「モリー。ただいま」
玄関を開く。モリーはいつもの椅子で、レニに向けてニッコリ笑った。レニは冷蔵庫に直行。ストロベリー・ウォーターを取り出し、窓辺の椅子に腰を下ろす。
「リフィルプリーズ。モリー」
“Sure. Retriver girl.”
モリーが立ち上がり、体を少し揺らしながら前奏をハミング。窓の外には、夕暮れ色の6区の街が広がっている。今日の2層はオータムなんだわ。
ウォーター・ボトルを傾ける。甘酸っぱいイチゴの香が喉を抜ける。今日食べた、ケーキの味を思い出した。
ケーキを並べている時に、キャンディ・バーの穴埋めを1週間、レニはナオミからこっそり頼まれた。
『エラがいるから接客はいいの。店の女の子達に、何も言わずにいなくなるから。ナオキに聞けないこともあるでしょう?レニがいると助かるわ』
ボストンバッグひとつを持って、ナオミはベンと腕を組んで、さよならと言い手を振った。
「……本当に、行っちゃった」
大好きな人に、会えなくなるのはとても寂しい。
……もしも、リックがいなくなったら?
「私、リックが好き。大好き」
ずっと一緒にいたい。笑った顔をいっぱい見たい。
「……だけど、それって友達として?それとも男の人として?」
リックは、女の子として私のことが好きなんだよね。少なくとも、見た目もちゃんと好きみたい。出会いはナンパだって、みんなもリックも言っていた。あのワンピースも、すごく好きって。
一緒にいると時間が経つのがあっという間で、本当は1秒だって離れたくないくらい。朝起きて、隣にいたらいいのにな、って思って眠る日もある。
クリスマスにキスはしたけど、普段は手すら握らない。友達みたいに2人で過ごして、私の家から帰る時だけ、触れるだけのキスをする。
それで幸せ。けれど、なんか違う気もする。
友達みたいに気安いけれど、リックは男の人だもんね。赤くなるっていうことは、私にドキドキしてるってこと。いつかは、次に進みたいって思っているよね。
「そのうち、そういうことになるのかなあ」
………。
………。
………うーん、なんか想像できない。
………私、ちゃんと色気ある?
肩に手を乗せる。3センチくらいの、つるりとして感覚の薄い場所。
初仕事の時の古傷。ここは縫ったから覚えてる。でも、見えないところに一生傷がどれだけ残っているのか知らない。
これまでは気にしたことも無かったけど、傷がいっぱいある身体って、男の人はどう思うんだろう。
びっくりするかな。げんなりするかも。
いざという時に盛り上がらなくて、彼に恥ずかしい思いをさせたら悲しい。不安要素は傷だけじゃない。腹筋は割れてるし、おしりは硬いし、胸だって小さいし。
スニーカーの靴紐を解く。靴を脱いでソックスを外す。
24cmの素足。女の子にしては大きめ。かわいい靴があまりない。
傷が一つもない場所って、私の身体でここだけかも。
この目も耳も、腕も、脚も、筋肉も、神経も、心臓も。仕事道具としてしか、ほとんど使ってこなかった。いつも完全に制御できるよう、食事や睡眠でメンテナンスをしてきたつもり。
思い通りにちゃんと動いて、そう簡単には死なない身体。
私には、この身体しかない。
内側で触れ合うって、どんな感じ?
私、それを受け入れられる?
「……わかんない」
自分の身体を明け渡すのは、少し怖い。
途中でパニックになって、リックを張り飛ばしちゃったらどうしよう。それが1番心配だわ。
それに、もしそれができたとしても、家族になるにはまた別の問題がある。
6区のこと。
パスのこと。
子どものこと。
削除された名前のこと。
子どもを産んで育てるには、マザーの許可がいる。無許可で産めば、その子は名前もウォッチの交付もなく、Zに移送される。だから、6区の夫婦に血縁関係のある子どもは1人もいない。つくらない。Zとは、6区の人にはそういう場所。
そして6区には、上から落とされた子どもがたくさんいる。事実婚の夫婦の家や育て親に引き取られ、家族になる。
レニはナオキとナオミと、物心つかない頃からそうして一緒に暮らしていた。
ウォッチがなければ教育されない。
ウォッチがなければ仕事がない。
名前か上の仕事がなければ、上層エリアのパスがない。
名前がなければ結婚できない。
結婚しないと子どもは持てない。
結婚しても、出産許可の順番待ちが階層順に決まってる。
結婚して子どもを産むために、6区の女は飛び越えるハードルが多すぎる。
リックは頭がいいし優しいから、そういうことをちゃんと考えているんだろうな。多分、私よりもずっとたくさん。
「子どもが5人は欲しいって、ナオミ、ずっと言ってたもんね」
それで、ナオミは火星に駆け落ちした。ボストンバッグひとつを持って。
大量の服はどうしたんだろう。
バーのクローゼットかな。
"La La Lu…"
「モリー。……この歌、2回目ね」


