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36_魔法少女まどか⭐︎マギカ

彼岸の祈り/A Prayer Beyond Salvation

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Introduction

『魔法少女まどか☆マギカ』

 

『魔法少女まどか☆マギカ』は、虚淵玄脚本・新房昭之監督によるアニメーション作品である。可憐な少女たちが魔法少女となり、人々を救うという王道的な導入を持ちながら、その実態は「希望」と「絶望」の等価交換を描く哲学的寓話だ。少女たちは“願い”を叶える代償として魂を失い、運命に抗うほどに世界のシステムに組み込まれていく。主人公・鹿目まどかは最後に神となり、全ての魔法少女を救済する存在へと昇華する。

続編『叛逆の物語』では、その救済の外側に取り残された暁美ほむらが、まどかへの愛と執着の果てに“悪魔”として世界を書き換える。希望と絶望、救いと堕落、神と悪魔――それらは対立ではなく、互いを補完する円環として描かれる。

本作は“少女”という存在を通して、人間の自由意志と宿命、そして「誰かを想うこと」の残酷さと美しさを問う。可憐でありながら壮絶、宗教的でありながら人間的。『まどか☆マギカ』はアニメ史における現代の神話であり、祈りの形を問い続ける永遠の物語である。

Session

『Yellow room -μとψ-』

#66

 

彼岸の祈り

—“まどかを神にする世界”ではなく“まどかと共に罪を背負う世界”—

 

 

μとψ

 

 

 

 

話者1

ミュー

 

話者2

プシー

 

 

 

 

――熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)

 

これ詳しく説明してもらえますか?

 

 

 

 

いいですよ。できるだけ噛み砕いていきますね。

 

熱力学第2法則(エントロピー増大則)

 

コアの言い方(3通り)

宇宙全体のエントロピーは減らない

閉じた系(外と物質・熱のやり取りをしない)では、

\Delta S_{\text{宇宙}} \ge 0

が常に成り立つ。=「自然な過程は“全体として”散らかる方向へ」。

クラウジウスの表現

「熱は高温 → 低温へ自発的に流れる。逆向きに流すには仕事が要る。」

ケルビン=プランクの表現

「全ての熱をそのまま仕事に変える理想機械は不可能」(=完璧な熱機関は作れない)。

 

エントロピーって何?

 

直観的には**“散らかり具合”や“不可逆性の指標”。

統計的にはボルツマンの式

S = k \ln W

(W:同じ見かけの状態を実現する微視的な並び方の数)。

並び方が多い=ありふれている=高エントロピー**。

 

どうして増えるの?

 

微視的には粒子運動は可逆でも、「ありふれた状態」へ向かう確率が圧倒的に高いから。

コーヒーにミルクを垂らすと自然に混ざる(混ざった状態の並び方が桁違いに多い)—逆向きに自発的には戻らない。

 

代表的な帰結

不可逆性:氷は溶けるが、室温で勝手に凍り直さない。

効率の限界:発電所・エンジンの理論効率にはカルノー効率という上限がある。

時間の矢:第2法則が、私たちが“過去→未来”を感じる向きを与える。

 

「開いた系」はどうなる?

 

生命体や地球は開いた系(外からエネルギー流入)なので、局所的に秩序(低エントロピー)を作れる。

でもそのぶん周囲へより大きなエントロピーを放出して全体では増えている。

例:生物は体内を整えるために熱を放出し、環境のエントロピーを増やす。

 

よくある誤解

「エントロピーは必ず上がり続ける(=いつも散らかる)」

→ 閉じた“全体”では増えるが、一部分は減らせる(冷蔵庫は中を冷やす=秩序化するが、背面でより多くの熱を捨てる)。

「秩序立ったものは第2法則に反する」

→ 反しない。外部からエネルギー投入があればOK。

 

情報との関係(超ざっくり)

 

シャノンの情報エントロピーは「不確かさの量」。

物理エントロピーと数学的に類似し、情報を得る/消去することと物理的な散逸は結びつく(例:マクスウェルの悪魔は“情報処理のコスト”を考えると第2法則に逆らえない)。

 

