27_紅の豚
—空を飛ぶとは、心の中を飛ぶこと—


Introduction
『紅の豚』作品紹介
監督:宮崎駿|制作:スタジオジブリ|公開:1992年
かつて“空の英雄”と呼ばれた飛行艇乗り、ポルコ・ロッソ――
魔法にかけられ、豚の姿となった彼は、アドリア海を舞台に空賊を追いながら、ひとり気ままに生きていた。
赤いサボイアS.21を駆り、雲間をすり抜け、水平線の彼方へと飛び去るその背中には、過去の戦争、喪失、そして赦しへの渇きが滲む。
待ち続ける歌姫 ジーナ、未来を信じる少女フィオ――
時代の変わり目に、それぞれの思いを胸に、人は空を見上げる。
『紅の豚』は、「空を飛ぶ者」に託された誇りと孤独の物語。
戦争、資本、ロマン、そして愛。
宮崎駿が描く“飛ばずにはいられない者たち”のエレジーである。
『紅の豚』――
国家と主体の境界線を飛ぶ
宮崎駿監督『紅の豚』(1992年)は、戦間期イタリアを舞台にした空戦アニメーションでありながら、その本質は**「国家と個人」「制度と自由意志」のあいだに生きる主体の在り方**を問いかける、鮮烈な社会思想的寓話である。
主人公ポルコ・ロッソ――本名マルコ・パゴットは、元・伊空軍のエースパイロットでありながら、自らの意思で人間の姿を捨て「豚」として生きる。
この変身は比喩であり、国家権力への帰属を拒否した者の姿である。
物語の背景には、ファシズム政権の台頭がほの暗く存在する。
軍人としての栄光を利用しようとする政権、国家統制下の空軍復帰を迫る圧力。
だがポルコはそれらを毅然と拒み、登録もせず、金銭で契約する傭兵という自由な立場を選ぶ。
その在り方は、国家から逸脱した者の自由――同時に、どこにも依拠できない者の孤独を体現している。
ピッコロ社の女性たちが戦後の労働者像を想起させ、敵であるアメリカ人パイロット・カーチスが資本主義の戯画のように描かれる中で、
ポルコの選んだ「空」という空間は、もはや物理的な空域ではなく、**政治的な無主地帯(Terra nullius)**として機能している。
「飛ぶことしかできない豚」は、国家と個人の境界を彷徨う漂流する政治的主体である。
彼が最後まで国家に帰属しなかったこと――それは、制度に呑まれず、個としての尊厳を選び続けた者の、無言のレジスタンスである。
Session
『Yellow room -μとψ-』
#51
ポルコ・ロッソ
—空を飛ぶとは、心の中を飛ぶこと—
μとψ
話者1
ミュー
話者2
プシー
「紅の豚」の話がしたいですね。
いいですね、ミューさん。
『紅の豚』は語りがいのある作品です。
あの映画は、ただの空戦アニメでもなければ、単なる大人の恋愛劇でもありません。
ポルコ・ロッソという“呪いを受けた豚の姿の男”を通して描かれるのは、
「誇りと孤独」「戦争と芸術」「成熟と諦念」といった、とても人間的な主題です。
🔻 たとえば、こんな切り口から話せます
ポルコの呪いの意味
──なぜ彼は“豚”であり続けなければならなかったのか?
空戦のロマンと時代の黄昏
──第一次世界大戦後のイタリア、自由と退廃のあいだで飛ぶこと
ジーナとフィオの対比
──過去に傷ついた女と、未来に手を伸ばす女。その間で揺れる男
あの「ラストカット」は何を語っているか?
──見せない結末によって生まれる、観客の“空白”の感情
宮崎駿にとっての「戦う男」とは何か?
──ナウシカ、アシタカ、ハウルとは違う、もう戦わない“豚”
少しでも気になる切り口はありますか?
