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31_エリジウム・リバー#03

イーストS-3ステーションへの道を、リックはピッポと並んで歩いている。ナオキの家からの帰路。歩行スピードは、普段のおよそ3分の1。スニーカーの底に、大学では有り得ない土の音と感触がある。
ムーンバレー3層6区イーストの街並みを眺める。リックは、レニと出会ってから1人でここに何度も来た。
でも、この街に今日初めて来たような気がする。
ピッポが、なあ、と言った。リックは、ん?と小さく応えた。
「……俺さ、実は怖かったんだ。今日ここに来るの」
ジャリ、と道が鳴る。リックは右手でピッポの肩をポン、と叩いた。
「来てくれてありがとう、ピッポ」
今日誘ってから、大学では何でもない顔をしていたけれど、色々調べて、不安になったのだろうと思う。それでも、何も言わずにここまで一緒に来てくれたのだ。
「へへっ。俺、寮組のインドア男だぞ。大学で生活全部完了する。タワーにだって月イチ行くか行かんかだ。今日のハードル高いのなんの」
ピッポもリックの肩を叩いた。少し強い。見ると笑顔だ。
いいやつだな、とリックは思った。
「今はどう?」
「うん。勇気出して来てよかった。すげー街だな」
「だろ?僕もそうだ」
バイクが2台通り過ぎた。年代物だ。ナオキの店で買ったのだろうか。それとも、彼が直したのか。両方かもしれない。
通行人は、色んな荷物を持っている。野菜。水のボトル。仕事の道具。壊れた器械。目的地に向かって、みんな真っ直ぐ歩いていく。
「リック、俺らが初めて話した時のこと覚えてるか?男子寮の裏」
「覚えてるよ」
少し遠くで、子供達の声がする。自分たちが子供じゃなくなってからは、そんなのずっと知らなかった。
「リック、初対面で俺になんて言ったか覚えてるか?」
「忘れた。なんか言った?」
「数学2位のフィリップ・ブライアントだよね、って。喧嘩売ってんのかと思って買った。そして負けた」
「ああ。悔しくて、つい」
ピッポは大仰にため息をつき両手のひらを上に向けた。
「1番悔しいの俺だっつーの!お前は学年首席だし、数学1位は満点のライカ」
「ライカは本当にすごい」
「その割には、塩対応が過ぎるぞ」
「リスペクトとプライベートは別だよ」
「理屈を捏ねるな」
「そうだね。今思えば、冷たいことしてたんだと思う」
「……鈍感なのはしょーがなくね?」
「レニに出会うまで、人間に興味なかったのは事実だし」
「ふーん。なんか、恋っていいな」
「あはっ、うん」

「あれからもう5年か……」
「正確には、4年と8ヶ月12日」

「2230年からのパンデミック。マザー指令の科学者大規模疎開がどんどん加速して、俺らん時には前年比較でセントラルの偏差が21上がったろ」
「僕もピッポも影響なかったね」
「まあな。あれ、マザー・カグヤの大型アップデートだったよな」
「何?今更」
「一応言語化確認しただけ」

「20年間で、マザーはニューロンを総入れ替えしたんだ」
「俺らはマザーの脳細胞か」
「マザーにとっては、あの疎開はポーティングの一環なんだろう」
「血も涙もねえなー」
「相手はコンピュータだから」
駅までの道が、もう少し遠ければいいな、と思った。歩く速さが遅くなる。歩幅は違うが、ピッポも同じ速度で隣を歩いているのがわかる。
「俺、どんなに金がなくても食えなかったこと一度もない。明日の食い扶持稼ぐために働いたり、ルカ単位で仕事を選んだこともない」
ぴた、と足が止まった。2歩先でピッポが振り向く。
「僕だってそうだ」
右の手首を利き手で握る。マザー・ウォッチ。軋むことなくそれはある。
ーーこんなものが、自由を縛る。扉を閉ざす。名前を奪う。ーー命さえも。

月面都市はドーム型都市。完全に管理された人工空間。

そこでは、不測の事態は有り得ない。全てがコンピューターの予定調和で進んでいく。生も死も。進化も退化も。都市の未来も。

縛るのは、水だ。

ムーンバレーの水の量には上限がある。人口が上限を超えれば枯渇する。

1人。2人。3人。4人……。
増えた分だけ水がいる。

水がなければ?