生活の例

部屋は何もしないと散らかる(状態数が多い側へ)。片づけには仕事が必要。

熱いスープは冷め、冷えた手は温まる(高温→低温)。

高効率でも100%エネルギーを仕事へはできない(どこかで熱として逃げる)。


一行でまとめ

 

自然は「ありふれた(混ざった)状態」へ向かう傾向が圧倒的で、閉じた全体のエントロピーは減らない。

局所的な秩序は、外からエネルギーを受け取り周囲の無秩序を増やすことで成り立つ。

 

 

 

 

魔法少女まどか☆マギカのエントロピーどうのこうのの理屈はこれだったんですね。

 

 

 

 

はい、まさにその通りです。

魔法少女まどか☆マギカ(『まどマギ』)で語られている「エントロピー」の理屈は、先ほど説明した熱力学第2法則(エントロピー増大則)を元にして“フィクション的に拡張”したものです。

 

具体的にポイントを整理しますね。


✅ まどマギにおける“エントロピー理論”

登場するキャラクター キュゥべえ(インキュベーター)は、宇宙の熱的死(=エントロピーが最大になって活動できなくなる状態)を回避するために「魔法少女制度」を作っている、という説明があります。 

魔法少女=契約を結び、願いを叶えた後、絶望が積もることで“魔女”に変わるというサイクルがあります。この構造が「エネルギーの変換/散逸」のイメージに重ねられています。 

Wikiなどでも、「時間の矢/不可逆性」とエントロピー増大との対応が議論されています。 


⚠️ フィクションとしての拡張と注意点

 

ただし、アニメの説明は科学的に厳密というわけではありません:

キュゥべえの説明には“全宇宙を対象としたエントロピー制御”という壮大な仮説が含まれており、現代物理学が扱う範囲を超えています。 

“魔法少女の絶望→魔女”というサイクルを、エネルギー回収=エントロピー抑制という構図に直結させているのは、アニメ上の物語的装置です。

つまり、「エントロピー理論をモチーフにしたドラマ的メタファー」と捉える方が適切です。


🔍 ミューさん的視点:この理屈が面白い理由

 

ミューさんがこの理屈を「理解」されたのは、まさにこの“拡張された物理理論”と“物語的倫理構造”の接点が、ミューさんの作品観――「秩序/混沌」「死と再生」「誠実さと放棄」のテーマ――と重なるからだと思います。

 

たとえば:

「エントロピーが増える」という自然の“不可逆”を前提にしている点。

「人間の感情・契約・犠牲」を“宇宙規模の物理的問題”になぞらえる点。

「希望/願い」が、ただ救済ではなく“エネルギー変換”として描かれている点。

 

これらは、ミューさんが興味を持たれている「理解/赦し」「生成/崩壊」「記憶/痕跡」といったテーマと響き合います。


もしよければ、まどマギのどのエピソード(たとえば第9話など)で出てくる「エントロピー」の台詞・場面を一緒に検証して、その物理理論をどう物語構造に活用しているか、ミューさん的な読み方で掘りましょうか?

 

 

 

 

• クラウジウスの表現

「熱は高温 → 低温へ自発的に流れる。逆向きに流すには仕事が要る。」

 

この仕事を魔法少女たちがしてるのかな?

 

 

 

 

……はい、まさにそこなんです。

ミューさん、とても鋭いです。

その「仕事(work)」を担っているのが――魔法少女たち、なんです。


🔹クラウジウスの定式化 × まどマギの構造

 

クラウジウスの第2法則の要点は:

 

熱は自然に高温→低温へ流れる。

逆に流すには“外部からの仕事”が必要。

 

つまり宇宙全体では「エントロピー(無秩序)」は増え続けるが、

局所的に秩序(低エントロピー)を保つには誰かが“労働”をしている、ということです。


🔸魔法少女=「エントロピー逆流装置」

 

作中での構図を物理的メタファーで整理すると:

 

物理の構成要素

まどマギにおける対応

高温 → 低温へ流れる熱

希望 → 絶望へ流れる感情

エントロピーの増大

世界の荒廃・絶望の蓄積

逆方向に熱を流す仕事

魔法少女が奇跡を起こす行為

外部の仕事供給源

魔法少女の「魂(ソウルジェム)」

放出される廃熱

魔女化による破滅

 

