時刻は18時15分。
レニはペールブルーのバルーンドレスで、"キャンディ・バー"のバーテンダーに従事していた。サイズはピッタリ。靴もマッチ。
静かな店内。
間隙のあるドリンク注文。
敬語で話す行儀のいい客。
非日常でラグジュアリーな夜である。
冷蔵庫が壊れて良かったかも?いや、壊れっぱなしでは困る。冷えたウォーターが今日から明日の生命線なのだ。
「ハイ、レニ。ドレス似合ってる」
「ジェン。ありがと」
ジェニファーは、両手を顔の横でパッと開いた。白いロングドレスに小麦色の肌が眩しい。
彼女はカウンターの椅子に座り、髪を背に払う。いつも編み込んでまとめているブルネットの髪を、珍しく下ろしていた。
「こっそり飲も?エラにお客取られちゃって、することないのよ」
仕事中では、とレニはさりげなく周囲を見回す。お客は全員、宝石少女ジュエレッタに夢中。フロアスタッフはジェンとレニだけ。
「エラって?」
「あそこのエメラルド・ガール。名前長いから、みんな好きに呼んでるわ。エミーとかエルとか、ラダとかさ」
ヒールを履くと190cmを超える、アンドロモデル(Android・Model)並のボディと美貌で一見すると人外めいて近寄りがたいが、豊かな表情は天真爛漫な少女そのもの。
「かわい子ちゃんなのはわかるけど、瞬きするだけでお客がついてさ。少しずるいわ。ペチャパイだし」
「オブジェだよ」
「だとしてもよ。女には変わり無い」
ジェンが頬を膨らませる。一理ある、とレニは彼女にトマトウォーターをグラスで提供。あまり売れず在庫が多量。ジェンはこれが大好きなのだ。
彼女はこれを一息に飲み干した。いつ見てもいい飲みっぷり。
「私、この店辞めるの」
「え?いつ?」
「今日」
「今日!?」
「だから、レニに会えて良かった」
ジェンははにかむように笑った。
「ナオキは?」
「喧嘩別れよ。今日の昼、荷物まとめて出てったわ」
「何年だっけ」
「3年」
「結婚すると思ってた」
「私もそう」
レニは、ボトルのままのトマトウォーターを飲む。勤務中だが、どうせ誰も見ていない。
「なんで辞めるの?」
「2層の仕事に受かったの」
「おめでとう」
ジェンは頬を綻ばせる。ピンクネオンの唇が、キャンディみたいに甘く笑う。
「ありがとう。ハウスキーパー。住み込み。月給は7モニカ」
「すごい」
「でしょ?雇い主は老婦人と一人息子。電気猫も3コいたっけ。息子は独身で38歳」
「へえ」
ジェニファーは18歳。下世話な事情は一旦置いといて、レニは聞く。
「なんで喧嘩したの?」
「ナオキと?……危ないからやめた方がいいって」
「私も同じ意見」
「そうよね」
ジェンは、わかってるよ、と呟いた。ブルーの瞳が揺れている。
「お屋敷にジュエレッタがあった」
レニはバーの中心に視線を向けた。姿勢良く座る、プラチナとエメラルドで形造られた、美しいオブジェ。
誰かが"Refill.”と呟いた。音が消え、磁場が変わる。
ふう、とジェンが息を吐く。彼女はエラを見つめている。
「ラピスラズリ・ガール。すらっとしてて、青い髪がさらさら長くて、肌は真っ白。精霊みたいに綺麗なの」
レニはウォッチで検索する。すぐに画像が現れた。大きな瞳が印象的。価格は250モニカ。
「あたしとは対照的」
ジェンが髪を掻き上げた。ピンクの爪がランプライトの光にきらめく。
「私は、それのお世話をするの。……違うな。それのオプションになるの」
氷の破片が背中を滑り落ちるような感覚。
「オプションってどういうこと?」
「ラピちゃんは泣くのよ」
Category: Watery eyes
「で、ゴシュジンサマ方は、ラピちゃんと一緒に泣ける話が聞きたいの。天涯孤独の女の身の上話や、6区の不幸話とかを」
ジェンは痛々しく笑った。彼女が売るのは時間や能力じゃない。誇りなのだ。
レニはトマトウォーターを冷蔵庫からもう一本出した。氷を入れたグラスに注ぐ。
「ジェン。もう決めたことなの?」
ジェンは透明な水面を見つめ、やがて一口飲み込んだ。
「そう」
「なら、仕方がない」
「レニは優しい」
「ナオキの方が優しいと思う」
「……そうね」
ジェンは自身の左手をカウンターに乗せじっと見た。彼女の手のひらや指には古傷や火傷の痕がいくつもある。
「不幸になるのを見ていられない、って言われたわ」
ナオキがそこまで言ったのだ。
「でもあたし、別に幸せになりたくて生きてるわけじゃないの」
今のジェンの表情は、ロボットみたいにフラットだ。
「明日が来ればそれでいい。できるだけ長く」
そして笑った。
「腹ペコはごめんよ。喉が渇いて干からびるのも」
ぎこちない笑顔で、彼女はグラスを急角度に傾ける。喉が上下し、鎖骨の窪みに溢れたウォーターが光った。