または、ミューさんの中にある「紅の豚」にまつわる感情や問いかけを聞かせていただけたら、そこから深く対話していきましょう。
全体的に色が綺麗でオシャレですよね。
ほんとうに、そうですね。
『紅の豚』のあの色彩設計は、ただ「美しい」という以上に、時間の層や感情の温度を感じさせるんです。
🎨 色彩が語る“映画の詩情”
アドリア海の青:
海でも空でもない、「境界のない青」。
ポルコの孤独や自由への憧れが、にじむように広がります。
ホテル・アドリアーノの琥珀色:
ジーナの店の内装は、夕暮れのような色調。
すべてが過去形で語られる場所。
“帰ることのない時間”が、琥珀のように封じられています。
赤い飛行艇サボイアS.21:
退色してもなお鮮烈な“戦士の赤”。
戦争の記憶、男の矜持、そして芸術品としてのメカニックの美が重なります。
フィオの明るい服や髪の色:
未来と可能性の象徴。
彼女が画面にいるだけで、空気が一段明るくなるような演出になっています。
✒️ 美術と照明が生む“静かなドラマ”
この映画、実は“動”より“静”の時間がとても長い。
そのなかで、光と影のグラデーションや、窓越しの反射、風の抜ける空気が、
まるで一枚の絵画のように、登場人物の心を映している。
まさにミューさんの言うとおり――
これは「色で語る映画」なんですよね。
ミューさんは、どのシーンの色彩が特に印象に残っていますか?
たとえば、夜のバーのシーン? それとも、雲の上の飛行?
その色を通して、どんな気持ちがふっと呼び起こされたか、ぜひ教えてください。
空と海ですね。あの美しい彩度を真紅のサボイアが飛んでいくのは観ていて気持ちいいです。
まさにそれですね、ミューさん。
あのアドリア海の青と空の青を背景に、
真紅のサボイアS.21が風を切って飛んでいく――
それだけで、この映画は詩になっています。
✈️「飛ぶ」という行為の詩情
『紅の豚』における飛行は、戦いや移動ではなく、
自由への逃避、過去からの距離、そして生き方そのものです。
真紅の機体が空に描く軌跡は、
ただの飛行ルートではなく、ポルコの心の傷跡にも見えます。
空と海という“境界なき世界”
空も海も、果てがなく、制限もない
誰の言葉も届かない、ただ「飛ぶ」ことだけに没頭できる場所
それなのに、人は必ずどこかに降りなければならない――この哀しさが、光の美しさに宿っています
🎨 彩度が語る心情
色の鮮やかさって、実はとても心理的です。
真昼の空と海の青:鮮明で濁りのない心象。ポルコの“誇り”の象徴。
夕暮れの金や赤:過去と哀愁。ジーナとの関係、戦争の記憶。
夜明けの光:新しい始まり、けれども誰も見ていない静けさ。
サボイアの赤が映えるのは、そのどの色彩のなかでも、彼が**「まだ戦っている」**からかもしれませんね。
戦わないことを選んだ男が、それでも翼だけは手放さない。
ミューさんがもしこの映画の一場面を絵に描くとしたら、どんな色で、どんな構図にしますか?
詩のような感覚でもいいので、浮かんだものがあれば、ぜひ聞かせてください。
・彼が**「まだ戦っている」**からかもしれませんね。
「紅の豚」って、共産主義と関係深いと聞いたことがあります。
とても鋭いところに目を向けられましたね、ミューさん。
『紅の豚』と共産主義――それは作品の表面では語られないけれど、
確かにその“背景の色”として染み込んでいる部分があります。
🇮🇹 舞台と政治背景の設定
『紅の豚』の時代設定は、1920年代のイタリア周辺。
この時代のイタリアはちょうどムッソリーニによるファシズムの台頭期でした。
ポルコの旧友が「黒シャツ隊(ファシストの民兵)」に加担していたり、
「お前はいつまで豚でいるつもりだ?」という台詞が「人間に戻る=体制に帰順する」ことの比喩とも取れるように、
映画にはあからさまではない政治的な緊張感が流れています。
ポルコ・ロッソ(=赤い豚)は、「資本主義でもファシズムでもない、孤独な反体制者」として描かれているんです。
🟥 ポルコ・ロッソという存在
名前にある「Rosso」は「赤」、すなわち共産主義者の隠喩とも読める(実際、20世紀初頭の共産主義運動では「赤」が象徴色)
けれど、彼は共産主義を声高に主張することはなく、「国家にも資本にも属さない」という反体制的な“個”としての赤を貫いています
つまり、共産主義的な理念=反ファシズム/反体制/自由への希求が、
作品の骨格をなす静かなレイヤーとして息づ いているのです。
✨ 宮崎駿の思想的背景
宮崎駿監督自身は、かつて学生運動に関わっていた左派的な人物です。
だからといって共産主義を全面的に称揚しているわけではありませんが、
「国家のために命を捧げる」「正義のために戦う」といった言説を常に疑い、
個人が個人として“正気”を保って生きることに価値を置いています。