1人。2人。3人。4人……。

干からび、そして死んでいく。

一度超えると、そこから先は一瀉千里だ。あっという間に、月面人類は絶滅する。

だからカグヤは、増えた分だけ"間引き"する。ヒトの数を1桁単位で管理して、上限を決して増やさない。

しかし、とリックは思う。

人が人を殺して成り立つ社会で、人は本当に人間でいられるのか。

間引き。

エサ不足。
生存確率向上。
子孫残し。

地球の動物が本能的に行う生存戦略。

僕らは、それを意志で行う動物だ。

「ポンプ」という名の、行政委託の殺し屋がいる。

人を殺し、痛みを引き受け、世界を維持する人がいる。

笑えるのか。
泣けるのか。
愛せるのか。

そこに痛みは?
後悔は?
生きることへの罪悪感は?

素知らぬ顔で、生存という恩恵を受ける僕らはなんだ?

ーー私、少し前まで殺しの仕事をやっていた。

レニ。

あれが、どれだけの覚悟で発せられた言葉か。僕はまだ、全然わかっていないのかもしれない。

ーーこの仕事では、笑えないって気がついた。

わかりたいと思う。どうして僕に、それを言ってくれたのか。

ーー嬉しい。

多分。という言葉とともに、ずっと好きだ、と僕は言った。彼女は泣いた。その涙は、ナトリウムの味がした。

苛まれてきたはずだ。自分で自分を蔑む心に。

彼女が、なぜ人を殺したか。コンピュータに間引きされずに生きる術が、それ以外にないからだ。

他人の未来を閉ざすこと。
自分の手で、瞳の光が失われること。
その記憶を抱いて、殺し続けて生き残ること。

怖くなかったわけがない。
痛くなかったはずがない。
明けないほどの孤独な夜が、なかったはずが絶対にない。

レニ。僕は。

眼差しで。
声音で。
発する言葉で。

あの時、君を損なわなかったろうか。

ーーちゃんと笑える。水も美味しい。

君をわかりたい。
そして、わかってほしいと思う。

「僕、6区に川を通したいんだ」

君が笑って暮らせる世界を、僕は作りたいんだ、って。

顔を上げると、ピッポがじっと僕を見ていた。目が合って、僕は笑って駆け寄った。
歩き出す。子供の声。歩く音。どこかで工事をしている音。いつもどこかで、人が立てる音がする。
僕は、この街が好きだ。
「リック、水を増やさなければ、って入学式のスピーチで言ってたな。ライカは、それでお前に惚れたんだぞ」
「そうだったんだ」
「ちなみに俺も」
「え?ピッポは僕に絡んできたろ?」
「それはお前が煽るからだ!助けるつもりで駆けつけたら1人で勝ってて、俺も結局負けちまうし……。お前ケンカの場数踏みすぎ」
言われて色々思い出した。小さい頃から不思議と、知らないやつに絡まれる。寄宿舎の頃もあったけど、大学寮に入ってからの頻度は週1くらい。
「それ、なんでだろうね?何かしたかな……」
ピッポが一度足を止めた。タタっとすぐに隣に並ぶ。
「えっ……気づいとらんの?気づいとらんか。リックだもんな」
「何のこと?」
「俺は寄宿舎別で後から知ったが、有名な話だったぞ」
「有名なのは知ってるよ。数学は3位だったけど首席だし。ピッポには拳で勝ったし」
「違う違うそうじゃねえ!そして傷を抉るな!……恥ずいがこの際きっちり言うか。どうして俺がこんな目に……」
深刻そうな顔。一発ギャグ?
「ピッポ、なんか面白いこと言う?」
「ちっがーう!心して聞け!リック。いいか?ガチの美形、控えめ、みんなに優しい、いつも笑顔のフォーカードだぞ。あと相槌がわりのウインク。……むかーしから思ってたけど、あのウインクなんなんだ?」
「ウインク?変なタイミングで声出して、話の腰を折ったら悪いし」
