33_トリプル・トポロジーズ#05
「よっ、リック。チビと決闘したんだって?」
その日の午後16:00。リックはアポを取って、ナオキの店を訪れた。ナオキはいつもの作業着姿で、カウンターで待っててくれた。歩いてくるリックを見つけた瞬間の彼の柔らかい笑顔に、なんだか救われた気がした。
「強いね。ソル」
「だろ」
カウンターの近くのパイプ椅子を一つ出して腰を下ろす。ナオキがコーラの栓を抜いて渡してくれた。すごく冷えてる。口をつけると、半分くらい一気に飲んでしまった。喉が渇いていたらしい。
はあ、と一息。緊張が解ける。頭が落ち着いて、店の中がクリアに見える。
「で、どした?」
ナオキが自分のコーラを右手に持ってカウンターに身を乗り出した。エアコンの風で、作業着の大きな襟が少し揺れてる。
「ナオキ。Aエリアのホワイト家ってわかる?」
「ああ。知ってるよ」
ナオキはドアの向こうに視線を送った。視線を追う。コンテナだらけの、いつもと同じ景色があった。
「おれ、1年ちょい前かな。あの家に壊れたジュエレッタ引き取りにいった」
ああ、とリックの中でいくつかの回路が繋がった。
「そうなんだ。何体も所有しているんだね」
「おれん時に5体。ジェンのラピちゃんもいたよ」
あ、とリックは声を上げた。
「前に言ってた2層の仕事って、あの家?」
ナオキはくしゃっと笑った。翳りのない笑い方。この間、元気なジェンと会えたからだろう。
「そ。メイドで少し働いてた。嫌んなってきてた頃、復興支援の出店やらねえかって声かかって。ラピちゃん貰って、アイスクリーム屋始めたんだ」
「そうだったんだ」
ナオキはコーラをごく、と飲んだ。リックもなんとなく同じように瓶を傾けごく、と飲む。
「壊れたフローラは、地球からきた職人さんが修理して、今はちゃんと店にいるよ」
「え?この店?」
「月の石。5区」
ジュエレッタの店。今度調べてみよう、とリックは思った。
「ホワイトって、レニの勤め先だろ?かわいいチビッコがいるっていう。ジェンもレニもめろめろの」
「ラジィのことだね」
ーーうん。僕は、このうちの子じゃないもん。
ーーうちの子どもに教えてくれ。兄のように接してくれると嬉しい。
「スカウトされてさ。家庭教師」
「へえ、レニみてー。受けんの?」
「うん」
「何か引っかかってる?」
「うん」
「言えば?聞くぜ」
「……僕、今日はほんとに頭にきて」
「お?」
「もう少しで、机をひっくり返すところだった」
「チャブダイガエシか?マンガみてえ」
「チャブダイじゃない。10人用の長テーブル」
今頃、頭に血が上る。コーラの瓶を握りしめる。
「短辺同士に座ったけど、なんだあれ?肉声で会話するには遠すぎる」
「唾が飛ぶのが嫌だとか?」
「それ、納得。……でも、逆に良かった。すぐそこにいたら、胸ぐら掴んでパンチ食らわせてたかもしれない」
ナオキがぱちぱちぱち、と瞬きをした。リックを見たまま、こてん、と首を傾ける。
「……リック、これ、マジギレか?」
さすがナオキ。まさにそれ。
「まじのやつだよ。よく、手が出なかったなって」
「おもしれー。え?何?何があった?」
ナオキが瞳を輝かせて、イタズラ小僧みたいな顔で両肘をついて腰を浮かした。
「レニと僕のシフトをずらして、絶対会わないようにする、って言われた」
ほー!とナオキが間髪入れずに相槌を打つ。リックはすうっと怒りが抜けた。
「なるほどなー」
「他にも色々言っていたけど、あんまり腹が立って忘れた」
「ま、予想つくよ」
ナオキがコーラをまた飲んだ。あと半分くらい。手が結露で濡れている。
「あっちは配慮のつもりじゃね?」
「僕はここまで出かかったよ。僕はレニの身内だよ、って」
「言わなかった?」
「意味ないし」
「それだよ」
ナオキがひらひらっと顔の横で手を振った。雫が少し飛んできた。
「そんなやつ、君が怒る値打ちはない。ほっとけほっとけ」
そう言われると、その通り。怒ったところで、考え方を改めることはできないし。
ナオキは他人の感情に巻き込まれることがないし、視野が広くて大らかだから、話していると冷静になる。
すごいなあ、とリックは思った。
「いいじゃん。そのチビ、ラジィっつったか?レニにも君にも懐いてんだろ?」
「うん。恋に落ちたの?どんな感じ?って僕ら2人にラジィは聞いたよ」
「あっはっは!いいなーそれ。親子みてー」
親子、と聞いてはっとした。
ーー独り言が多すぎるのでは、と思ってね。君を雇うことにした。
「……思い出した。置物が話し相手では、って言うんだ。僕、ぞっとした」