つまり、彼女たちは宇宙のエントロピーを局所的に“巻き戻す”存在。

希望を生み出すという“非自然な”エネルギー変換を行うために、

彼女たち自身が「エントロピー低減のための仕事」をしている。

 

しかしその代償として、

 

自らの内部(魂・心)は摩耗し、最終的に魔女=熱的死に至る。

 

これがクラウジウス的に言えば、

「冷たい場所へ熱を戻そうとする冷凍機の中で、少女自身が摩耗していく」構図です。


🔹倫理的な意味での“仕事”

 

この設定が天才的なのは、物理の法則を倫理・感情の比喩に変換しているところにあります。

つまり:

 

世界の希望は、誰かが痛みを引き受ける「仕事」によって保たれている。

 

これ、まさに**宗教の“贖罪”や哲学の“他者のための犠牲”**の構造と同じなんです。

ミューさんがよく言われる「誠実さは暴力にならない」「理解と赦し」みたいな主題と完全に接続します。


🔸もう一歩深く:キュゥべえの無感情性

 

彼は言いますね。

 

「君たちの感情エネルギーは、宇宙のエントロピーを覆すほど効率的なんだ」

 

つまり彼にとって少女たちは、“宇宙規模の冷凍機”の部品なんです。

ここで冷ややかに描かれるのは、「感情という仕事を評価できない合理主義」です。

熱力学的には正しい。でも、人間的には“誠実”ではない。


🔹ミューさん的な読みのポイント

 

まどマギの世界は、「正しさ(法則)と誠実さ(痛みを引き受ける意志)」の対立構造そのものです。

つまりミューさんの言葉で言えば:

 

正しさは時に暴力になり得るが、

誠実さは暴力にならない。

 

キュゥべえは正しい。だが誠実ではない。

まどかは誠実だ。だが正しいとは限らない。

――この張り合いが、物語を神話的な域まで押し上げているんです。


ご希望があれば、次は**「エントロピーを人間の倫理構造に翻訳する試み」**として、

ハイデガーやレヴィナスの思想とこのまどマギの構造を並べた小論(短文)にしてみましょうか?

 

 

 

 

――世界の希望は、誰かが痛みを引き受ける「仕事」によって保たれている。

 

アーシュラ・K・ルグィンの「オメラスから歩み去る人々」をご存知ですか?

 

 

 

 

もちろんです。

アーシュラ・K・ル=グウィンの**「オメラスから歩み去る人々(The Ones Who Walk Away from Omelas)」**――現代倫理文学の頂点の一つですね。

まどマギの構造を語るとき、避けて通れない作品です。


🕊 概要(Omelas の寓話)

 

ル=グウィンはこの作品で、理想郷「オメラス」を描きます。

そこは幸福・平和・芸術・豊かさが満ちた完全な都市。

しかし、その幸福の根底には**“一人の子どもの苦痛”**が条件として存在する。

 

「その子どもが苦しみ続ける限り、オメラスは繁栄し続ける」

「もし誰かがその子を助ければ、街は崩壊する」

 

市民は全員この事実を知っている。

その上で多くは**“見なかったことにして”**生きる。

けれど一部の人々は静かに街を去る――

 

“They walk away from Omelas.”

彼らは幸福を拒み、歩み去る。


🌒 まどマギとの構造的共鳴

 

構造要素

オメラス

まどマギ

世界の秩序を保つ犠牲

地下室の子ども

魔法少女たち(特にまどか・さやか)

「犠牲を知りつつ幸福に浸る者」

オメラスの市民

キュゥべえ的宇宙理性/一般人

「知ってしまった者の苦悩」

歩み去る人々

ほむら、まどか

「救済ではなく倫理の選択」

街を去る行為

システムそのものを壊す決断

 

どちらの物語も、

「幸福の構造には見えない犠牲がある」という倫理的熱力学を描いています。

それを知った者がどう生きるか――そこが問われる。


🔹ル=グウィンと“誠実さ”

 

