「ただいま。モリー」
レニがアパートの扉を開くと、モリーは顔を向けて微笑んだ。レニはモリーに笑いかけ、ジャケットを机に置いてブーツを脱いだ。裸足で踏んだ床は冷たい。パイプ椅子がギイ、と鳴った。
「デイジーはいないんだって」
レニは、組んだ脚の膝に肘を置いて頬杖をつく。窓の外はナイト・モード。セントラルに続くネオン。窓から見える風景で、この夜景が1番好きだ。
事務所でボトルコーヒー片手にサインだけの始末書をピッとアピアーして、カーはレニに静かに語った。
デイジー・ベルは偶像だ。
第3層居住区Z
ムーンバレーの最下層。同じ6区でも、レニは行ったことすらない。月面都市の底の底。
コードがない。ウォッチがない。
KAGUYAに存在しない人間やコンピュータが最後に行き着く、吹き溜まりのような場所。
「バアチャンは、そこで生まれたんだっけ」
ムラサキ。最近何かと思い出す、レニやナオミ姉弟、ジェンのバアチャン。コーラが嫌いで、大福を肴に麦焼酎をかっくらっていた盲の武術家。レニは彼女に生きることを教えてもらった。
食べること。
働くこと。
仕事終わりに一杯の水を飲むこと。
道具を片付けて眠ること。
『鳥になれ』
それは明日を飛ぶために。
「デイジーは、歌姫だったって」
デイジー・ベルは歌を歌った。
デイジー・ベルは愛された。
デイジー・ベルは居場所となった。
デイジーは人間だった。
人々は受け入れなかった。
彼女の変化を。
彼女の老いを。
彼女の死を。
「プロテスティックが彼女を偶像にした」
初めは脚。
次は腕。
髪。
歯。
トルソー。
そして喉。
「100年経って、第2層からジュエレッタが贈られた」
最盛期のデイジー・ベルと瓜二つ。青空の髪と夕暮れの瞳を宝石にしたセレスタイン・ガール。
全身プロステティックのデイジー・ベル。
デイジー・ベルを模したジュエレッタ。
わからない。
「依頼主は、どちらを殺すつもりだったの?」
モリーは静かに目を伏せた。
わからない。
どうして、消失を願ってしまうのか。
「なんか、今日は疲れたわ」
カーは、なんだか変な顔をしていた。仕事を失敗し、バツが悪くてあまりちゃんと見てなかったけど、もしかしたら心配してくれてたのかも。
レニは立ち上がり、冷蔵庫へ。最後のプレーン・ウォーターを取り出す。キャップを開けてごくごく飲む。無味無臭が沁みる夜。
「仕事変えるか」
今の自分には、猫探しや配達員が性に合う。報酬はがくっと減るけど、1人だったらなんとか暮らしていけるだろう。明日、計算してみよう。
“Mory. Refill.”
Mory stands to bounce.
The copper arms layer on the chest.
The rips are like a flower.
“It’s for Daisy.Bicycle Built for Two.”
デイジー、デイジー。答えておくれーー


