったく世間擦れしていない所作と、駆け引きゼロの受け答え。
ナオキは大体の事情を察した。
リックの後輩か同級生だな。しかも、それほど親しくしているわけでもない。顔と名前を知ってるくらいの間柄か?
片思い中の先輩に彼女ができたって聞いて、夢中で追いかけてきたってところだろう。無防備にも6区に1人で。
「あいつモテるんだなー。そりゃそうか」
2枚のウィンドウを挟んで眺める向こうの店内。レニとリックの横顔が見える。2人の表情や仕草は和んでいて楽しげだ。
ムードはゼロだがいい雰囲気だな、とナオキはなんだか安心した。
誠実で優しくて、はにかみ屋ですげー純情。控えめだけど、意志が強くて男らしい。
何より、あのレニがスカート履くほどゾッコンなんだ。他の女の子がほっとくわけないか。
「ナオキさんは、レニさんと親しいのですか?」
その様子を眺めたまま、ライカがポツリとナオキに聞いた。
「3歳からの幼馴染だよ」
ガラスに映ったライカの頬がリンゴのように赤くなる。ごくん、と唾を飲み込んで、ライカは高い声でこう聞いた。
「ええと、じゃあ、……ナオキさんは、レニさんの……も、も……元カレ、ということですか?」
「ぶっ!!モ、モトカレ!?」
ガタタッ!思わず腰を浮かせてしまった。口の端に垂れたコーヒーを手の甲で拭う。ついでに机も。
「どーしてそーなる!?……あ、ゴメンゴメン!びっくりしただけで怒ってないべつに……。レニとはさ、そういうのはカケラもない。家族みたいなもんだよ」
ナオキの超オーバーリアクションにライカは動じた風もなく、人差し指を顎につけ、こてんと首を右に傾げた。
「うーん……。でも、美男美女で、とてもお似合いに見えます」
ナオキはストリートの向こうの店のレニを見た。美男美女?お似合い?全然ピンとこない。
「そーかぁ?」
「クール系の金髪美女と、南国雰囲気の和風美男子。並ぶと非常に絵になります」
ナオキはグラスを口に運ぶ。氷を一つガリガリ噛んだ。
うーん……。そーゆーの、まじで考えたことないな……。なんでだろ?
「タイプじゃないし。お互いにさ」
うん。そう。3歳からの幼馴染で、お互いのみっともないとこ全部知ってる。
「たいぷ?」
「レニは静かな女だからさ。一緒にいて落ち着くし楽だけど、それって恋じゃないんだわ」
家族同然で妹みたいに大事なやつだが、女の子として好きになった瞬間は、多分一度もなかったな。あいつおれよりすげー強いし、おれより女子にモテててたし。やべーところ、何度助けてもらったか。
「レニは静かな女、ですか」
ライカはキョトンとナオキを見つめ、次に窓の向こうを見つめた。
「ワタシとは正反対ですね」
レニか、リックか、どちらを見ているのだろうか。両方かもしれない。
「ライカちゃん、リックが好きなの?」
ライカはこくんと頷いた。
「はい。彼の研究理念は尊敬に値します。そして、ふとした時間に人柄や容姿、その他諸々のパーソナルを考えてしまう。その時の心拍、頬の火照り、時間感覚の欠如などを踏まえ、ワタシは彼に好意を寄せている、と判断しました」
照れも動揺もない。わかりきった事実を第三者に伝えているだけ、といった感じだ。
何度も1人で考えて、自分の気持ちに向き合って、長い時間をかけて石碑のように胸に刻んだ言葉だろう。
「そっかぁ……」
切ないな、とナオキは思った。
「ナオキさん?」
「ちなみに聞くけど、レニのことはどう思う?」
この子、何年リックのことが好きだったのかな、と想像し、恨みごとを聞いてもいいとナオキは思った。
ライカはくしゃりと微笑んだ。今日見た顔でダントツ1番、チャーミングな表情で彼女は胸に両手を重ねる。
「レニさんは、ワタシの無知を助けてくれました。街を歩くことが、場所によっては安全ではない、とは考えの及ばないところでした」
なんか、めっちゃいい子だな。ナオキはライカの純粋そうな瞳を見つめる。か弱く見えても、その頭脳はセントラルの超エリート。
おれたちみたいに、今日だけ生きてる人間じゃない。月の未来を切り開く女の子なのだ。
この子は、何を研究しているんだろうか。
「今日もまた、ナオキさんに教えてもらいました」
ありがとうございます、とライカが深々とお辞儀をしたので、ナオキは慌てて背筋を伸ばした。
「僕、何か言ったっけ?」
ライカはバッグから、楕円のケースを取り出した。イチゴ色で、開閉部分に白と青のラインが細くデザインされている。
「メガネを仕舞った方がいい。なるほど、メガネをかけている人は1人もいません。変装のつもりが逆に目立っていた。これもまた、新しい知見です」
開いたケースに、銀縁メガネが収まっている。ナオキはあっ!と声を上げた。そして両手をバチンと合わせて頭を下げる。
「ライカちゃん。ひとつ折り入って頼みが」
「ハイ。なんでしょうか?」
「そのダテメガネ、ちょっとでいいから見せてくれない?おれ、メガネマニアなんだ」
ライカはにこっと笑い、メガネケースをくるっと回した。
「そんなことならお安いご用です。どうぞ」
ナオキは左右のヨロイに両手の指を慎重に添え、そーっとメガネを取り出した。チタン製。オーバルは真円。テンプルのカーブが美しい。
「ほー、軽いなーこれ。クリングスの細工が細けぇー……。ライカちゃんありがとうマジで!!ココアおかわりする?他のもんでもいいよ、奢る!」
ライカはメニュー表をパカッと開き、にんまり笑う。
「チョコレート・パフェを所望します」
「いいよいいよなんでもどうぞ……って1600ルカ!!??たけー……。でも、どうぞ!マスター!チョコパフェー!!」
「あいよー!!」
「すげーなー!度がない!ホンモノのダテだー」
「ナオキお前、いい加減うるせえぞ!」
「いや、オヤジこれすげーんだって!」
「マスターって呼べ!」
「いやはや、なんとも賑やかなカフェです」