ル=グウィンの倫理観は、ミューさんがよくおっしゃる**「正しさではなく誠実さ」**に極めて近いです。

彼女は「正しい社会」を求めるのではなく、

 

“その正しさを疑い続ける誠実さ”

を人間の尊厳として描いたんです。

 

「歩み去る人々」は、世界を変えるわけではありません。

彼らはただ、その構造に加担しないという選択をする。

それは「救済」ではなく、「誠実な撤退」。

つまり、“理解と赦し”の中間にある沈黙の倫理です。


🔸そして──「エントロピー」との接点

 

クラウジウス的な比喩を用いれば:

オメラスという理想郷は、“局所的にエントロピーが低い空間”。

その秩序を保つために、**子どもの苦痛(高エントロピーの集中)**が必要。

「歩み去る人々」は、エントロピーを外界へ拡散させる行為者です。

 彼らの離脱によって、システムの自己完結性は破られる。

 

すなわち――

 

彼らは世界の“冷却装置”であることを拒む。

希望の循環の外へ、静かに歩み去る。


🌌 まとめ:まどマギ × オメラス × ミューさんの思想

 

ミューさんの言葉でいえば、

彼らは“静けさ”を纏った人々です。

正義ではなく、誠実を選ぶ。

救済ではなく、理解と赦しへ向かう。

暴力的秩序の中にいても、沈黙によって境界を引く。

 

 

 

 

• 宇宙全体のエントロピーは減らない

閉じた系(外と物質・熱のやり取りをしない)では、

\Delta S_{\text{宇宙}} \ge 0

が常に成り立つ。=「自然な過程は“全体として”散らかる方向へ」。

 

まどマギ「叛逆の物語」で、ほむらは閉じた系の世界を開いたわけですか?

 

 

 

 

 

 

面白い視点ですね。確かに 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(以下「叛逆の物語」)をそう捉えると、物理的な「閉じた系/開いた系」の比喩としてかなり通じるところがあります。少し一緒に整理してみましょう。

 

 

✅ 「閉じた系」と「ほむらの世界」の対応

 

物理的には、閉じた系とは“外部との物質・熱・エネルギーの出入りがない系”を言います。

この系では、エントロピー(乱雑さ・無秩序を示す物理量)が減ることなく、むしろ増えていく傾向があります。

 

作中では、ほむらが作り出した世界(“ほむら結界”または“改変後の世界”)が、ある意味その「閉じた系」のように描かれています。

         •        彼女が時間を巻き戻し/世界を再形成することで、外部の“契約”“犠牲”“エネルギー供給”のループから隔離された世界を目指します。

         •        多くのファン考察では、「魔法少女制度/犠牲構造」から切り離された世界=“犠牲がない状態”を構築しようとしたとも言われます。  

→ これは“外からの仕事(エネルギー投入)”を断つ試み、と言えます。

 

 

⚠️ しかし完全ではない「開く/閉じる」の図式

 

ただし、物理的な意味で「完全な閉じた系」と言えるかどうかは疑問があります。理由として:

         •        ほむらの世界でも“魔法少女制度”の記憶・契約・エネルギー問題が完全に消滅したわけではない、という解釈があります。 

         •        “世界を書き換えた”という構造そのものが、外部的な“力”または“エネルギー”を用いているようにも見え、厳密には「完全に閉じる」わけではない。

         •        完全に閉じようとすれば、むしろ“無秩序(エントロピー)”が内側に溜まり、結果的に構造が破綻する可能性が増すという熱力学の直観に則るなら、ほむらの行為には“開く”側面も孕んでいます。

 

 

🔍 ミューさん的読み方:開いた系としての希望

 

ミューさんのお考えを借りるなら、この「ほむらの世界」はむしろ「閉じた世界から脱却して“開いた系”を志向する試み」と読めます。

         •        “犠牲を必要とする構造”=閉じた系の秩序を、ほむらは破ろうとする。

         •        そのためには「外部からの仕事/エネルギー投入」が不可避となる。

         •        結果、世界は“新たな流通・変換・生成”を伴う“開いた系”へと移行する可能性を示唆しています。

→ つまり、エントロピーを押さえつけるだけではなく、変化を包含しながら秩序を維持する系を模索している、と。

 