ナオキが右眉を上げた。口がシニカルな角度に曲がる。
「ジュエレッタちゃんたちのことだな。わかるよ」
「ジュエレッタに、生物みたいな命があるってわけじゃない。体組は鉱物。反応は反射。学習効果はプログラムだ。……それでも、置物って。その言い方は違うだろう?ラジィが話しかけるのを、独り言だと言い切った」
「リックが怒るの、おれはわかるよ」
ナオキは半分残ったコーラの瓶を両手の間でかたん、かたん、と傾ける。
「ジュエレッタはそれぞれのカテゴリで人間と対話をする。それが命がどうかは知らない。けれど、知性がある。変化がある。揺らぎがある」
ナオキがリックの目を見る。ダークブラウンの瞳は静か。黒黒とした瞳孔が、微動だにせず言葉を宿す。
「人間じゃあない。じゃあ、ジュエレッタって一体なんだ?」
ジュエレッタ。
観光都市ムーンバレーにおいて、ジュエレッタの所有は富裕層のステータス。他惑星への贈答品としても買い求められる、100年以上前から続く、宝石加工技術の結晶。
宝石人工知能体。
「バーのエラは、お客に色んな名前で呼ばれる。目を伏せて微笑む。常連には時々ウインク。知らないやつには首を傾げる。おれ、エラが時々ねーちゃんに見える」
ジュエレッタは、学習する。
「ジェンはラピちゃんと暮らしてるし、レニはモリーと暮らしてる。地獄を見てきた6区の女2人がよ、目に見えて明るくなった」
学習は、不可逆の変化。
「あの子たちは置物じゃない。居場所なんだ」
誰かの部屋に。
誰かの隣に。
誰かの暮らしに。
ジュエレッタは、在る。
ナオキがリックの肩をつついた。
「最近、あのレニが鼻歌歌うんだぜ。驚いたよ」
「うん、知ってる」
「あははっ、だよなー」
笑う顔は、年下みたいにあどけない。
僕の知らないレニがいて、僕の知らないナオキがいる。
それって、なんか、いいなと思う。
「道具は生きてる。人と共にある限り」
彼は自分の右手を見た。関節の目立つ、爪の短い大きな手。道具を扱う人の手。
「人が道具を使い、道具が人を変えるんだ。そして、かけがえのない時間ができる。たとえ傷ができても、壊れても。過ごした時間は確かに残る」
それを聞いて上げた右手が顔の横ですかっと空振り。あ、僕、今メガネ掛けてなかった。
父さんのことを僕が忘れていないのは、メガネのおかげかもしれない。
「なんかそれって、もう家族じゃん」
「うん。僕もそう思う」
「置物って言われて、だからリックは怒ったんだろ。モリーもそいつも、レニの家族で、チビの家族だ」
「うん。そうだと思う」
今日、ここに来て良かった。いや、もっと前。レニと初めてデートした時、メガネを掛けてて良かったな。それがなければ、ナオキと今みたいな友だちにはなっていなかった気がする。
「ま、なんだ。そのオッサンはともかくさ」
ナオキがコーラを飲み干した。手の甲で口を拭って、椅子にどかっと座り直す。
「ラジィってチビッコは、親がいなくてさみしーんだ。時間作って行ってやれよ」
「そうだね」
リックもコーラを飲み干した。ぬるくなって、かなり甘い。しょっぱいものが欲しくなった。
「このへんの子達、ナオキがケンカ教えてるの?」
「んー、まあそう」
「かっこいい。強いんだね」
「リック、おれと手合わせする?」
「やめておく。僕じゃ勝負にならないよ」
ナオキが左右非対称に眉と口を曲げて笑った。
「賢明だな」
「僕のは、あくまでも護身用だからね」
ソルは強い。体格差がなければ、背中が着く前にどちらかが深刻な怪我をしていたはず。ナオキは相当強いだろう。体格にほとんど差もない。
正攻法では勝てないだろうな。
「目潰しは絶対しないね。なんで?」
「キンタマ蹴っても、それだけはすんなって言ってる」
「どうして?狙いやすいし戦闘停止の効果が高い。相手を再起不能にできるよ」
「ははっ、おれ、君とはケンカしたくねーや」
ナオキがリックの眉間のあたりをじっと見た。
「……おれ、メガネが好きだからさ」
今日、持ってきたら良かったな。ナオキの家に来る時は、コンタクトしててもメガネもちゃんと持ってこよう。そっちの方が僕も楽。
「あのね、ナオキ」
「ん?」
「僕、チャーハンが食べたい」
「ははっ、ソルから聞いたか?」
「うん」
ぐー、とそこでお腹が鳴った。そういえば、時間がなくて昼はアメリカンドック1つで済ませたのだった。
ナオキが立ち上がり、コーラの空瓶を回収した。店内の電源を順番に落とす。
「いいぜ。作ってやるからうち行こう」
「うん」