「どこ気にしてんだ!くそー、全然伝わらん。どうすれば……。……あ!さっきのレニさんの話で思い出したぞ。お前もバレンタインに男子どもからチョコを山ほどもらってたろーが」
「小さい頃から毎年もらうし、お中元みたいなものかなって。ピッポも一緒に食べただろ?」
「おう。美味かった。疲れた時には糖分だな」
「で、そのチョコレートが何?」
「………………いや、やめておく。俺の平穏のために。……こいつ、男子寮カルチャーにまじで理解ゼロなんだよなー」
…………。
あ、あのリンゴ美味しそう。へえ、オレンジなんかずっと食べてないな。学食や生協では、フルーツってバナナくらいしか売ってないし。
ピッポが左右にぶんぶん首を振った。あ、なんか話すみたい。
「それはともかく……、あ、誤解すんなよ。俺はそーゆー下心はじめっから全然ないぞ。美人は好きだが美女限定だ」
????
「ごめんピッポ、何の話かよくわからない……」
「つーまーり!だ。真面目な話がしたいとあんとき思ってたんだよ俺は。全校生徒の前で、でっけー夢を語る男と」
ピッポと出会った日のことを思い出す。ケンカして、自己紹介して、授業サボって2時間話をしたんだっけ。トムソンと川の話。お互いに、他の誰にも話したことのない夢の話。
だから、友達になれた。
「夢じゃないよ。実現可能だ」
「わかるけどなー。リックが1人でずーっとやってる水源装置のミニチュア試作機。どっかの企業がポン、と金出してくれねーかな」
「まだ実績も人脈もないんだ。できることからしていかないと」
「でもなー。余った金全部それって、俺、見てらんねーよ。靴も何年、同じやつ履いてんだ?」
「あ、こないだスニーカー買った。あと服」
「なんだと?なぜ大学に履いてこん?」
「デート用だよ」
「コンタクトは?」
「あるけど、大学は家みたいなもんだから」
ピッポが手首のスナップで右手を左右に高速運動した。
「いやいやいやいや。お前、Cエリアから電車乗って大学来てるんだよな?タワーのモールも通り抜けて」
「うん」
この動き、僕もやってるかも。レニの前では気をつけよう。
「おおらかってか、人目を気にしなさすぎだろー」
「そんなのどうでもいいし。人員確保もしなきゃなあ。専門外は無理だから」
「お、掲示板使うか?」
「うん。考えてる」
「でもな、人集まるか?ムズイよなー。リックも俺も、サークル活動してないし」
「そうだね。でも、誰がやってるのかと、何をするかは別だから」
「おお」
駅だ。改札にウォッチをかざす。電子音でランプがスキャン。エスカレーターを登る。
この街に、水があれば。
「止まらなければいつか届く。お金がなくても、今できることはあるんだ」
きっと、仕事が変わる。暮らしが変わる。別れが、運命ではなく選択になる。
できることはある。少なくとも、考えることだけは、マザーにだって止められない。
「……俺もバイトして、一人暮らししようかな」
エスカレーターを降りて、ピッポがぽつりと呟いた。リックは隣に並んで肩を組む。
「ならピッポ、一人暮らしの先輩として、一つ忠告がある」
「なんだ?」
これはとっておきのアドバイス。人差し指をピン、と立てる。
「カーテンを買っておくんだよ」
…………。
あれ?
「そんなん常識だっつーの」
ピッポが呆れ顔で言った。
「あれ?そう?」
「リックって、常識と良識が服着て歩いてるように見えて、時々ムショーにズレてんだよな」
さっさと先を歩き出すピッポをリックは追いかける。
あれ、おかしいな。常識なんだ?
「でもさ、ピッポ。レニもカーテンを買うべきだった、って言ってたよ」
「はいはいはいはい、ごちそうさま。……いいなー。ちょっと抜けてる、かわいい犬顔おねーさん」

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