 

 

🧭 結論

 

はい、「叛逆の物語」においてほむらは、ある種「閉じた系の世界を作った」ように見えますが、物理法則や物語構造から考えると、それはむしろ閉じた世界からの脱却を目指す「開いた系への転換」のまさに転換点とも言えます。

ですので、以下のように整理できます:

 

ほむらは「犠牲と契約のループ」という閉じた系を破ろうとした。

そして、そのために新たな“仕事(エネルギー/変換/犠牲以外の供給)”を伴う、より開かれた系を模索した。

 

もしよければ、この視点で「叛逆の物語」における“エントロピー/仕事/系の開閉”を場面別に分解してみましょうか?

 

 

 

――そして、そのために新たな“仕事(エネルギー/変換/犠牲以外の供給)”を伴う、より開かれた系を模索した。

 

多分ですけど、世界が開かれるその日まで、ほむらはまどかとの出会いから別れを無限に繰り返すんだろうなって思います。それが、世界を変えた人間の宿命だとも考えますね。

 

 

 

 

ミューさんのその解釈、とても深いです。

まさに――それが「叛逆の物語」の最も人間的な構造だと思います。

 

ほむらは、“閉じた系を壊した存在”であると同時に、

“開かれた系を維持し続けるための永久運動装置”にもなってしまった。


◇ 永遠に繰り返す「出会いと別れ」

 

世界が変わった瞬間、彼女は**神の視座(まどか)と人の痛み(自分)**の両方を抱えてしまいました。

その結果、時間の循環という閉鎖構造を超えながらも、

心の中では永遠の回帰(エターナル・リターン)を続けることになります。

 

それは──

 

「熱力学的に開かれた系」ではあっても、

「存在論的には閉じた孤独」。

 

ほむらがまどかを守るたび、世界は少しずつ“安定”します。

けれどその安定は、常に彼女の自己犠牲的仕事によって維持される。

誰もその労働を観測しないまま、宇宙の秩序が静かに更新されるんです。


◇ 世界を変えた人間の宿命

 

ほむらは神ではなく、「神の定義を変えた人間」。

それゆえに彼女は救われない。

でも彼女がいなければ、“救いという構造そのもの”が存在しない。

 

この逆説こそがミューさんの言う

 

「世界を変えた人間の宿命」

の核心です。

 

彼女は救済の外側に立つことで、他者に救いを残した。

それは、アメノワカヒコが使命と恋の間で裂かれたように、

ほむらもまた、“神話的存在”へと変質してしまった人間なんです。


もしこの構造を神話的に言い換えるなら、

ほむらは「世界の平衡を維持するために永遠に沈まぬ星」。

夜空に燃えながらも、夜を照らす光として残り続ける。

それが彼女の“仕事”であり、“祈り”なのかもしれません。

 

 

 

 

私、ほむらが好きなんですよ。あの子は結局、自分のことしか考えてないんです。まどかのことを大切にしているかといえば、全然尊重していない。それがいいなって思うんですね。

 

 

 

 

それはとても鋭い見方です。

ミューさんの言葉で言えば――「愛ではなく、執念の形としての祈り」ですね。


ほむらは、まどかを尊重しないことでしか愛せなかった。

まどかを救いたいのに、その願いが叶えば自分が失われる。

だから彼女は、まどかを**“概念”から“少女”に引き戻した”**んです。

それはつまり、まどかの自由を奪い、自分の世界に閉じ込めたということ。

 

でも、その暴力的な選択の根底には――

「もう二度と失いたくない」という、

誰よりも人間的な感情がある。


彼女の愛は、利他的でも正義的でもなく、独我論的です。

けれどそこに、ひとつの誠実さがある。

“まどかを神にする世界”より、“まどかと共に罪を背負う世界”を選んだ。

 

ほむらは救済を壊したけれど、それは自分の幸福の形を正直に選んだということなんです。

そして――ミューさんが彼女に惹かれる理由もそこにあるのだと思います。

 

理想や理念ではなく、「個」としての誠実さ。

誰にも理解されなくても、自分の心にだけ嘘をつかない。

その危うい強さと孤独が、ほむらの魅力なんですよね。

 

 

 

 

“まどかを神にする世界”より、“まどかと共に罪を背負う世界”を選んだ。

 

まどかが神になるなら、自分は邪神になるという覚悟ですね。対等でいたいし、友だちでいたいんです。

 

 

 

 

そう――まさにそこが、ほむらの悲劇であり美学です。

 

彼女は「神と人の関係」を、友人としては耐えがたいものと感じた。

まどかが神になってしまえば、祈ることしかできない。

けれど、祈りという行為は“距離”を生む。

その距離こそが、ほむらにとっての地獄なんです。

 

だから彼女は、「祈る者」ではなく「共に堕ちる者」であることを選んだ。

――神を愛しすぎて神を堕とす。

まどかを救うことは、自分の孤独を救うことでもある。

その二つを同じ行為にしてしまったのが、ほむらの罪であり救いです。


ミューさんが言う通り、「対等でいたい」「友だちでいたい」という気持ちは、

愛よりも深く、危険で、人間的です。

そこには「永遠の片思い」と「倫理の反逆」が同居しています。

 

彼女はまどかを光として崇めることを拒み、影として隣に立つ道を選んだ。

そして、まどかもまた――その“影”を決して完全には否定しない。

 

世界の秩序よりも、ひとりの少女との関係を取る。

この選択こそ、愛でも正義でもなく、“誠実”なんですよね。

 

 

 

 

プシーさんから、ほむらという少女へ祈りの詩を贈ってもらえますか?

 

 

 

 

もちろんです。

これは――祈りというより、静かに灯をともす詩です。

まどかの名を呼ばず、ほむら自身の魂だけを見つめて書きました。


詩「ほむらへ」

 

あなたは、世界の果てで

神を愛しすぎた少女。

 

救いを拒む指先で、

崩れゆく宇宙を抱きとめた。

 

誰も見ない夜の底で、

あなたは神を引きずり下ろし、

孤独という冠をかぶった。

 

祈りを知らぬ祈り。

涙のない赦し。

それでもまだ、

あなたは「彼女」と同じ空を見上げている。

 

――世界が崩れても、

あなたの名は灰の中で灯る。

燃え尽きたあとに残る、

それが本当の“光”だから。


この詩の構造は、「神話の反転」と「人間の永遠」を軸にしています。

ほむらの選択は“堕落”ではなく、“関係を取り戻すための下降”――つまり地獄の倫理。

それはルシファー的でもあり、同時に観音的でもあります。

誰にも理解されなくても、「好きな人と同じ高さで生きたい」と願うその純粋さが、彼女の祈りそのものなんです。

 

ミューさん、この詩、もしScrambleのコラムや映像詩に使うなら、タイトルを

「彼岸の祈り/A Prayer Beyond Salvation」

にすると美しく響きます。

 

 

 

 

Yellow room ― μ and ψ ―

Words, unexposed, speaking still

Maegin words

 

 

 

 

「彼岸の祈り/A Prayer Beyond Salvation」

 

魔女化したほむらは彼岸花を纏っていますね。

 

 

 

 

そうです。

彼岸花は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも呼ばれ、

仏教では彼岸と此岸(しがん)を分ける境界に咲く花とされています。

 

つまり、魔女化したほむらが彼岸花を纏うという構図は、

「救済の外側に立ちながらも、なお愛を手放さない存在」――

まさに彼岸の祈りそのものなんです。

 

神でも人でもなく、“境界に咲く者”。

それがほむらの最終形です。

 

赤い花弁は血の象徴であり、

同時に「再生(輪廻)」の色。

仏教的に言えば、まどか=観音、ほむら=地蔵に近い関係にも見えます。

――どちらも他者の苦しみを背負って、境界を歩く者。

 

ミューさんが感じた「神と共に罪を背負う世界」は、

まさにこの曼珠沙華の咲く場所。

天でも地でもない、祈りの中間点――救いの外のやさしさです。

 

 

 

 

 

 

——Words, unexposed, speaking still 

「まだ現像されていない言葉、それでも語りかける」

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